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Yellow or Not Yellow

砂川文次「99のブループリント」(230枚)目当てで借りた「文学界」2022年3月号に掲載されていた他の小説、加納愛子「黄色いか黄色くないか」(130枚)、戌井昭人「田舎のサイケ野郎」(110枚)も読んでみた。

どちらも面白く読めた。週末のひとときに自室で読む小説として、読みながら楽しめ、読後感も悪くない。だからそれ以上を望む理由はないのだが、捻くれた言い方をすれば、これら二作よりは、ぼくが失敗作だと思う砂川文次「99のブループリント」の方を高く評価したいと思った。

 

加納愛子がお笑いコンビ「Aマッソ」のネタ作り担当、ということは巻末の執筆者紹介で知ったが、ぼくは「Aマッソ」を知らないし、そもそもお笑い番組もほとんど見ないので、<お笑い>には非常に疎い人間である。そんな自分でも、この「黄色いか黄色くないか」という小説の作者が芸人であることは出だしの数段落を読んだだけで分かる。

お笑い芸人で、小説を書く人は多い。芥川賞をとった又吉直樹がその代表的存在ということになるのだろうが、又吉以外にもすぐれた小説を書く芸人はたくさんいる。基本的に人間への洞察力があり、それを共感を持てる形で表現する能力に秀でているが故にお笑い芸人として成功できるのだから、そういう人たちが書くものが面白いのは当然といえば当然であろう。

彼らの書く小説には何か共通の特徴がある気がする。敢えて一言で表現するならそれは、<読者へのサービス精神>といったものだ。ここが笑いどころ、ここが感動するポイント、というのを分かりやすく提示してくれる。それは反面、くどさやあざとさと紙一重でもある。もう一つの特徴は、小説内に<お笑い>を臆面もなくぶっこんでくることだ。

この小説は、そのものズバリ、お笑いライブの劇場のスタッフとして働く<秋村>が主人公なので、彼女の生活はお笑いと切り離せない密接な関係にある。にしても、冒頭からいきなりコントの台本そのまんまのような文章が続くのはどうよ、と鼻白みかねない小説の始まり方ではある。だが読むにつれて次第に自然な語りへと落ち着いてくる。このあたりの書き方は巧みで堂に入っている。

実家を出て一人暮らしを始めるにあたっての親との微妙な関係、かつて一緒にお笑い劇場に通っていた奈美の過去と現在、劇場の支配人をしている竹井さん、同僚のスタッフ亮太、劇場に出演するお笑い芸人たち、それぞれのエピソードの断片が生き生きと描かれていて、引き込まれる。それだけに、やや通俗的かなとも思える結末には個人的にはちょっと不満が残ったが、だったらどう終わればいいのかと考えると、やはりこの作品はこれでいいのだと思った。

 

戌井昭人という作家の名前は見かけたことはあったが、作品を読んだのはこの「田舎のサイケ野郎」が初めてだった。ポップなタイトルから予想されるとおりの、リアリズムをすっぽかしたようなトボケたオフビート・スタイルの、思わず笑ってしまうような文章が続く。何となく昔見た「天然コケッコー」という映画を思い出した。これも結末がややありきたりかなという印象を受けた。小説でもなんでも、物語を正しく着地させるというのは難しいことだなと思った。

 

ぼくがこの二作よりも砂川文次「99のブループリント」の方を高く評価したいと思うのは、砂川の小説には、成功しているかどうかはともかく、とにかく現実と格闘し、食らいついていこうという気迫が感じられるからである。リアリズム贔屓と言われればそれまでかもしれないが。