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昨日に続き、千葉雅也「エレクトリック」について。

ネタバレを気にするような小説ではないが、内容に触れるので未読の方は注意。

 

この小説にはいくつも「仕掛け」があって、あちこちにキーワードが埋め込まれているな、という感覚はある。しかし、そういうのを詮索するのはあまり楽しい読み方ではないので(そういう読み方が好きな人を否定する気はない)、敢えて大雑把に読んでみる。

いくつかの読み方がある。家族小説でもあり、ステレオ小説でもあり、ゲイ小説でもある。「ステレオ小説」の部分については知識もないし、音楽専門誌がその部分を特集するらしい。「ゲイ小説」の部分は、核心部でもあるのだが、自分はこれについて語る言葉を持たない。そこで、最初の「家族小説」の部分について書く。

舞台は1995年。主人公は高校二年生。オウム事件や神戸の震災、明示はされないものの明らかにアニメ「エヴァンゲリオン」についての記述があるから、この時代設定はほぼリアルである。作中には、10月22日(日曜日)という具体的な日付の記載もある。

主人公(志賀達也。以下「達也」)の家は、両親と妹、そして父方の祖父母が同居する、6人家族として暮らしていて、まあ現在の基準からみれば大家族と言えるだろう。

父と母は高校時代から付き合っていて、父は写真の専門学校、母は東京の美大に進学した。東京から地元の宇都宮に戻って結婚。

父は印刷会社を辞めてフリーのカメラマンになり、祖父母の援助を受けて自宅に隣接するスタジオを構える。バブル期に羽振りがよくなり、宇都宮の中心部に事務所を借りて仕事するようになったので、スタジオはもう撮影の仕事には使われていない。その白い建物は、今では父の趣味であるオーディオの組み立ての作業場になっており、父はそこで一人で寝るようになっている。

母は、父と結婚して父の両親と同居するようになったが、潜在的な緊張関係にあり、時々その対立は鋭く表面化する。といっても直接喧嘩するわけではなく、母は達也が祖父母の側についたりして家の秩序を乱すことを極端に嫌がるのだ。父はそんな母の機嫌を損ねないように意を尽くし、そのためなら子供たちを責めることも厭わない。

達也には妹が生まれたころの記憶がなく、両親がいつからバラバラに寝るようになったのかもはっきりしない。達也は、妹が生まれたことで母の愛情が奪われたような気分を味わったのを微かに記憶している一方で、妹にはなぜか一種の罪悪感のようなものを抱えている。

達也は父のことが大好きだ。友達のような感覚で、父が仕事から帰宅したら、一日のあらゆることを話したい。父を英雄視し、自らを「王位継承者」と自負している。だから、父が母に媚びたような態度を取ることを悲しく思う。表面的にそう振舞っているのだ、というのではなしに、どうやら父は母のことを本気で恐れている。ちなみに母は家族の誰から見ても美人だ。母は絵が上手い。自分の真っ黒な机で画を描くのが趣味だ。子供たちには触るのを許さない画材を持っている。

この家族は、一見何の変哲もない、平穏な日常を過ごしている。しかしそれは「冷ややかで、つるっとした、透明な平穏さ」である。達也が鋭敏に感じ取っている違和感を象徴するものとして、今は父の隠れ家的に利用されている白い「スタジオ」の存在がある。ここで父はオーディオの趣味に没頭し、唯一にして最大の取引先の社長に取り入るために「ウェスタン・エレクトリック」のスピーカーを補修している。

母は、父の仕事や趣味に(表面上は)理解を示しながら、唯一血のつながっていない他人としてやってきたこの家の秩序を保つことに全力を注いでいる。それは無秩序と混沌に陥りそうになる祖父母の磁場から親子四人の世界を懸命に守ろうとしているかのようだ。だから母には秩序からの逸脱行為が許せない。子供たちはどうしても自分の味方でなければならないし、祖父母の非難を招く子供の行動(妹の喫煙行為のような)は隠さないといけない。

達也は、一つには好奇心から、また身体の内部から湧き上がる衝動に突き動かされて、父の意向で自分の部屋にインターネットがつながったのを機に、掲示板とチャットのある同性愛者のサイトを毎夜訪れるようになる。

つづく