ルソーが『社会契約論』で述べる一般意志(東のいう「一般意志1.0」)というものをGoogleに代表されるメガデータベースの観点からバージョンアップし、そこに「無意識の欲望」という形でフロイトを絡める議論の仕方は刺激的で、論述の展開の仕方の巧みさもあって前半は非常に興味深く読めたが、後半にハーバーマスやアーレントによる公共性と合意形成のプロセス(コミュニケーションの必要性)に対する反論のあたりからだんだん腰が引けた感じになり、結論としては「国会をニコ生のようにする」といった陳腐きわまりないものになってしまった。当時でさえ、こりゃないよ、というアイディアだったはずだが、執筆から13年を経た今読めば猶更とてもじゃないが肯定できない。
そのことは本人が一番よく分かっているだろう。
でも東のルソー理解は本質的に正しいと思うし、いまひとつよく分かっていなかったルソーという人物に対して目が開かれた思いがした。
これから『ゲンロン0 観光客の哲学』を読もうと思う。
以上御覧の通り、今はあずまんにハマり中。
この人は批評家、哲学者というより文学者で、しかも実存文学的な側面に惹かれる。