1971年(昭和46年)
5.9 東京都三鷹市にて誕生。妹含め4人家族。父親はサラリーマンで母親は専業主婦。母方の祖父が赤坂で内装業の会社を経営していた。
1981年(昭和56年)10歳
近所のハンバーグ屋に置いてあった森村誠一『悪魔の飽食』を読み衝撃を受ける。
1982年(昭和57年)11歳
三鷹市中原から神奈川県横浜市青葉区に転居し、三鷹市立東台小学校から横浜市立みたけ台小学校に転校。
1983年(昭和58年)12歳
1985年(昭和60年)14歳
『うる星やつら』の私設ファンクラブの創立メンバーとなる。放映再開の署名活動とデモ(20名くらいのラジカセのサウンドデモ)を行う。
1987年(昭和62年)16歳
1989年(昭和64年)18歳
高3の文化祭で演劇班に入る。
1990年(平成2年)19歳
筑波大学付属駒場高等学校卒業、東京大学文科Ⅰ類入学。教養課程では佐藤誠三郎のゼミに所属。
1991年(平成3年)20歳
6月、大学2年生のとき、演劇の脚本・演出を手掛け、公演を打つ。
7月、教養学部に転部届を出す。
(演劇の)公演がとにかくあらゆる意味で大失敗をし、そのときはじめて、俺は何もできないと真剣に思った。…法学部で、このまま官僚とか弁護士になるのかなあ、それは絶対に違うなあとか思ってて。で、とりあえず法学部を辞めなければいけないと思ったわけ。…でも転部したっていうことは、ネガティブな意味しかなくて、特にそれで何がやりたいということがあったわけでもないんですよ。その届けを7月に出して。あとはフラフラしてて、自動車免許取ったりしてたんですけどね。
その講演会で、ぼく質問したんですよ。それで「それ、いい質問ですね」とか言われて。で、講演会が終わった後、柄谷さんとちょっとしゃべってですね、連絡先なんか教えてもらったわけ。
当時、すっかりアイデンティティ・クライシスで頭がいっぱいになっていたバカなぼくは、それからしばらくして、相手の迷惑もかえりみず、柄谷さんのところに熱い電話をかけでですね。「ぼく、いま、やることが何かわからないんだ」とかいう、大変な電話をかけて。知らねえよな、そんなこと(笑)。でも彼はいいひとで、一度授業でも聴きに来たらどうですか、それでそのあと話しましょうかとか言ってくれて。
1993年(平成5年)22歳
『批評空間』第1期第9号(1993年4月)に「ソルジェニーツィン試論:確率の手触り」を掲載し、評論家としてデビュー。原稿は柄谷行人が当時教えていた法政大学での講義に潜り込んで参加した東が直接手渡した。
何か書けば、それなりに実質的な話ができるのではないかと…45枚くらいのものを書いて持って行ったんですよ。「まあ、読みますよ」とか言われて。…そうしたら、「東君、あれ面白いから『批評空間』に載せます」と言われた。
このとき、感動的だよ。だってこちらはただの学生じゃない? そのぼくの原稿に浅田彰の赤いチェックがダーッと入って、それでいきなり手渡されるんだから。劇的。
…この一撃から始まるんですよ。ぼくのその後の経歴はすべて。
1994年(平成6年)23歳
3月、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。大学院に進学。
5月、「写生文的認識と恋愛」(『漱石研究』第二号)
10月より5年間にわたって、柄谷行人・浅田彰が編集委員を務めた「批評空間」で「デリダ試論」を連載。
1996年(平成8年)25歳
コロンビア大学の大学院入試に失敗。
8月、「庵野秀明はいかにして80年代日本アニメを終わらせたか」(『ユリイカ』)
10月、「アニメ的なもの、アニメ的でないもの」(『InterCommunication』第18号)
1997年(平成9年)26歳
『新潮』にて文芸時評を担当する。
『早稲田文学〔第8次〕』4月号と5月号に「座談会 思考の地盤沈下―なだれおちる90年代批評をめぐって」と題した、池田雄一、伊東貴之との鼎談が掲載される。
8.16 TBSラジオ「スピークスピリッツ」出演。元東京少年の笹野みちるが司会を務め、竹熊健太郎と対談。
『Voice』10月号で連載企画「世紀末の対話」の第4回に登場。「文芸批評の呪い」と題して福田和也と対談。
10月、「オタクから遠く離れて」(『クイックジャパン』第16号)
1998年(平成10年)27歳
2月、同棲していたほしおさなえと共に長野オリンピックを観に長野へ行ったがチケットを持っておらず競技の観戦は叶わず。
10月、『批評空間』での連載を『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』として新潮社から上梓。帯に浅田彰による自著『構造と力』が過去のものとなったことを自認した言葉が載り、発売から3週間で1万3千部と人文書としては異例の売れ行きを見せる。
12.14 青山ブックセンターで発刊記念講演「郵便的不安たち」
1999年(平成11年)28歳
3月、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。博士(学術)。学位論文は「存在論的、郵便的:後期ジャック・デリダの思想と精神分析」。
日本学術振興会特別研究員となる(2002年3月まで)。
3月に発売された『批評空間』第2期第21号に東の参加した共同討議「いま批評の場所はどこにあるのか」が掲載。鎌田哲哉、福田和也、浅田彰、柄谷行人と対談。
4月、「棲み分ける批評』(『Voice』4月号)
7月、複数の雑誌に掲載された論考等を集めた評論集『郵便的不安たち』を朝日新聞社から刊行。『エヴァンゲリオン論』など所収。
『AERA』10月4日号の表紙となる。
秋、フランスに1か月半の語学留学。結局話せずノイローゼで終わる。
『存在論的、郵便的』により1999年のサントリー学芸賞を受賞。第12回三島由紀夫賞候補にも選出されたが受賞は逃した。
2000年(平成12年)29歳
1月、ウェブマガジン『TINAMIX』を創刊。責任編集を務める(3月に辞任)。
公式サイト「hirokiazuma.com」を開設。
5月、村上隆が企画して渋谷パルコで開催された「SUPER FLAT展」のコンセプトブック『スーパーフラット』に村上隆論を寄稿。
7月11日、批評プロジェクト「網状言論」を立ち上げる。
『大航海』(新書館)8月号の1990年代特集で宮台真司と対談。
11月、CD-ROM「『不過視なものの世界』appendix no.1」、「『不過視なものの世界』appendix no.2」、「不過視なものの世界」販売記念バッジを販売。
11月、「ポストモダン再考―棲み分ける批評Ⅱ」(『アステイオン』54号)
『小説トリッパー』に「誤状況論」と題する時評を連載(~2001年)
『広告』(博報堂)11・12月号に「存在論的、広告的」スペシャルとして「東浩紀のすごいデカい話」が掲載され、山形浩生、村上隆と対談。
2001年(平成13年)30歳
9.16 池袋のメトロポリタンプラザにてイベント「網状言論F」を開催。主催は株式会社多聞。
11月、『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』発表。『ユリイカ』誌上で2001年に連載された「過視的なものたち」をまとめたもの。
2002年(平成14年)31歳
4月、慶應義塾大学文学部非常勤講師(2004年3月まで)
春から夏にかけて私的研究会「網状研究会」を数回開催。
4.18 柄谷行人が「子犬たちへの応答」をネット上に発表し、東、鎌田哲哉、大杉重男、千葉一幹ら、「批評空間や群像新人賞から出てきた」書き手たちを批判。
4.23 笠井潔との往復書簡第五信で時代認識の根本的な差異を表明
9.1 商業文芸誌『新現実』を角川書店より創刊。責任編集を務める。
9.25 大塚英志・斎藤環・前田真宏・大地丙太郎・藤島康介・由水桂との共著『「ほしのこえ」を聴け』(アニメージュ叢書)刊行。
2003年(平成15年)32歳
4月、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター(GLOCOM)主任研究員・助教授およびRIETI(独立行政法人経済産業研究所)リサーチアシスタントに就任。「デジタル情報と財産権」に関する研究会に加わる。
4月、『動物化する世界の中で ―全共闘以後の日本、ポストモダン以降の批評』 (集英社新書) 笠井潔との往復書簡
5月、スタンフォード日本センターリサーチフェロー(2006年まで)。
8.29~30 『ハイパーネットワーク2003別府湾会議』にGLOCOM所属として参加。
12月、メールマガジン「波状言論」を発行・配信(~2005年1月)。
2004年(平成16年)33歳
3月、経済産業研究所リサーチアシスタントを退職。
4月、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員助教授。
9月、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター主幹研究員。
GLOCOMの東浩紀研究室にて「ised」を立ち上げ、情報社会に関する研究に取り組む。
GLOCOMの機関誌『智場』の発信編集局長を務め、WinnyなどのP2P、SNS、Web2.0について特集、金子勇の講演レポートや梅田望夫と公文俊平の対談(司会鈴木健)を掲載するなど、新しいタイプの情報社会系批評誌を模索。
11月、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター教授。
批評同人誌『美少女ゲームの臨界点』シリーズ刊行。この自主制作は後の出版社ゲンロンへ繋がっていくことになる。
2005年(平成17年)34歳
3月、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員助教授を退職。
5.12 ライトノベル作家の滝本竜彦とロフトプラスワンにてトークイベント「降りる自由と僕たちの未来」を開催。
6.6 午後1時半ごろ娘が生まれる。名前は『CLANNAD』のキャラクター「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から汐音とする。
2006年(平成18年)35歳
4月から6月まで、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター副所長。
7月末、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター教授・主幹研究員を退職。
ライトノベル作家の桜坂洋、GLOCOM研究員の鈴木健との共同プロジェクトとして「GEET STATE」を開始。
10月、東京工業大学世界文明センター人文学院 特任教授。
2007年(平成19年)36歳
1月、『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム』(NHKブックス)北田暁大との共著
大田区池上に転居
3月、『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』(講談社現代新書)
それまでのエッセイや論考をまとめ、『文学環境論集 東浩紀コレクションL』、『情報環境論集―東浩紀コレクションS』、『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』の3つの論文集を講談社「講談社BOX」から刊行。
4月、特任教授と東京工業大学世界文明センター人文学院ディレクター兼務。
6.5 朝日カルチャ―センターで伊藤剛と対談 『テヅカ・イズ・デッド』
私は東氏のお顔を拝見するのは初めてだったが、非常にいい感じの憎まれ役的なルックスで、ちょっとうさんくさく、人を煙に巻くような早口で不遜な喋り方がなんというか「批判を受ける批評家キャラ」としてあまりにも完璧だった。
雨宮まみのレポートより
11.29 大塚英志との対談 おたくオタクは公共的になれるか『新現実vol.5』掲載
素朴に思うわけだけれども、大塚さんはなんでそんなに苛立つわけですか? ぼくみたいな人間がいてもべつに構わないでしょう。
2008年(平成20年)37歳
2.9 東京都文京区の千石空房にて宇野常寛と「決断主義トークラジオ Alive2 ビューティフル・ドリーマー」の公開収録を行う。
8月、「リアルのゆくえ──おたく/オタクはどう生きるか」 (講談社現代新書) 大塚英志との対談書
12月に発売されたムック本『アニメージュオリジナル vol.2』にて山本寛と対談。
2009年(平成20年)38歳
1.28 東京工業大学世界文明センターで開かれた公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」にて司会を務める。登壇者は浅田彰、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司。
春、新批評研究会を立ち上げる。参加メンバーは東、宇野常寛、市川真人、藤村龍至、福嶋亮大、濱野智史、黒瀬陽平、西田亮介、浅子佳英、入江哲朗ら。この研究会がコンテクチュアズの母体となった。
7.23 自身のブログ『東浩紀の渦状言論 はてな避難版』に「『ニッポンの思想』と『ストリートの思想』」というエントリを投稿。佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社、2009年7月)と毛利嘉孝『ストリートの思想』(NHK出版、2009年7月)を取り上げ「基本的には前者は東浩紀派(?)肯定の本、後者は否定の本」と整理した上で、「毛利氏の筆致には党派性は感じず、むしろすがすがしい気がしました。毛利氏とは確か数度お会いしたことがあるはずで、どこかで対話できたらよいな、と思います」と書く。
10.24 「朝まで生テレビ!」出演。ベーシックインカムなどについて論じ、バズる。
11.13 「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(文化放送)出演
ぼくは政権交代の直後に、リベラルで知られる団塊世代の芸能人がMCを務める、あるラジオ番組に出演したことがある。民主党に懐疑的な意見を述べたときの、あのゴミでも見るかのような侮蔑の視線は忘れることができない。
12月、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)「新潮」での連載小説の書籍化
2010年(平成22年)39歳
『文學界』1月号 堀江貴文との特別対談「日本をすっきりさせるために」
(勝間和代がツイッター上でデフレ脱却政策を求めて署名運動を行ったことに対して)最近は若い人たちも含め、勝間さんのようなリフレ派に賛同する人が多いですね。やはり日本人は、2010年代になろうとする今も、国がなんとかしてくれるはずだと思っています。想像力が追いついていないんですかね。
3月、東京工業大学世界文明センターの主催の国際シンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」に出席。シンポジウムの内容は同年8月に『日本的想像力の未来――クール・ジャパノロジーの可能性』 として書籍化。
4月、早稲田大学文学学術院講師(任期付き)に就任。
4.6 合同会社コンテクチュアズ設立登記。代表は空間デザイナー李明喜。社名であるコンテクチュアズはコンテンツとアーキテクチャを合わせた言葉。業務はすべてオンライン。
5月、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)で第23回三島由紀夫賞を受賞。
6月、「東浩紀とニコニコ生編集!~思想地図bis編集会議×新批評研究会~」を主宰。ここから「友の会」が生まれる(会員数166名)。
『新潮』7月号に千葉雅也、國分功一郎との鼎談が掲載。
7月、『父として考える』 (生活人新書) 宮台真司との共著
8月、会報誌『しそちず!』創刊(~2011年12月)
8.28 インターネットラジオ番組「八木たかおの荒野のコナイパー」第16回にゲスト出演。
9月、四谷にシェアオフィスを借りる。
12月、『思想地図β vol.1』(特集:ショッピング/パターン)刊行。3万部近く売れる。
2011年(平成23年)40歳
1月、代表による使い込みが発覚し、合同会社コンテクチュアズの代表に就任。
2.10~11 東京大学大学院総合文化研究科広域システム科学系で特別授業を行う。講義タイトルは「広域システム科学特別講義III」。ハンナ・アーレントやゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの説く「理性的な熟議」に対するカウンターとしての「動物的な「一般意志2.0」」 がニコニコ動画などのソーシャルメディアによって実現される可能性を説いた。
2.26 第1回友の会総会(1362名)。『AZM48』というパロディ映画が波紋を呼ぶ。
3.11 東北地方太平洋沖地震発生。この衝撃から新たな活動を模索するようになる。当初は批評家としての活動を中心としており、2009年には、「これからどのような人生を送ったとしても、ぼくの批評へのこの愛は変わることがないと思います」と述べていたが、震災後のデモの盛り上がりに反比例するかのように、政治やサブカルチャーやネットカルチャーから距離をとり、哲学へ回帰していく。
4月、本社を五反田に移転し拡大。オフィスの壁に設置された梅沢和木作の絵画がネットで批判にあう。
5月、ドワンゴで「ニコ生思想地図」始まる(~2012.9まで13回)。最終回ゲストは猪瀬直樹。
7.1 友の会第2期開始。第1期終了時の会員数1613名。
9月、『思想地図β vol.2』。利益ではなく売上の3分の1を被災地に寄付したたため、利益がほぼゼロになる。資金繰りが怪しくなってくる。
2012年(平成24年)41歳
1月、『震災から語る』(ニコ生対談本1)。
1.28 第2期友の会総会。会員数1866名。
2月、ブランド名として「ゲンロン」を設定。会報誌を『ゲンロンエトセトラ』としてリニューアル。途中から『ゲンロン通信』。
2月、浅子佳英が退社。創設時メンバーは東のみとなる。
2.24 津田大介と共に第98回紀伊國屋サザンセミナー「政治をアップデートする―ツイッター、一般意志、未来社会」を開催。
3月、『メディアを語る』(ニコ生対談本2)。
3月、『日本2.0』グラビア撮影のためにサイパンロケを敢行。事業の借入れを開始。
4月、東が代表取締役社長兼編集長を務め、合同会社コンテクチュアズを株式会社ゲンロン(友の会は「ゲンロン友の会」)として改称改組。
4月、「ゲンロンファクトリー」開始。
5月、メルマガ「ゲンロンサマリーズ」開始(~2013年6月)。
7月、『日本2.0 思想地図β vol.3』。初版2万部。印刷費1014万6347円。売上のわりに利益出ず。
7.1 友の会第3期(2168名)
7.29 Chim↑Pomとのトークイベントにて「福島第一原発観光地化計画」を提案。9月には同プロジェクトを立ち上げる。
8月、ゲンロンのロゴ作成。デザインは加藤賢策。
10月、南相馬市で福島第一原発観光地化計画ワークショップ開催。
10月、「福島第一原発観光地化計画とゲンロンカフェをめぐる現状報告」(クイックジャパン vol.104)清水亮との対談
11月、合同会社ゲンロンカフェ設立。オフィスの近くに店舗物件を借りる。
2013年(平成25年)42歳
1.31 「自分がかつて批評家然として妙に偉そうだったことについては、ほんといろいろと反省しており、そしてその失敗については一生かけて責任とってくしかないなあとか思う」とツイート。
2月、対談集『震災ニッポンはどこへいく』
2.1 ゲンロン本社近くに飲食可能なイベントスペースとして「ゲンロンカフェ」オープン。
3月末、早稲田大学文学学術院教授を退職。
4.8~15 開沼博、津田大介、新津保建秀、小嶋裕一、助田徹臣と共にウクライナへ行き、旧チェルノブイリ原子力発電所を視察。取材費をクラウドファンディングで集める(支援総額609万5001円)。
7月、『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎)
7月、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』
7.1 友の会第4期開始(2452名)
9月、ゲンロンカフェのイベントをニコ生で配信・販売開始。
10月、ゲンロンスクール「子供教室」発足
11月、第1回チェルノブイリツアー実施、ゲンロン完全中継チャンネルの月額会員開始
11月、『福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2』。売上不振のため業務縮小を検討。
12月、『セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題』(東京創元社)
12月、福島第一、第二原発を取材。
12.7 日本映画大学の講義「ジャーナリズム論」において大澤信亮と対談。あらかじめ対談内容を『文學界』2014年2月号に掲載することを双方了解していたが、翌日になり東は掲載取りやめを打診するメールを大澤に送付。大澤は東の意思をやむなく受け入れ対談はお蔵入りとなった。
12.14 國分功一郎とゲンロンカフェで対談「来るべき民主主義――デリダ、ドゥルーズ、柄谷行人」を行う。
12.24ー28 「『フクシマ』へ門を開くー福島第一原発観光地化計画2013」を開催。
2014年(平成26年)43歳
2.1 第3回(第4期)友の会総会(1793名)
5月、黒瀬洋平を主任講師に迎え「ポストスーパーフラット・アートスクール」開設。
7.1 友の会第5期開始(1884名)
7.5~8.9 「南相馬に日本一の塔があった」展を開催
11月、第2回チェルノブイリツアー開催に同行。
12.20 第4回(第5期)友の会総会(1743名)
2015年(平成27年)44歳
1月、実務担当が退職し東・上田・徳久の3人で領収書を打ち込む。
1月、『ショッピングモールから考える』電子書籍刊行
3.2 批評家の佐々木敦と共に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」を始動
3.25 小林よしのり、宮台真司をゲストに迎えてゲンロンカフェにて「日本を変えるにはテロしかないのか?」と題したトークイベントを行う
4月、「カオス*ラウンジ 新芸術校」開講 ※現在は「新芸術校」に改称
5.31 ゲンロンカフェ 笠井潔+藤田直哉+東浩紀「右傾エンタメは日本を亡ぼすのか?——『文化亡国論』をめぐって」
6月、「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」開講(~2019.4)
7.1 友の会第6期開始(1791名)
8月から10月にかけて社会学者の開沼博との往復書簡「脱福島論」を毎日新聞上で連載。意見が衝突したまま折り合いがつかず5回で終了。
9月、カオスラウンジとの共同運営で「五反田アトリエ」開設
10月、小林よしのり、宮台真司との鼎談をまとめた『戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島』(幻冬舎)
10月、第3回チェルノブイリ・ツアー開催
11.5 ゲンロンカフェにて『戦争する国の道徳』刊行記念トークイベントを共著者である小林、宮台を迎えて行う
11.11 「民主主義ってどれだ?」と題したニコニコ生放送に出演。津田大介、奥田愛基、本間信和と語り合う
12月、批評誌「ゲンロン」創刊、『ゲンロン1』刊行
12.26 第5回友の会総会(1751名)
第5回紀伊國屋じんぶん大賞2015「大賞」(『弱いつながり』)
2016年(平成28年)45歳
1月、『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』(幻冬舎新書) 大山 顕との共著
4月、「ゲンロン 大森望 SF創作講座」開講。4月、『ゲンロン2』刊行。韓国取材。
4.25 五反田で佐々木敦と「批評再生塾」第一期と企画の意義をめぐる対談。
5.26-27 那覇で「ゲンロンカフェ出張版」開催
6月、ゲンロンこども教室BBQパーティを城南島海浜公園で開催
『小説トリッパー』夏号で「批評再生塾」特集。
7月、『ゲンロン3』
8.1 友の会第7期開始(1993名)
9月、「ゲンロン 利賀セミナー2016」開催 セミナーの内容が「ゲンロン5」に
10月、第4回チェルノブイリツアー
11月、『ゲンロン4』。好評で増刷。
12.17 第6回友の会総会(1995名)、3会場制になる。
12月26日、J-WAVEの番組「JAM THE WORLD」(ナビゲーター:津田大介)に出演。2016年の5大事件として、「世界各地でテロ」「アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利」「イギリスが国民投票の結果、EUから離脱を決定」「参院選で与党が大勝」「障害者施設殺傷事件」を挙げた。
2017年(平成29年)46歳
3.25 「浅田彰先生の還暦を祝う会」ゲンロンオフィスで開催
4月、『ゲンロン0 観光客の哲学』刊行。3万部近く売れて経営改善。
4月、「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」開講(さやわか)
4月、『再起動する批評』『SFの書き方』ともにゲンロンスクールの記録。
5.27 アンスティチュ・フランセ東京にて「第5回 哲学の夕べ-遊びについて-」に参加。石田英敬、ベルナール・スティグレールと共にラウンド・テーブルに登壇
6.30-7.2 福岡、大阪、京都で「ゲンロンカフェ出張版」開催
9月、『ゲンロン6』刊行
10.1 友の会第8期(2471名)
11月、『ゲンロン0―観光客の哲学』で第71回毎日出版文化賞
12月、『ゲンロンカフェ7』
12.10 「ゲンロンカフェ @ VOLVO STUDIO AOYAMA」第2回として國分功一郎と「いま哲学の場所はどこにあるのか」と題した対談
12.18 J-WAVEの番組「JAM THE WORLD」(ナビゲーター:津田大介)に出演。2017年の5大事件として、「小池旋風の明と暗」「カタルーニャ独立の住民投票で賛成派圧勝」「座間9遺体事件」「ラスベガス銃乱射事件」「北朝鮮ミサイル問題」を挙げた。
12.23 第7回友の会総会(2172名)
2018年(平成30年)47歳
3月、代表室(サテライトオフィス)開設。東と上田は代表室に移動。社員との交流が希薄化したことからこの年の年末にかけての会社の危機を招くことになる。
5月、『ゲンロン8』刊行。ゲーム特集が炎上。
6月、第5回チェルノブイリツアー。
9月、「ゲンロン叢書」創刊、小松理虔『新復興論』刊行(第18回大佛次郎論壇賞)
10.1 友の会第9期開始(2754名)。
10月、『ゲンロン9』。
11月、ロシア取材。取材中に社員から退社希望メールが届き集中できず。
11月、『マンガ家になる!』刊行。
12.18 精神状態が悪化し、ゲンロン解散をTwitterで宣言。
12.21 代表取締役を上田洋子に交代し、株式会社ゲンロンの代表を退く。
12.23 第8回友の会総会(2486名)
2019年(平成31年、令和元年)48歳
1月、自宅に引きこもっている間に上田体制下で社内再編
3月、満州取材。『ゲンロン10』掲載の「悪の愚かさについて」の柱となる
3月、『新記号論: 脳とメディアが出会うとき』(ゲンロン叢書)石田英敬との共著
6月、『テーマパーク化する地球』(ゲンロン叢書)
8月、あいちトリエンナーレ2019の企画アドバイザー辞任。
9月、『ゲンロン10』。大幅リニューアル。
10.1 友の会第10期(3069名)
12.21 第9回友の会総会(2720名)
2020年(令和2年)49歳
2月、プラープダー・ユン『新しい目の旅立ち」(ゲンロン叢書)
2月、新型コロナウイルスの流行を受け、2.25を最後にすべてのゲンロンカフェイベントを無観客での映像配信に転換。スクールも授業をしばらく休止。
3月、大山顕『新写真論』(ゲンロン叢書)23年6月 日本写真協会賞受賞
4月、webサイト「ゲンロンα」公開(のち「webゲンロン」に改称)
4月、『新対話篇』『哲学の誤配』同時刊行。
6.2 外山恒一からの申し入れにより新型コロナウイルス騒動の自粛ムードへの違和感をめぐるゲンロンカフェ対談。この際にオンライン参加した津田大介と激しい口論となり、最終的に絶縁状態となる
7.23 株式会社ゲンロンが合同会社カオスラ(黒瀬陽平)との共同事業の契約解消を発表
8月、ゲンロンカフェの内装を大幅リニューアル
9月、『ゲンロン11』刊行
9月、五反田アトリエがゲンロン単独運営となる
10.1 友の会第11期(3749名)ロゴをリニューアル
10.19 動画配信プラットフォーム「シラス」オープン
11月、株式会社ゲンロン、第36回梓会出版文化賞 特別賞
12月、『ゲンロン戦記「知の観客」をつくる』 (中公新書ラクレ) 石戸諭による聞書き
2021年(令和3年)50歳
1.2 吉田豪によるインタビュー「TwitterやYouTubeで『知の観客』をつくることはできない」(プレジデントオンライン)
2.23 楠木建との対談「何でも無料のインターネットは、「商業道徳」を無視しすぎている」(プレジデントオンライン)
6月、『ゆるく考える』 (河出文庫)
11.24 YouTubeとも信者サロンとも違う…有料動画「シラス」が絶対に炎上しない場所になれたワケ(プレジデントオンライン)
2022年(令和4年)51歳
3月、本社を移転 住所は引き続き品川区西五反田
7月、星野博美『世界は五反田から始まった』(ゲンロン叢書、第49回大佛次郎賞)
7.13 「東浩紀が統一教会を擁護しているというデマにつきまして」をnoteに投稿
これに対し菅野完が「東浩紀さんが明確に統一教会を擁護しちゃってる件につきまして」をnoteに投稿
7.14 なぜ多くの知識人は「新しい生活様式」に飛びついたのか…東浩紀が「ChatGPT騒動も同じ」と断じるワケ(プレジデント・オンライン)
10.19 『ゲンロン13』刊行に際しnoteに投稿
ゲンロンは創業して13年目、ゲンロンカフェも来年の2月で10周年を迎えます。正直言って、弊社の仕事はどんどんやりにくくなっています。中傷も多く、弊社のスタンスが理解できずに去るひとも増えています。チェルノブイリ(チョルノービリ)も、もう行くことはむずかしいでしょう。けれども、それでも、ゲンロンは、いつかまた平和で明るい時代が戻って来ると信じて、そのときのために、人々にかつて心の余裕なるものがあったということを思い出してもらえるような存在として、できるかぎりがんばっていきたいと思います。
12.29 ゲンロンカフェ辻田真佐憲 × 西田亮介 × 東浩紀「「21世紀」は2022年から始まった!」
2023年(令和5年)52歳
2月、ゲンロンカフェオープン10周年記念事業「ゲンロン・セミナー」第1期スタート
6月、『観光客の哲学 増補版 』(ゲンロン叢書)
8月、『訂正可能性の哲学』(ゲンロン叢書)
9月、『日本の歪み』(講談社現代新書) 養老孟司、茂木健一郎との共著
10月、『訂正する力』(朝日新書)
10月、ゲンロン友の会リニューアル
11.30 なぜ岸田首相は「聞く力」を失ったのか…東浩紀「いまの日本は『まちがい』を認められない空気が強すぎる」(プレジデントオンライン)
12.14 リベラル派の「本当の民主主義」という言い方はおかしい…「厄介な保守派」との議論を避けてはいけない理由(プレジデントオンライン)
2024年(令和6年)53歳
2.28 猪瀬直樹×東浩紀「日本は『訂正』できるか」(ゲンロンyoutube) 大阪万博を巡る激しい議論がネットで話題になる
4.11 山本理顕×藤本壮介 五十嵐太郎(モデレーター)と「万博と建築──なにをなすべきか」(ゲンロンyoutube)
4.15 ゲンロンからAIを用いた対話型司書(検索)サービス「クジラ」リリース