War Is Over

 if you want it

鳥居と麺と現金と皿と

江戸時代の農家で雨で作業のない日など、一日何もせずに過ごす生活に、スマホやネットに一日接触しないだけで世界から取り残されたように感じる現代人は耐えられないのではないか。逆に言えば、スマホやネットから生み出される人の陰性感情に昔の人は無縁であったともいえる(スマホやネットから生み出される感情は圧倒的に陰性である。インスタでイケてる男女を見てうっとりする陰には嫉妬やルサンチマンが張り付いている)。「人間は月の食物である」と言ったのはグルジェフというロシアの思想家だが、その意味は、月は人間から生み出される陰性感情を食物にして生を経てているということで、そうすると今の時代は月にとっては飽食の時代ということになるのだろう。台風で家にいると停電になったときそのような思考が頭に浮かんだ気がした、という夢を見た。

 

文學界」2020年8月号掲載の小説、岡崎祥久「キャッシュとディッシュ」を読んだ。

2022年に発表された「パーミション」とはちがって、この小説はリアリズムではない。その意味では、「パーミション」の方がぼくの好みではある。

でも、これはこれで面白く読んだ。ネタバレはナシにするが、あの〈皿のようなもの〉は何のメタファーなのかとか、「パーミション」にも出てきた〈あなた〉への唐突な呼びかけが意味するものは何かとか、深い解釈をしようとすればできるのだろうが、さしあたってそういう作業を必要とせずとも、グルジェフの「人間は月の食物」であるという譬えと同じように、ひとつの寓話としてよくできている。

資本主義リアリズムにおける人間の疎外を扱った作品として、広い意味での現代プロレタリア文学に含まれるだろう。「キャッシュとディッシュ」というタイトルも意味深である。

俺がいつから”生活”というものをしなくちゃならなくなったのか、俺にはよくわかりません。おまえには”生計を一にする”家族がいないからだ、といわれてしまえばそれまでですけど、なにかにヒタヒタとおいかけられるような日々がはじまったのは、家族をもつもたないとは関係なさそうな時期からだったという気がしています。そのころから歳月は問答無用にふりつもって、いつのまにか、十年前、二十年前といった深さで過去をサクッとほれるようになっていて、俺にはまだ人生とよべるものなんてない気がしているので、ほんとうにおどろかされます。

〈失われた三十年(四十年?)〉を生きてきた世代の乾いた閉塞感、家族も含む人間関係の希薄さ、自分にはコントロール不可能な〈自分以外の何か〉によって個人的生活が変わってゆく無主体性といったものを体現しているようなこの小説の文体には共感をもつ。ぼくにとって非常にリアルな現代小説である。