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Tangled Up In Sex

雨宮まみ「女子をこじらせて」を読んだ。

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吉田豪が彼女を高く評価していて、「感受性の高さゆえにとにかく生きづらそうで、でもその危うさをちゃんと文章化できる人だった」「自分の身体を切り刻んで原稿を書いているように見えた」と書いている。

「生きる」ことのしんどさに加え、「女子」であることのしんどさ、性欲をこじらせることのしんどさなどについて熱く饒舌に綴られる文体はまるでドストエフスキーの「地下室の手記」を読んでいるときのような「読むのがしんどいけどやめられない」感覚を呼び起こす。

こういう書き手の〈業〉を感じさせる自家中毒的な文章を読んでいると作者のことが心配になる。これは結果論になってしまうが、山田花子の「自殺直前日記」に似たバイブスをどうしても感じざるを得ない。

こんな風に一歩引いた感想を持ってしまうのは、やはり自分が「女子」ではないからではないかと思ったのだが、もう少し考えていくと、〈生(性)への愛〉の度合いの問題ではないかとも思った。自分はもう雨宮ほど人生に期待せず生を愛していないのだと気づかされた。

雨宮はこの本の「あとがき」にこう書いている。

好きな人とキスできる人生とできない人生だったらどっちがいいか、それを考えたらたとえどんなに傷つくことが待っていようと、私は何度でも、キスできる人生を選びます。そしてあわよくば傷つくとかナシでハッピーエンドを迎えられるように知恵を振り絞って画策します。

獄中のネルーが娘に世界の歴史を教えるために書き送ったように、雨宮が弟にAVの本当の素晴らしさを教える体で書かれた「弟よ!」というブログにもこんな風に書いている(SNS時代になってしまってから文才のある人が無償でこんなにも熱い文章を書いているブログというものが無くなって久しい)。

あなたは、どんなセックスがしたいですか。どんな人と、どんな風にしたいですか。一度でも、思ったとおりのことを全部人にやってもらったり、自分が相手の欲望をほぼ完全に満たせたと思えることが、ありましたか。その欲望は、凶暴ですか。健全ですか。年末年始、私はあなたに、二村監督の作品を、一本でいいから観てみてほしい。天衣みつの「接吻、密室、天衣みつ」や、「姉たちに犯される!」や、そういう作品を観て、自分がどう感じるのか、なんにも感じないのか、自分の性欲のありかを探るような気持ちで、観てみてほしいです。ある種の人たちは、二村作品を観ることで、自分の中のなにかに否応なく向き合ってしまうと思う。

でも、弟よ! 私はおまえにそのことをおそれないでほしい。向き合わずに、知らずに生きていくことが、私は幸せだとは思いません。傷つくことは、不幸ではない。なにかにつらいほど憧れることも、不幸ではない。私は、性欲と戦わずに無傷で死ぬことも、拳ひとつで戦場に走り出て傷だらけで犬死にするのも、不本意な傷を追うのも、いやです。ちゃんと自分で防具をつけて、自分の持てる重さの武器を持って、まわりに目を配って、殺さなくていい人を殺したり、自分が傷を負わなくてもいいところで負ったりしないように、しっかり周囲を見たい。そして、どうしようもなくて負った傷のことは後悔せずにいたいです。

恋愛やセックスのもたらす喜びを享受し尽くすことをこれほどまでに深く求めている人なら、雨宮まみの書くものは心にグッサリと刺さるだろう。雨宮の本をフェミニズム的な観点から読むことはもちろん可能だが、自分は人生に対し過剰な期待と欲望を抱えてしまっている情念の持っていき場を求めてあがいているすべての人のために書かれている本として読んだ。

youtu.be

We always did feel the same

We just saw it from a different point of view

Tangled up in blue

俺たちはいつも同じことを感じていた

違う視点から見ていただけなんだ

ブルーにこんがらがってさ