INSTANT KARMA

We All Shine On

Love is Real

戸をあけて
学校をあけて
監獄をあけて
工場をあけて
議会をあけて
都市をあけて
来て 来て 世界をあけよう

 

ヨーコ・オノ(「オープン・ユア・ボックス」より 訳飯村隆彦)

1933年2月18日生まれ、今年で90歳になったオノ・ヨーコの最初の夫、一柳慧は、現代音楽の作曲家として日本で最も著名な人物の一人である。ジョン・ケージの影響は夫を通じてのものと思われる。

1959年頃から、ニューヨークでフラクサスという前衛芸術集団の表現活動に参加する。日本でも草月会館などでコンサートを開いた。コンサートとはいっても、通常の音楽演奏などであるはずもなく、「イベント」性を持つ表現活動の場であった。

例えば、1964年に京都の南禅寺で行われた「タッチ・ピース」というイベントの模様は次のようなものだ。

『イベント』は夕方から朝方にかけて行われた。

約50人の人が、朝方まで行われると知って参加した。

インストラクションは、『空を見ること』と、『さわる』ことだった。

 

幾人かは、朝まで寝た。ある人は庭に、あるいはベランダのような広い廊下に坐った。

美しい満月の夜で、月は輝いて、普通の月光下では黒い山や木々が緑色を見せ始めていた。

人々は月焼けや月浴について、空をふれることについて話した。

私が気がついた二人は、互いに人生について語っていた。

 

しばらくして、一人の落ち着かない人が来て、私に『大丈夫か』と聞いた。その問いかけがとても面白いと思った。非常に暖かく、静かな七月の夜だったから、私が大丈夫でないわけはなかった。多分、彼の中に何かが起こったのだろう。自分でも分からないようなことが。だから唯一のはけ口が私に『大丈夫か』と聞くことだったのだろう。

 

私は人々が、国宝である床や畳に穴をあけやしないかと気になっていた。ここに参加した大部分は若い現代的な日本人といくらかの、フランス人とアメリカ人だったから、そんなことは起こらなかった。

 

朝のそよ風がやってきたとき、人々は静かに友人を起こし、とくに私たちのために、朝の早い時間にお寺側で用意された風呂に、一度に三人づつ入った。寺の風呂は大きな石でできていて、とっても暖かかった。風呂の後、みそ汁とおにぎり(米のサンドイッチ)を食べた。私は何も言わなかったが、人々は帰る前に、静かに部屋と廊下を掃いた。


大部分が京都の人だったから私は知らなかったが、彼らは名前をいうこともなく、去った。一体どんな人たちだったのだろう。

(ヨーコの講演記録より)

1965年には、ニューヨークのカーネギー・ホールで「カッティング・ピース」というイベントを行った。この作品についてヨーコは次のように語っている。

私が洋服を着て、ステージに坐り、観客がハサミでつぎつぎと切り裂いていく趣向である。

これまでの芸術家は、自分がこれというものを創作して、それを観客に見せるということをやってきた。

私が誰かに物をプレゼントする、そのとき私は自分がプレゼントしたいものをあげる。それと同じで、従来の作品には、作者の自我が入っている。自我を観客に押し付けるわけである。

私はそういう自我を抜き取った無我の境地に立って作品を作りたいと思っていた。このモチーフをつきつめて行った究極のところに生まれたのが、このカッティング・ペイントだったのである。

(『わが愛 わが闘争』小野洋子

彼女のこうした表現は、一般には「コンセプチュアル・アート」と呼ばれる。

彼女の芸術観を示す、次のような言葉がある。

「社会を変えるために破壊して、体制を崩壊させて、それから新しい社会をつくるなんて言いますけど、一度崩壊すれば、また新しい社会をつくるのに何十年もかかってしまって意味がないんですよ。崩壊によって変えるのではなく、価値を変えることによって変えるということ、つまりあるものを壊さずにそのままにして、しかもその価値を変えることで社会を変えるということが大切だと思います」

「芸術家の仕事は社会の価値を変えるということです」

一方でこうも語る。

「最近、コンセプチュアル・アートなんてしきりに言ってますけれど、ずいぶん前に、私の作品をコンセプチュアル・アートと言ったらどうかと言った人がいたんです。で、その人に私は、そんな難しい名前を付けないで、コン・アートと言ってくれた方がいい、って言ったんです。コン(con)というのはインチキっていう意味でしょう。インチキ・アートです。最近も私は、自分の作品をコン・アートだと言っているんです」

コンセプチュアル・アートは、それが「空」や「無」を志向したものであっても、というよりむしろ、志向したものである限りにおいて、純粋な表現ではない。そこには「無我」というコンセプト(概念=思考=自我の働き)が介在せざるをえないからだ(ジョン・ケージの有名な「4分33秒」という作品などその好例だろう)。上記の発言は、コンセプチュアル・アートの持つそのへんの胡散臭さも感じ取っているクレヴァーで鋭敏なヨーコの感性を示している。

 

1966年に、ヨーコは彼女の個展に訪れたジョン・レノンと出会う。その後のことはもう歴史の一部だ。以降のヨーコの作品は、それまでのような「冥想的」、「無我的」な趣向を持つものから、平和活動やピース・イベントのような大衆に向けたパフォーマンス性、メッセージ性の強いものに変わった。ヨーコがジョンを変えたように、ジョンもヨーコを変えたのである。

アヴァンギャルドは行きつくところまで行き、二人の全裸をアルバム・ジャケットにしたり(『Two Virgins』)、二人の私生活の会話や音をそのまま収録したり(同)、彼ら以後のアーチストが何か前衛的なことをしようとする試みがすべて二番煎じでしかなくなるようなところまでやり尽くした。

レノンのソロ活動後の作品に収録されているヨーコの音楽作品は、正直言ってあまり自分の好みには合わないものが多い。だからといって、ジョンに与えたヨーコの影響をネガティブにしか捉えない見方にも同意できない。

 

晩年のジョン(といっても40歳前なのだが)が日本文化、特に禅に傾倒していたのは明らかにヨーコの影響で、そこから虚飾を取り払ったシンプルな名曲が多く誕生した。一般にジョンの代表曲という扱いを受けている「イマジン」という曲は、「グレープフルーツ」というヨーコの詩集がヒントになっている。

中でもシンプルの極みと言えるのが、『ジョンの魂』収録の「LOVE」という曲で、日本の中学1年生でも分かるような単純な言葉が、シンプルな伴奏で歌われる。

 

Love / John Lennon

Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
Love is wanting to be loved

Love is touch, touch is love
Love is reaching, reaching love
Love is asking to be loved

Love is you
You and me
Love is knowing
we can be

Love is free, free is love
Love is living, living love
Love is needing to be loved

 

愛 / ジョン・レノン

愛はリアルなもの リアルなものが愛
愛は感じること 感じることが愛
愛は欲している 愛されることを

愛は触れること 触れることが愛
愛は届くこと 届くことが愛
愛は求めている 愛されることを

愛はあなた
あなたとわたし
愛は知っている 
わたしたちが愛でありうることを

愛は自由 自由は愛
愛は生きていること 生きていることは愛
愛は必要としている 愛されることを

youtu.be

最後に、飯村隆彦氏がジョンとヨーコのアパートで聴いたこの曲について書いた美しい文章を引用したい。

(以下、「僕に『LOVE』をうたったジョンが死んだ」(『YOKO ONO オノ・ヨーコ 人と作品』収録)より抜粋)

 

ジョン・レノンに会ったのは、ヨーコを通してだった。それは、1971年、東京からサンフランシスコにやってきて、そこで2か月ばかり過ごしていた頃、ヨーコから電話がかかってきて、今度、ニューヨークの美術館で二人のショウをやるから来ないかという。それで、サンフランシスコから飛んだわけだ。
 
初めて会うジョンは非常に気さくだった。彼はポン、ポン言葉をはじき出し、それもストレートで、もったいぶったところは少しもない。頭の回転の速い男で、何にでも反応した。ヨーコもヨーコで、負けずにやり返すから、言い合いとなると、何分でもやっている。ヨーコの方が年上だから、時に姉さんぶったところがあって、ジョンをたしなめることがあるが、生来の犯行児であるジョンは、またやり返す。

僕ら(妻、昭子といっしょに)は、そこにいる間、日本の雑誌(「美術手帖」)のためにインタビューをやって、ヨーコとジョンを別に録音したけど、二人はいっしょにいて、時々片方が口を入れる。

ヨーコとは日本語で話したから、ジョンはその間、わからず、それでもときどき、会話の中に英語が出てくると、すかさず聞いてくる。ヨーコは何を話しているか説明する。そんな調子で、お互いに何から何まで知っていないと気が済まない。

ヨーコは今までの苦労話やら、それからどうやってロンドンでジョンに会ったか、そんな話をすると、そのたびにジョンが相槌を打つ。ジョンも心得たものでその時の様子を話す。だから、日本語から英語になったり、また日本語に戻ったりする。彼女もジョンがいても、日本語を話すことに悪びれず、むしろ、会話が英語で続いていると、彼女が急に日本語で話す。それは日本語でないと言いにくい(表現しにくい)こともあったり、単に英語で話すのが面倒になって日本語に切り替える。あるいは、ジョンが言っていることを日本語で言い換えたりする。それが時に母親のように聞こえる。実際、彼女はジョンに対して母親の役割を演じているところがあって、おそらく、年上ということ以上に、その辺は、やっぱり日本の女性だと思った。日本の女性にある母性というか、母親を演じたがる性質というのが彼女にもある。もっともジョンは、早く、子供の時に、おふくろを亡くしているから、ジョンの方にも母親をヨーコに求めているところがある。

しかしジョンはなかなかユーモアのある男で、ときに鋭いウィットをつく。またおどけて見せるのが好きで、ちょうどインタビューをしていた時、おっぱいの写真のプリントされたTシャツを着て、自慢してみせる。その辺は非常に子供っぽい。

ちょうど、僕とヨーコが、僕の映画「LOVE」の話をしているとき、彼は「LOVE」という発音に気づいて、僕も「LOVE」という歌をつくったという。そしてこれから聞かせるからと言って、ギターをもって歌いだした。彼にとって歌も会話の一つのようだった。それも録音したけど、後で聞いてみると、彼は最初、なかなか、歌の文句を思い出せず、「アイ・アム・ソーリー」といって、また最初からやりだす。そんなところは、悪びれず、素直だった。それでも、一度リズムに乗ると完全に歌った。レコードの歌と何ら遜色はなかった。それも、ベッドの上だったが、彼の声は、スイートに透き通っていた。自然に声が出るという感じで、歌の文句はきわめて甘美なものだが、僕らの前でも、ちゃんとそれもごく自然に歌った。そこのところは僕も気に入っているので、テープから起こしてみる。

 

ヨーコ これは私が作曲したタカ・イイムラの映画の「LOVE」の本よ。

ジョン おー、あれか、「LOVE」という名のペーパーフィルムの。すごい。

ヨーコ あなた好きでしょ。

ジョン すばらしいアイディアだ。君が言っていたやつだね、僕もやりたいと思っていたんだ。ペーパーフィルムを。僕が君にやりたいと言ったら、ノー、ノー、それはもうだれかがやっているって言っていた。

ヨーコ (日本語、以下「日」)だれかがもうやっているからだめよって言ったの。

タカ そう。

ジョン 何でもやられてしまっている。(本を見ながら)口もだ。僕は口のフェティッシュがあるんだ。僕は口だけの映画を撮りたかったんだ。でももうやられてしまっている。

タカ (笑う)

ジョン これはすばらしい。映画を見たい。

タカ もちろん君に見せるよ。

ジョン ヨーコの音楽で。おー、なんとセクシーなんだ。

ヨーコ 時々、それが身体のどこの部分か分からないのよ。

ジョン うん、気が付いている。ただ想像するだけだ。この毛はどこの部分だい。

ヨーコ あんたわかんないの。

ジョン これは首の後ろだね。

ヨーコ(日)これ、売れる?

タカ(日)日本じゃ全然売れなかった。

ヨーコ(日)だけどフィルムのほうがいいわね。これもいいけど、でもフィルムの方が売れるんじゃない。

タカ(日)たぶんね、まだ売ったことないけど。

ジョン 僕は「LOVE」という歌を作ったよ。

タカ ほんと。

ジョン 僕は君に歌ってあげるよ、はっきりとは思い出せないけど。もうレコードになってる曲だ。(ギターを取り出す)

ジョン(歌いだす)
  ラブ イズ リアル・・・
  ラブ イズ リアル・・・
  ・・・
  リアル イズ ラブ・・・
  ラブ イズ

ジョン すみません。(最初からやり直す)
  ラブ イズ リアル・・・

ヨーコ  リアル イズ ラブ・・・

ジョン  ラブ イズ フィーリング
  フィーリング ラブ
  ラブ イズ アスキング ツー ビー ラブ

ヨーコ ツー ビー ラブ・・・

ジョンとヨーコ(互いに追いながら最後までうたう)

 

このへんは二人のハーモニーがまったくうまく合っていて、もうインタビューも忘れて、僕は彼の歌に聴きほれたほどだ。僕はロックにも、ポップソングにも関心がないから、ジョンの歌もまともに聴いたことがない。歌は僕の生活からはまったく離れていて、聴こえるものはいやでも聴くが、僕の方から聴こうとしたことはほとんどない。

それが、ジョンの歌を聴いていると、そのスイートさにほろりとするところがあって、たぶん、同じ歌をレコードやステージで聴くのとは違って、じかに彼の口から聴いていること、それもベッドの上で、聴いていることが、僕を非常に泣かせたのだと思う。

もちろん映画の「LOVE」とは非常に違うが、抒情詩人としてのジョン、その古典的なまでに、ラブをうたう透明さはえがたいものだ。古典的といっても、いわゆる古典詩人とは違う。歌の文句を聴けばわかるように、そのラブはストレートであり、よけいな修飾や形容詞、あるいは情景的なレトリックもない(むしろこれらは浪漫派詩人の得意とするところだが)。

 ラブ イズ リアル
 リアル イズ ラブ

という直截で、ラブをリアルといい、リアルをラブと言い換えによるシンメトリーは言葉の直の意味でクラシックなものがある。

古典詩人が「ラブ イズ リアル」と言い得たか僕は知らない。