ハンナ・アーレント「全体主義」(「全体主義の起源 第三巻」)を読む。
この本について、またアーレントについての解説やら論文は山ほどあるので内容には言及しないが、一つだけ思ったのは、
今の資本主義リアリズムって、経済的全体主義なんじゃね?
ということ。
アーレントによれば、歴史上「全体主義」が誕生したのは二つの事例しかない。
(ちなみに、ナチスは戦争を全体主義体制完成のために利用したが、ソ連の戦争時代はスターリン体制による全体主義が一時的に中断した時期であったという。)
この本が書かれたのは1950年代から60年代だから、60年代以降の中華人民共和国やカンボジアのポル・ポト政権などについての評価はないが、イタリアのファシズムや東欧諸国は全体主義を維持するには小規模すぎるのだという。
アーレントの観点から言えば、現在のロシアや中国は専制的政治体制であって、一つの「運動」である全体主義とは違うような気がする。秘密警察と強制収容所が制度の中心にある北朝鮮は全体主義的といえるのかもしれない。
全体主義と暴政や専制との違いについての詳細は割愛するが、その二つには明確な違いがある。簡単に言えば、前者は自然法則(または歴史法則)に基づいて人間からあらゆる創造性、個性と多様性、独立した思考と言ったものを奪い、アトム化された大衆を単なる動物的生存のレベルに貶める(そして不適合者を絶滅させる)ためのシステムである。
同様に、資本主義とポスト資本主義(現在の状況)の間には人間性を抹殺する意味で明確なレベルの違いあるんじゃないだろうか。
誰かそういうことを書いている人はいないのかな。