ラカン「精神分析の四基本概念」何書いてあるかさっぱりワカラン。
文字通り一行も理解できぬ。
泣きそうになりながら読んでいる。
母親のサ高住の契約。息子は自動車教習所へ。娘は受験指導塾。
何かと金がかかる。
思わず資本主義マゾヒズムの欲動が発動しそうになる。
日本代表はいつもの感じでコスタリカに負けるし。これもマゾヒズム。
ア)サディズムは、対象としての他人に対する暴力や力の行使である。
イ)この対象が放棄され、自分自身に置き換えられる。自分自身への方向転換によって、能動的な欲動目標は受動的な欲動目標に変換される。
ウ)新たにある他者が対象として探し出され、その人物が、目標変換が生じたことによって、主体の役割を引き受けざるを得なくなる。
ウの事例が、一般にマゾヒズムと呼ばれているものである。
フロイト「欲動と欲動の運命」
私がまず言いたいことは、私がこのような場所で、これほど多くの人を前にここにいるのは、「精神分析は科学なのか」という問いを立てて、それをみなさんと検討するだめだ、ということです。
ラカンにとってリアルとは、あらゆる『現実』が抑圧しなければならないものであり、まさにこの抑圧によってこそ、現実は構成されるのだ。リアルとは、目に見える現実の裂け目や、そのつじつまの合わないところのみに垣間見ることのできる、表象不可能なXであり、トラウマ的な空洞だ。だから資本主義リアリズムに対抗する上で可能な戦略のひとつは、資本主義が私たちに提示する現実の下部にある、このようなリアル(たち)を暴き出すことであろう。
マーク・フィシャー『資本主義リアリズム』