War Is Over

 if you want it

ヒマラヤ杉の年輪

文學界」2020年8月号掲載の小説、二瓶哲也『ヒマラヤ杉の年輪』を読む。

岡崎祥久の「キャッシュとディッシュ」が読みたくて図書館で借りたのだが、そちらの感想は別に書くとして、こっちも意外と面白かった。

四十過ぎて病院清掃員の仕事に就いた独身男性・井東が主人公。

こう書くだけでもう、期待感が高まる。

出だしから読み進めていくにつれ、その期待はまったく裏切られることなく、読み始めると止まらなくなり一気に読了。

地元群馬県の高校を卒業すると、高校時代に組んでいたバンドのメンバー三人と共に上京。東京で一旗揚げようとライブ活動を続けるも、ベースが抜け、ドラムスが抜け、結局バンドは解散。地元に帰る仲間を尻目に自分は東京にとどまったが、もはや音楽活動よりも日々のバイト活動の方がメインになっていった。いったんは就職するもすぐに止め、知り合いのバンドのサポート活動とアルバイトの掛け持ち生活へと入る。そんな生活をもう気が付くと二十年近く続けてきた。

もともと人付き合いは好きではなく、歳を重ねるにつれ、その億劫な感覚は強まっている。今では「他人から得るものの殆どは失望だが、孤独から得るものの殆どは平穏である」という結論のもと、人間関係を最小限にするような生活を志向する癖がついている。

そんな井東が働く病院現場の清掃作業員の平均年齢は七十二歳。四十歳の井東がほとんど子ども扱いの職場である。院内を徘徊して医療廃棄物やトイレのゴミ、使用後のオムツなどの大量のゴミを回収し、廃棄庫に持ち帰る。喫煙所の灰皿清掃も業務の一つだ。

かなりのヘビースモーカーである井東は喫煙所の常連だったが、病院職員たちの会話の輪に入るのを避けるため、いつもヒマラヤ杉の巨木の陰に隠れるようにして吸っている。

ある日タバコを吸っていると、若い女性に声を掛けられる。大学を辞めて看護大に入るため、看護助手として働いている北村さんという。何度も見かけ、会話を交わすうちに、昔やってた音楽の話や、今ネットで配信している音楽サイトのことなど話すようになり、一本しかないアコースティック・ギターを何本もあるからと偽って自分の昔録音したCDと一緒に貸してあげるほどにまでなる。満更でもなさそうな北村の態度に、久々に異性を意識する心を蘇らせる井東であった。

そんな井東に、もう一人の女性がアプローチしてくる。同僚の清掃員、岩谷さんである。

近所に住んでいると分かり、夕食の総菜を買いに出かけるスーパーで一緒になったりして、ぜひ家に来て一緒に夕飯を食べようと誘われる。

最初は鬱陶しさしか感じなかった井東も、北村さんの心象をよくする狙いもあって、七十八歳の独居老人の部屋へご馳走になりにゆく。だが井東には、子供のころから他人の作った料理を食べると吐いてしまうという習性があるのだった――

小説のあらすじはざっとこんなところで、その後、物語はこの三人を中心にさまざまに展開していくのだが、ぼくなぞは、ここまでの設定を描く小説世界に既に強い好感を持ってしまっているため、物語の成り行きは正直どうでもいいとまでは言わないが、この小説に出会えただけでもう十分に満足なのであった。

「青春もの」「不倫もの」「ロハスもの(都市上流生活もの)」みたいなジャンルが一方にあるとして、こういう「底辺労働者プロレタリアもの」というジャンルには、なんかこう、ぐっとくるものがある。

現代のプロレタリアものには、「蟹工船」みたいな激しさや悲壮感はないかわりに、深い閉塞感とその中で淡々と先の見えない生活を生きていく感じがどれだけリアルに伝わってくるかが命みたいな部分がある。

さらにこの小説には、岡田睦の後期私小説に通じる「高齢者もの(独居老人もの)」の要素も含まれていて、一層の現代性を感じさせるのも、いい。

こういう地味な佳作をもっと読みたい。ネットやSNSではこういう小説には出会えない。がんばれ文芸誌。まけるな文學界。ていう気分です。