市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったく同じである。
高峰秀子の養女になった斎藤明美サンは、高峰に会ったときに「人間には上・中・下がある」という持論をぶつと、ひとこと「そうよ」と即答されたという。
そのとき生まれて初めて自分の意見を肯定してくれる人に出会えた、と思ったそうだ。
自分は、吉本隆明と高峰秀子(斎藤明美)は、どちらも正しいと思う。
(ちなみに吉本と高峰は共に1924年生まれの生誕百周年)
すなわち、二つの命題は矛盾しない。
ちなみに上の吉本の言葉の引用元は『吉本隆明88語』(勢古 浩爾、ちくま文庫)より。
この本は昨日三鷹の本屋で220円で買ったものだが、痺れる言葉がたくさん載っている。
たとえば次のもそう。
人は他者によって作られたじぶんに責任を負わなければならない。それが虚像であるばあいも真実の所在する場所だからだ。そしてこのばあい虚像であるかないかはどうでもいいことで、真実の所在する場所ということが重要なのだ。
『世界認識の方法』あとがきより