INSTANT KARMA

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夢ねじ日記

今朝職場のPCのスイッチを入れたらmedia checking nantara kantaraとかいう表示が出てまったく起動しなくなり焦りまくった。

電源を入れたり切ったり1時間ほど繰り返しているうちに起動するようになったが、こんな風に突然クラッシュされると何もかも上がったりになって今日から路頭に迷いかねない怖さを感じた。

あらゆる場面でアプリとかパスワードとか要求され、時代についていけなくなっている感が強い。実家の母がやっていたファンドラップとかいうやつの残高報告を見て真っ青になる。慌てて証券会社の担当の人に電話したら、2022年の4月ころから下がっているのだという。それは国際情勢の影響ですか、と聞いたら回答されたが意味が分からなかった。年末あたりから毎月日用品や光熱水費がどんどん値上げされている。生活がどんどん追い詰められて気が付くと灯火管制で配給制とかになっている可能性が高い。

忌野清志郎の警告が現実となり、そんな時代にサヨナラするかのようにスタイリッシュなアーティストたちがあの世に旅立っていく(あの世なんてものは存在しないのだが)。

フロイトの夢判断を読んでいるので夢の分析をしたくて仕方がないのだが夢を見たのを全く覚えていないのがくやしい。書き留める前に忘れている。これ自体が何かの抑圧かもしれないと思う。自己の夢を分析することを無意識に抑圧している。

仕方がないのでつげ義春がラーメン屋の二階で昼寝しているときに見た夢を漫画にしたら大傑作と評価されて本人が戸惑ったという「ねじ式」を夢判断してみたい。

上半身裸の少年がメメクラゲに噛まれて海から上がって来る。空には黒い飛行機が飛んでいる。静脈が切断され血が流れているので右手で左腕を押さえながら海辺の道を歩いていく。医者を探しているのだと訴えても誰も耳を貸さない。不安は次第に高まる。

草むした線路沿いを歩きながら、腕の傷に蠅がたかり、腕が腐り始めているのを感じる。線路の向こうからやって来た、キツネのお面を被った子供の運転する機関車に乗せてもらうが、汽車は元の村に引き返してしまう。再び医者を探して村を彷徨うが、目につくのは眼科医の看板だけである。

少年は、金太郎飴を製造販売する一人の老婆と出会う。医者を探していることを告げると、老婆は自分のビルにも女医がいるという。少年は自分の母も金太郎飴を製造していたことから、自分の生まれる以前の母ではないかと問うが、訳は言えないと泣かれ、その秘密は桃太郎と金太郎のデザインにあると納得する。

暗い通路を通って、廃墟のような庭を抜けると、和服の女性が額帯をつけ、机の前で酒を飲んで座っている。窓の外には戦闘中の軍艦三笠が見える。少年は手術してほしいというが、女は私は女医だからと断る。

少年と女医は裸になって蒲団にくるまる。明らかに性交している場面の中で台詞は腕にねじをつける手術をしていることになっている。

少年はモーターボートの後部席に座って海を疾走する。背後に山々と海岸線が遠ざかっていく。少年は腕につけられたねじを見せて、これを締めると僕の腕はしびれるようになったと語る。

<解釈>

フロイトは夢の目的とは願望の充足であるという。たしかに「夢がかなった」という言い方をする。夢はおいかけるもの、その実現を追い求めるべきものとされている。

つげ義春は、この夢の中で、生命の象徴である<血>の流出を防ぎ、<生きる>という願望を充足させている。つまりこれを書いた時点で作者は、もはや<生きる>というだけのことが彼にとっての願望の充足であるような地点にまで死への誘惑に追い詰められていたことを作品自体が示しているのだ。

メメクラゲによって身体に空けられた穴(傷)を防ぐために主人公の少年(つげ義春自身)は海(母体のメタファー、つげが幼年期を過ごした千葉の海)から町(つげが少年から青年期を過ごした都会)へと彷徨う。

少年が医者を求めて彷徨う原因となった<血が止まらなくなる>状況は、つげが赤面恐怖症であったこととも関係しているのかもしれない。

少年が闇を抜けて出会った女医は癒すものとしての母の分身であるがそれ以上に性的欲望の対象である若い女性である。女性は主人公を性と死の世界に導き、流血する静脈の穴を塞いで<ねじ>を取り付ける。

<穴>を塞ぐ<ねじ>が象徴するものはフロイトならずとも明白であろう。作品のシーンの中でそれは隠喩ではなく明示されている。少年は女医との性体験を通じて生命感を再び取り戻すのであった。つげにとって、トラウマ(傷)の克服は性体験を通してなされる、という願望が夢の中で実現されている。対人恐怖症であったつげが、旅先の女性に対しては驚くほど積極的であったことを複数の友人が証言している。

つげにとっての性(=女性)は、美化したり偶像化したり妄想する対象ではなく、なまなましい現実であることが明らかにされている。血を止めるために、生命が肉体から流れ出ないようにするために切実に必要なものがつげにとっての女性という存在である。

女医に出会うまでに少年が遭遇するのはすべてよそよそしく不気味な他者ばかりで、裸のまま弱って彷徨う自分を睨みつけてくる無数の<眼>である。唯一女医のもとへ導く存在である老婆だけが少年に親しみを感じさせるのだが、老婆は少年の愛を受け入れることができない。フロイト流に言えば金太郎飴はペニスの象徴であり、老婆と少年が互いに金太郎飴を折るという行為が何を意味するかは自明であろう。少年と老婆の間に情愛を超えた性愛関係は成立しないのであり、それは少年(つげ)にとって救済とはなりえないのである。