INSTANT KARMA

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Swan Songbook

これまで何度も触れてきた行きがかり上、今日放送されたTFM「山下達郎のサンデー・ソングブック」での山下達郎による発言についても簡単に感想を書く。

 

山下達郎のスピーチ全文】(太字は引用者(私)による)

この度、私のオフィス・スマイルカンパニーと業務提携をしていた松尾潔氏が契約終了となり、そのことで私の名を挙げたことで、ネットや週刊誌等でいろいろ書かれております。私はツイッターフェイスブック、インスタグラムといったものを一切やっておりませんので、ネットで発信することができません。そのため、私の唯一の発信基地である『サンデー・ソングブック』にて、私の話をみなさんにお聞きいただこうと思います。少々長くなりますが、お付き合いください。

まずもって、私の事務所と松尾氏とはですね、彼から顧問料をいただく形での業務提携でありましたので、雇用関係にあったわけではない。また、彼が所属アーティストであったわけではなく、解雇にはあたりません。弁護士同士の合意文章も存在しております。松尾氏との契約終了についてはですね、事務所の社長の判断に委ねる形で行われました。松尾氏と私は直接話をしておりませんし、私が社長に対して契約終了を促したこともありません。そもそも彼とは長い間会っておりません、年にメールが数通という関係です。

今回、松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して、憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因となったことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。ほかにもいろいろあるんですけど、きょうこの場で触れることは差し控えたいと思います。ネットや週刊誌の最大の関心事はですね、私がジャニーズ事務所への忖度があって、今回の一件もそれがあって関与したのではという、根拠のない憶測です。今の世の中は、なまじ黙っていると言ったもの勝ちで、どんどんどんどんウソの情報が拡散しますので、こちらからも思うところを、正直に率直に、お話しておく必要性を感じた次第であります。

今話題となってろます性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは漠然としたうわさでしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時、ビジネスパートナーはジャニーズの業務を兼務しておりましたけれど、マネージャーである彼が、いちタレントである私にそのような内情を伝えることはありませんでした。性加害が本当にあったとしたら、それはもちろん許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば、第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須であると考えます。

しかし、私自身がそれについて知ってることが何もない以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまで、いち作曲家、楽曲の提供者であります。 ジャニーズ事務所は他にもダンス、演劇、映画、テレビなど業務も人材も多岐に渡っておりまして、 音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情など、まったく預かり知らぬことですし、まして性加害の事実について、私が知る術まったくありません。

私は中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聞いて、私はとても感動して、この『サンデー・ソングブック』でも特集したことがあります。1970年代の末に、私の音楽を偶然に聞いたジャニーさんに褒めていただいて、そのご縁で数年後に私のビジネスパートナーが近藤真彦さんのディレクターとなったことから、「ハイティーン・ブギ」という作品が生まれました。その後もジャニーズに楽曲を提供する中で、 多くの優れた才能と出会い、私自身も作品の幅を大きく広げることのでき、成長させていただきました。

たくさんのジャニーズのライブに接することができたおかげで、KinKi Kidsとの出会いがあって、そこから「硝子の少年」という作品を書くことができて、昨年の「Amazing Love」まで、彼らとの絆はずっと続いております。

芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界、会社、組織でもそれは変わらないでしょう。

人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません。私の人生にとって1番大切なことは、ご縁とご恩です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが、戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては、すばらしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁をいただいて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えていただいたことに心から恩義を感じています。

いち個人、いちミュージシャンとしてジャニーさんへのご恩を忘れないことや、それから、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的、倫理的な意味での性加害を容認することとは全くの別問題だと考えております。 作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。アイドルたちの芸事に対するひたむきな努力を間近で見てきたものとして、彼らに敬意を持って接したいというだけなのです。

ですから、正直残念なのは、例えば、すばらしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして…と疑問に思います。私には何もわかりませんけれど、とっても残念です。願わくば、みんなが仲良く連帯して、すばらしい活動を続けていってほしいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループもみんな末永く活動していってほしいと思うばかりです。

先日、男闘呼組の再結成といううれしいニュースがありましたが、同じようにいつか、近い将来、SMAPや嵐、キンプリの再集合も実現するような日が来ることを、竹内まりや共々に願っております。性加害に対する、さまざまな告発や報道というのが飛び交う今でも、そして彼らの音楽活動に対する、私のこうした気持ちに変わりはありません。

私の48年のミュージシャン生活の中で、たくさんの方々からいただいたご恩に報いることができるように、私はあくまでミュージシャンという立場からタレントさんたちを応援していこうと思っております。彼らの才能を引き出し、良い楽曲を共に作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。

ま、このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。

以上が今回のことに対する私からのご報告です。長々失礼しました。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

この文章は弁護士の手が入ったものであることは100%間違いない。というより基本的に弁護士が書いたものに山下自身の見解を加えたものだろう。

そして山下が加えたのは、

芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界、会社、組織でもそれは変わらないでしょう。

人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません。

私の人生にとって1番大切なことは、ご縁とご恩です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが、戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては、すばらしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁をいただいて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えていただいたことに心から恩義を感じています。

というところだろう。ここは法律的に見ればほとんど無意味だが、山下にとってはジャニーズ事務所への忠誠心を示すために不可欠な部分だ。

全体として、この文章はジャニーズ事務所の方を向いて書かれており、加えて、山下の音楽を熱心に聴き続けているファンに対して書かれている、というニュアンスが強いのは、山下が書き加えた部分によるものであろう。

山下がジャニー喜多川の性犯罪を知っていたはずなのに黙認していた、という批判はそのまま松尾潔自身にも返って来るので、あまり説得的ではない。

山下と松尾の最大の違いは、今回の騒動の発端となった今年放送されたBBCのドキュメンタリーを見たかどうか、という点である。

山下も、山下の妻も、スマイルカンパニーの幹部も、該番組を見ていない。これは断言できる。見ていれば、そしてそれに続く被害者たちの会見や、先週の服部吉次のインタビューを読んでいれば、このような言葉は吐けないはずだからである。

あのドキュメンタリーとそれに続く被害者たちの外国人記者クラブでの告発会見により、この問題の潮目は決定的に変わった。それまでは(司法判断でも事実と認められていたにも関わらず)「たんなる噂と憶測」で片づけられていたものが、国際基準による明確な「性犯罪」というレッテルを貼られた。

これにより世間のジャニー喜多川を見る目が完全に変わったが、その後の対応ぶりを見る限り、そのことを山下もジャニーズ幹部も認識できていなかった。

「身内の罪を甘めに考える」というバイアスの存在は無視できないし、ある程度正当なものでもある。今の山下を正当に批判する資格があるのは、自分と緊密な人間関係にあり、信頼している人間の犯罪への告発を直視できる者だけだ、ということは念頭に置くべきだろう。

率直な個人的感想を言えば、今回の一連の流れを通じて、山下達郎が既に終わったミュージシャンであり、若い頃は反体制などと嘯きながらいつの間にかエスタブリッシュメントの中心に位置するようになった団塊世代の成功者たちの典型例であることを再確認した。これは山下に限らず、山下と同世代の多くの表現者たちに当てはまることである。偶々山下がジャニー喜多川という稀代の天才的犯罪者との繋がりがあったが故にこういう形で露わになったに過ぎない。そういう人々に対して、私は今では憎悪はなく、軽蔑の念を覚えるのみである。そういう心境に至ったのには自分の年齢や社会的状況が与っている。

このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。

という部分も、山下の偽らざる本音であろう。

彼はもう、新たなファン層を遮二無二拡大する必要などなく、これまでの彼の伝説的な仕事を崇拝する人々(そしてその数は年を追って増大してきた)に対して忠実に振舞っていれば残りの人生は十分に逃げ切れるのだから(考えてみれば、ここ数十年の彼の主要な仕事は旧作のリマスタリングの執拗な繰り返しでしかない)。

数日前に自分が妄想したスピーチは、まあ大きくは外していないが、60点くらいといったところで、今日山下が読み上げたスピーチの方が遥かに洗練されているし、社会通念上さまざまな意味で妥当なものだと思った。

追記:

案の定ネット上では批判の嵐だが、何を語っても〈詰んでいる〉状況である以上これは当然予想されることで、重要なのは「誰に向けて」何を語ったのかということ。

ジャニーズ事務所やそれに関係する〈エスタブリッシュメント〉向けのメッセージとしては妥当だったことに変わりはない。社会全体に向けたメッセージとして妥当なものだったか否かは、今後の事態の進展により決まるだろう。