INSTANT KARMA

We All Shine On

おもしろくてヤバい(飛べる)

週末に『アーレントハイデッガー』を読み、ハイデッガーに興味を持ったので翌日『存在と時間』の解説本を2冊借りた。とても面白い。もっと抽象的な哲学だと思っていたが逆で、人間(現存在)の実存を扱う人間論であり人生論であり次元論・時間論でもある。
実存的に見た時間と空間の捉え直しについて述べていて、それまでの西洋哲学における世界観の破壊とコペルニクス的転換を企図したものである。

世界の中に人間が存在しているというのはまちがい。
空間という器の中に事物が存在するというのはまちがい。空間が縦横高さの広がりというのはまちがい。
時間は過去、現在、未来という飴のように伸びた一本の棒切れのようなものというのはまちがい。空間も時間も現存在(人間)と共に立ち現れるもの。
世界は現存在がたくさんいるという意味で共存在。
日常的な世間は「ゴシップ」「好奇心」「曖昧さ(他人事)」しかなくて、ほとんどのひとは本来の自己から逃避した非本来的な「世人」として生きている。
「気分」はそのときのありのままの自己を開示するが、大抵のひとはそれに直面せずに紛らわそうとする。
現存在は自分の意思とは無関係に否応なしにこの世界に投げ込まれており、そのことを引き受けて生きなければいけないという責めを抱えながら生きている。
だから現存在は否応なしに投げ込まれた人生に「不安」を抱えている。
「死」は不可避であり、交換不可能な体験であり、いつ訪れるか分からないが、誰にとっても必ず訪れる確実な体験。
「死」を他人事として見るのではなく、先駆的に引き受けることによって本来の自己を生きることが可能になる。良心の声は「存在」からの呼びかけ。

ぶっちゃけ適当に書くとこういったことを、やたらと綿密な特殊な用語を使ってネチネチと述べ立てている。その綿密さがある種の呪術的な効果を上げているという意味で、吉本隆明の著作に通じるものがある気がした。もちろん粘着的な構築性において吉本はハイデガーとは比べ物にならない。こっちの方が数倍面白い。

しかもこの大著は満を持してじっくりと組み立てられて書かれたものではなく、大学教授に就任するために何か論文を急いで出版する必要があって、やっつけ仕事的に行き当たりばったりに書かれたものらしく、本来書かれるべきだった前後半の前半の途中で終わっているというのも面白い(この本を出版する少し前に自分の生徒だったハンナ・アーレントと不倫してる)。

「存在とは、気遣いである」というものすごく乱暴な見立てが、この堅そうな中年男(当時)が実はめっちゃエモい奴だということを何よりも開示している。

意外な場所でおもろいおっさん(実は激ヤバ)に出くわした充実感を味わっている。