INSTANT KARMA

We All Shine On

The Street Sliders年譜(1987年~2000年簡易版)

1987年(昭和62年)

1.21 8thシングル「Boys Jump The Midnight」リリース

1.30    初の日本武道館公演「天国と地獄」。

似合わない、らしくない、などという世間のタワゴトをモノともせず「場所なんて関係ない」とメンバー

翌日、武道館ライブのミックスの為、ベルリンに飛ぶ。エンジニアは、マイケル・ツィマリング。

3.21 6thアルバム(初のライブアルバム)「THE LIVE!」リリース

4.3    芝浦インクスティック「Slippin' And Slidin'」。ストーンズなどのカバー曲のみのGIG。雑誌「宝島」FC会員1万人達成記念イベント。なにを隠そう一番喜んだのは子供たちより大人ファンクラブの方だった。

4月~    全国TOUR「THE LIVE」

6.22 水戸市民会館

7月~    渡英。クラッシュやトッパー・ヒードンなどを手掛けていたジェレミー・グリーンと7thアルバムのレコーディング

7.22 9thシングル「EASY ACTION」リリース

8月 オフとフォトセッションを兼ねて香港へ飛ぶ

10.1    7thアルバム『BAD INFLUENCE』リリース。オリコン初登場3位。

ZUZU (鈴木将雄、ドラム)が交通事故で入院。10月から予定していた全国50ヶ所のTOURはすべて中止。バンド活動は休止状態となる。

(ZUZUのインタビューより)

10月からのツアーに向けてのリハーサルの帰りに車に横から突っ込まれたかたちになるんですよ。9月26日。そんときにバイクのマフラーと車のフロントのフェンダーに脚をはさまれて、それがちょうど足首だった。ぶつかった瞬間は全然なんともなかったっていうか、痛みもなくて。で、もう頭来ちゃってね、『馬鹿野郎!』とすぐ起き上がって文句言ってやろうと思って。で、起き上がろうとしたら脚が動かなかった。…病院運ばれて、診たら『折れてます』。複雑骨折。…次の日にうちのマネージャーとレコード会社関係の人がゾロゾロ来て、『しょうがないから、仕事のことは考えずに休め』みたいなこと言われて。そのときに、ツアーはキャンセルするって話を聞かされた。メンバーみんなは、やっぱり4人でやりたいからって意見がまとまって。『別なのを入れてやる気はないから』って言ってくれたんで、一応その場は納得して。…

(入院してる最初の一週間くらいは)振り返ったりしてたね。バンドが終わっちゃうんじゃないかみたいな気分になっちゃって。俺ができなきゃスライダーズとしては成り立たなくなってしまうし。別のタイコ入れてやるって言ったって大変なことだし、また一からやり直しみたいな感じでしょ。そうなると、やっぱりスライダーズとしては終わっちゃうし、みたいなことを考えてしまうのね、寝てると。

手術してレントゲンとか見て、すごい安心したっていうか。なんか治るんじゃないかって。…自分自身だと思うのね、ああいう時って。どれだけ強く自分を信じていられるかっていうか。そこだけっていう。誰の言葉も通用しない世界だから。『バンドは休んで大丈夫だから』とか、そんなの言われても駄目。とにかく自分が何かで安心とかね、自分自身を信用できない限りは多分駄目。だからレントゲン写真っていうのが引き金っていうか。一気にスーッと不安とかが取れて、前向きになったみたい

(ジェームスのインタビューより)

たまたま僕とズズがメシでも食おうって出かけてて、で、その後だったんですよ。別れた後に連絡が入って…。最初は信じられなかったしね、なんか。で『あん時メシを食わなければ…』とか『もっと早く帰ればなあ…』とかね

次の日、僕は病院行ってみてきましたけれど、わりかし元気だったんで…まあ、足のケガだけで済んでよかったって感じでしたね、正直なところ

今回もズズの代役って言うのは考えられなかったし。もう微妙なんですけど、ズズの代わりにたとえチャーリー・ワッツが叩いてもやっぱりダメでしょうっていうね。同じフレーズを叩いたとしても、その曲に対する説得力と愛情と思い入れが違いますよね

(蘭丸のインタビューより)

ツアーができなくなってずいぶんたってからだけどね、酒飲んじゃってね。行きすぎたりして…事務所の方々に飲み過ぎて迷惑かけたり。階段から落ちたりとか、そういうことがあったんで。病院に入れられたり。…甲斐プロジェクトでやってる辺りからひどくなっちゃった

ヨガやってみようかと思ったんだけどね(笑)。きっかけがつかめないまま…でも、本を集めたりね、読んでみたりはしたんだけどね…いまいち信じ切れずに、酒を飲んでしまうという(笑)

二三日前にスタジオで音出したんだけど、半年ぶりに。その時は感動したけどね。すごい興奮した。全身ビリビリに。これなんだよなあって感じ。ズズも思ってたより叩けるし。大丈夫だよ

10月 ハリー、「風が強い日」のビデオクリップ撮影のためバリ島へ飛ぶ

11月~12月    蘭丸、甲斐よしひろ KAI YOSHIHIRO & PROJECT K「STRAIGHT LIFE TOUR」にゲスト参加

11.21 10thシングル「風が強い日」リリース

12.31    HARRYとのアコースティック・ユニット Joy-Pops初ライブ。名古屋レインボーホール「R&R BAND STAND」


1988年(昭和63年)

1.21 11thシングル「Baby、途方に暮れてるのさ」リリース

2.12 ZUZU退院後、初のリハーサル。ジャムセッションで再始動。

2月 初のベスト・アルバムのリミックスのためハリーと蘭丸がNYへ飛ぶ。

  エンジニアはミック・ジャガーのソロアルバムを手掛けたEd Stasium

3.21 12thシングル「Don't Stop The Beat」リリース

4.10    復活の日。汐留PITにてNHK「MUSIC WAVE」収録ライブ。RCサクセション、エレファント・カシマシとの初共演

4.25~   「ROCK'N ROLL DEF'」TOUR再開。 全国60本の強行軍

4.30 13thシングル「Too Bad」リリース

6.10 水戸市民会館

6.22 初のベスト盤「REPLAYS」リリース

8月    福岡・名古屋・大阪・日本武道館2days「ROCK'N ROLL DEF' SPECIAL」

   巨大なタージマハールの真っ白なステージでGIG。

9.21 14thシングル「ありったけのコイン」リリース

10.2 4thビデオ「ROCK'N ROLL DEF' SPECIAL」リリース

11月  レコーディング終了後、メンバー一同インドへ飛ぶ。本物のタージマハールの前で昼寝。

(インドの印象)

かなり色々よかったから…地名は思い出せないんだけど、引っ込んだとことかね。わりとタージ・マハールのようなのは良くなくて。…周りの町の景色を見てるだけでも面白いって感じで。どす黒い赤とか、からし色とか、建物は黒光りしてましたね(ハリー)

うーん、やっぱりインドだなあ(笑)それじゃわからねえか。ボーっと考えたりできてよかったなあ、と。ツアーなんかだと、やっぱりインナー・トリップしてるヒマがないからね。(これは忘れられないというかよかったことというと)インド/ネパールの国境を車で越えたこと、ベナレスのサルナート、それとガンジス河。あとは、ハリーとゆっくり話をした、それぐらいかな(蘭丸)

11.24 TV番組「eZ」の年末特番用の企画で、エレファント・カシマシの宮本浩次とハリーがワン・ショット撮影で6分間の「お見合い」をする。撮影中二人とも一言も発せず。

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12.26 大人ファンクラブへ「いつも仕事ばかりの大人達へのXmasプレゼント」というGIGを行う。ストーンズチャック・ベリーのナンバーを新宿POWERSTATIONで披露(共演くじら)。

 

1989年(平成元年)

1月~    全国TOUR「BACK TO THE STREET」

1.5 ツアー初日 群馬県前橋市

ライブの開始時間は午後7時。仕事終わりでも来れるようにとの配慮から。

1.11 15thシングル「Baby, Don't Worry」リリース

1.21 9thアルバム「SCREW DRIVER」リリース

2.19 武道館

3.13  函館

3.21 5thビデオ「MADE IN JAPAN」リリース

4.18 水戸市民会館

4.23 福島市公会堂

4.28 八王子市民会館でツアー終了

久々のメンバーのワガママにより4人それぞれが充電期間に突入。

ハリーはJOY POPSの初レコーディング、蘭丸はJOY POPSとソロのレコーディング、と創作意欲に燃え、単身で2度目のインドへ旅立ち、ジェームスはロンドンで2か月武者修行、ZUZUはレコーディング後に姿を消す。

6.4 姫路城で「姫路・シロトピア」のイベント出演(共演MALTA

7.3蘭丸、芝浦インクスティックでおこなわれた「Anniversary of BRIAN JONES」に出演

8月 ローリング・ストーンズの「スティール・ホイールズ・ツアー」を見にハリー、蘭丸、ジェームズがアメリカに飛ぶ(ズズは親戚の不幸で行けず) 

11.1 6thビデオ「Hot Beard LIVE DOCUMENT」リリース

12.9 3枚組限定シングル「ROUTE S.S」リリース

12.31 福岡国際センター「R&R Band Stand」JOY POPS

 

1990年(平成2年)

2月~    結成10周年。「GIG'90 ROUTE S.S.」全国TOUR 初日沼津市民文化センター

名古屋(3.10~11)、大阪(3.19~20)、日本武道館(3.15~16)、福岡(4.22~23、2daysの会場では、1日目「こどもの日 Rock'n Roll Night」、2日目「大人の日Choice of Ballad Night」というステージを展開する。

youtu.be

(音楽誌のライブ・レポートより)

正直なところ現在の彼らは非常に良い状態であると断言する。彼らは今、長くしかし着実だったこれまでのステップを総括し、いよいよ新しい次元へと駒を進めつつあるのだ。そして、このような息の長い成長を続けてきたバンドは、かつて日本にはいなかったのである。そう、彼らが偉大な点は、急務による付焼刃的な変化を一切拒否し、あくまで純粋培養による自然な成長を大事に大事に育み続けてきたことなのである。スライダーズは今や、かつての日本のどのバンドにもあてはまらない、孤高の道を歩んでいるのかもしれない。そして、そこにファンの盲従でない信頼がきちんとついてきているところが、また素晴らしい点でもある。

この両日も、最終曲が終わり、メンバーが引っ込むや否やすぐさま客電がつきBGMが流れ始めた。普通のライブならこれが本当の終わりを意味するわけだ。だが一日目、観客は帰らずアンコールを叫び続けた。そして、一部スタッフが片付けを始める中、再びメンバーが登場し明るいまんまの中でもう一曲だけ演奏したのである。これが本来のアンコールの姿なわけだが、これがきちんとまかり通っているのは今やスライダーズのライブくらいだろう。いい演奏には惜しみない声援を送り、不出来のときは拍手もそこそこにサッサと帰る。スライダーズのライブは、馴れ合いではないバンドとリスナーの本当の信頼関係が存在する数少ない場所なのである。そして、その関係をここまで維持し続けてきた真面目さが、いよいよ一つの花を咲かせる時を迎えつつある。・・・結成10周年のスライダーズはまだまだ歩み続ける。

4.7 水戸市民会館

5.6 GW最終日、代々木第一体育館で7つのバンドが参加するイベントで演奏

5.19 宇都宮市文化会館

5.20 福島市公会堂

6.2~6.3    「はじめての野音 Get Wet When It Rains」“雨が降ったら濡れれればいいさ”約4年振りの日比谷野外大音楽堂

7月~    渡英、レコーディング

9月~    「BIG BEAT, DANCE '90-'91」全国TOUR 初日八王子市民会館

ツアーが始まったというのにレコーディング熱が醒めず、ロンドンからエンジニアSteve Jacksonを呼び、東京でレコーディングを続行する。 

9.1 8thビデオ「Get Wet When It Rains」リリース

9.5 浦和市文化センター

10.21 17thシングル「COME OUT ON THE RUN」リリース

12.21 2年ぶりの10thアルバム「NASTY CHILDREN」リリース

タイトルは直訳すると「機嫌の悪いガキドモ」「下品な子供たち」といった意味合いだが、ハリー曰く「強いて言えば俺たちの周りにいる大人なんてNASTY CHILDRENみたいなもの、という感じかな」。

12.21 水戸市民会館

12.22 宇都宮市民文化会館

12.31 Live TOMATO '90~'91 SPECIAL  "TVK PATI - PATI TOMATO" 新宿コマ劇場


1991年(平成3年)

1.6    「BIG BEAT,DANCE Special」第6回 日本武道館公演。ステージ・ビジュアルにタナカノリユキ氏を起用し、どでかい骨で構成された額縁の中でステージする。

1.26 札幌市民会館

1.30    「BIG BEAT,DANCE」TOUR 終了後、THE STREET SLIDERSは冬眠に入る

2.10    蘭丸、多国籍BAND「TOKYO ACOUSTIC NITE Vol.5 "新春スペシャル"」に参加。「多国籍バンド」で三宅伸治らと共演(忌野清志郎も参加)

3.21 9thビデオ「Children's Children」リリース

4月~    蘭丸、かねてからの文通友達だった仲井戸麗市とひそかにスタジオでセッションを重ね、「麗蘭」を結成。スタジオでのセッション、全国TOURへと発展させる。TOUR『麗蘭との夕べ』は、全国32回。当時のRCサクセション仲井戸麗市の所属レコード会社は東芝EMIThe Street Sliders土屋公平はEpicソニー所属だったが、双方の会社の理解と協力を得た。当初LIVE TOURだけの予定が、LIVE VIDEO『Welcome Home』(Epicソニー)、ファーストアルバム『麗蘭』(東芝EMI)を発表。

 

1992年(平成4年)

3.1 「RARE TRACKS」リリース。眠っていた12インチを主にアナログ盤のCD化。

3.25 「BIG BEAT,DANCE ’91」発売。91.1.6の武道館ライブの模様。

4.9    蘭丸、【麗蘭】満一歳LIVEを新宿日清POWER STATIONにて行う

 蘭丸、尾上文「ポエトリーリーディング&LIVE」に友情出演

10月    蘭丸、甲斐よしひろ「KAI HISTORY LIVE」にゲスト出演

1993年(平成5年)

2月~    スライダーズ・デビュー10周年「沈黙の答え」限定地区の10YEARS LIVE

2.18 グリーンホール相模大野

3.6 日本武道館

5月    蘭丸、10年来の旧友・P.J. をVocalに迎えて、The 99 1/2 始動。

7.7    麗蘭2nd SINGLE『マンボのボーイフレンド』

9.22    The 99 1/2の1stアルバム「The 99 1/2」リリース


1994年(平成6年)

4月    3年ぶりの全国TOUR「不滅」

4.6 グリーンホール相模大野

4.28~29 名古屋ダイヤモンドホール

5.29 栃木県総合文化センター

6.13 水戸市民会館

7.6 「Tour Special D-D-DANCE」NHKホール 

秋    4年ぶりにスタジオに入りニューアルバムをレコーディング

12.23~25    麗蘭、年に一度の恒例となる京都磔磔LIVEスタート。

 

1995年(平成7年)

3.24 18thシングル「FEEL SO BAD」リリース

4.1~   全国TOUR'95「GREEN DRAGON」初日千葉文化会館

4.4 神奈川県民ホール

4.6 八王子市民会館

4.11 埼玉会館

4.14 グリーンホール相模大野

4.17 栃木県総合文化センター

4.19 水戸市民会館

4.21 通算12枚目のアルバム「WRECKAGE」発売

4.24 前橋市民会館

5.7 大阪城野外音楽堂

5.13 新潟テルサ

5.15 富山県教育文化会館

5.21 釧路市民文化会館

5.23 音更町文化センター

5.24 旭川市民文化会館

5.25 札幌市民会館

5.28 姫路市市民会館

6.2 仙台電力ホール

6.11 浜松フォルテホール

6.17 NHKホール

6.18 NHKホール

6.20 青森市民文化ホール

6.21 秋田県児童会館

6.22 岩手県民会館

6.26 京都会館第2ホール

7.2 久留米市民会館

7.3 鹿児島市民文化ホール

7.4 長崎市民会館

7.10 岡山市民文化ホール

7.11 高松オリーブホール

7.12 高知キャラバンサライ

7.14 金沢市民文化ホール

7.18 広島アステールプラザ

7.19 愛知県勤労会館

8.2 スライ&ロビーによるリミックス「WAVE95」マキシシングル

10.1 2枚目のライブアルバム「GET THE GEAR」リリース

12.20    第8回 日本武道館公演「Rock'n Loose Night」


1996年(平成8年)

1月    「Vs,」と銘打った日清パワーステションでの6DAYSのR&Rイベントを行う

7月    神戸チキンジョージにて関西版「Vs,」イベントを行う

7.25   福岡市民会館でのイベント「ROCKだぜ!」に出演(他の出演者は忌野清志郎リトルスクリーミング・レビュー、thee michelle gun elephantエレファントカシマシ

8.23   メイフィアプラザ仙台WASSEでのイベント「ROCK'N ROLL CIRCUIT」に出演

8.25   札幌芸術の森野外ステージでのイベント「GOOD STOCK'96」に出演

(他の出演者はCHABO BAND、忌野清志郎リトルスクリーミング・レビュー、thee michelle gun elephantエレファントカシマシ、THEATRE BROOK

8.27   東京ビッグサイト西棟屋上にて「DANCE Roof DANCE」を行う

8.29   名古屋センチュリーホールでのイベント「Rock'n Roll Japan」に出演

(他の出演者はTHE HIGH LOWS, The Blanky Jet City)

9.21 20thシングル「On The Road Again」リリース

10.21 21thシングル「Can't Get Enough」リリース

11月~    全国TOUR '96「Knockin' On Your Door」初のアコースティック・コーナー

11.21 通算14枚目のアルバム「NO BIG DEAL」、LIVE VIDEO「1996 BIG SIGHT LIVE」

11.22 札幌市民会館

12.18 NHKホール

 

1997年(平成9年)

4.25    KBC(九州朝日放送)「ザ・ニューミュージック」20周年記念LIVEに参加

   福岡DRUM LOGOSでアンプラグド・ライブを行う

10.10~    全国LIVE HOUSE TOUR「S・S EXTRA HOUSE MEETING」を行う

10.14 赤坂BLITZ

11月   蘭丸、Charaのライブ「Junior Sweet」@NISSIN POWER STATIONにゲスト出演

11.21 22thシングル「Shinin' You」リリース


1998年(平成10年)

4.1 2枚組ベストアルバム「HOT MENU」リリース

6.20~21    4年に1度の日比谷野音「Hey!Mr.」DISK GARAGE'S PLAN LIVE '98

7月~    「EVENTER'S PLAN LIVE '98」各地で行う。各地イベンターに身を預け、場所、日時、タイトル、各地イベンターのプランによるライブを文句も言わず展開

7.20 水戸ライトハウス

8.21 23thシングル「Get Up & Go」リリース

10.31 15周年記念ビデオ2本(「Early Sliders LIVE1983-1987」、「SLIDERS on eZ TV」同時リリース

12.16 第9回武道館公演 リクエストを募りメンバーがそれに応えるライブ 


1999年(平成11年)

9.19    LIVE'99「A TUT, YAON」日比谷野外大音楽堂

4年に一度の野音のはずが、ハリーの「毎年やりてぇな」の一言で今年から定番になるはずだったが…

他、名古屋、大阪、福岡でも「A TUT,TOUR」を行う

10.30  「PIA Music Foundation とんと、ご無沙汰。2」THE STREET SLIDERS VS GRAPEVINE at 新宿LIQUID ROOM を行う


2000年(平成12年)

3.5    BAND結成20周年。この日から毎月5日、新宿LIQUID Roomにて4ヶ月間マンスリーLIVE「THE LATE SHOW」をTwilight Stgae、Night Stage(22時~)の1日2stageで行う。

8月 バンド活動の停止、解散を発表。

10.29   日本武道館公演「LAST LIVE」。デビュー以来、679回目のLIVE。結成20年デビュー17年の活動に幕を降ろす。

花火打ち上げようにも

火薬が底をついちまった。

俺のスライダーズは

とっくに終わっていたんだよ。

ない袖は振れないってね。

(ハリー)