INSTANT KARMA

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定点観測

精神科への通院は続けているというし整体治療も定期的にやってるようなので心配は無用だろうけど、さいきんの菊地成孔の文章のテンションが心配になるくらいすごい。

彼の仕事の質量はちょっと誰にも真似できない。単に「こなす」仕事ではなく常に最先端のクリエイティビティを要求される仕事だから猶更だ。また彼は演者であると同時にプロデューサーでもあり経営者でもある。

 

サカナクションの山口一郎はツアーを終えた後に「ぶり返しがきてキツい」という心情をSNSで吐露した。その中で彼は

SNSでの投稿とは、暗闇の中、相手に向かって硬球を投げるキャッチボールと同じで、安易で危険だ。しかも投げたらいずれ100%近く相手に届く固い硬球だと思った方がいい。狙って投げなくても、狙って投げても、相手のどこかに当たる言葉のツーシームだ。当たり所が悪ければ、相手の精神状態に致命傷を負わせる可能性があるのだ。

と述べているが、これは菊地成孔による山口一郎に向けた一連のTwitter(X)ポストに対するアンサーのようにも読めてしまった。

ちなみに、菊地の一連のポストとはこういうものだ。

リハビリで思い出したけど、サカナクションのやり方は撞着という意味でガチ危険。僕はパニックになった時、どんなきつい症状の時も、なぜか演奏の時だけは症状が魔法のように消えた。サカナクションは音楽云々よりも、面白くもないやつが自分は面白いと思い込んでる段階で症状の元手になると思う。面白くもないのに、自分は面白いと勘違いするのが許されるのは(神経症との共生を選んだ)YMOだけ。サカナクションはこの既得権を悪く継承している(繰り返すが、音楽は良くも悪くもない)
午前8:04 · 2024年8月21日

ディスってるとしか思われないだろうが、同症の経験者として愛も知性もある提言をしているだけだ。面白いというのはよしもとの芸人が面白いような事であって、YMOサカナクションがしてるのは「別種の、都会的で、ちょっとシュールで洒落た面白さ」なんかじゃなくて、神経症患者のそぶりをギャグだと誤解しているだけだし、それを面白がってるスタッフもかなり悪質。スネークマンショーYMOのメンバーだとマジで思ってたジンジャールーツには罪はない。
午前8:17 · 2024年8月21日

まあ、僕より売れてんだから、売れもしてないやつの妬みとでも思うのが一番楽な合理化だ。だがもう刺さってるぞ。抜きたかったら根本から考え直すことだ。お前に足りないのはこれを言ってくれる人物だと分かるまで何年かかるかはお前の抵抗値が決定する。
午前8:25 · 2024年8月21日

さらにSaki Kimura / Sake Journalist@sakeschiという人のポストへのリプライという形で次のようにポストしている。

鬱型であれ躁型であれ(臨床にこんな区分はありませんが)、神経症を患った時に、「エモさで突破」「ハイでやり過ごす」は、あらゆる見地から、非常に危険で、例えば美容クリエーターのIKKO氏はテレビで、治癒過程をドキュメントしていましたが、それは「韓流ドラマを見て、ぶち上がったり、泣きまくったりして治す」という、おもわず笑ってしまうような危険なもので、「IKKOさん、ちゃんとして〜」とモニターの前で呼びかけてしまいました。

その後、彼(彼女?)の症状が好転したとはとても思えず、悪化の果てに一度マスメディアから姿を消し、現在は適切な治療を受けて復帰しています。現在の治療に関しては、何かの美容雑誌に書いてあり、それは特にすごい治療とかではなく、ありきたりな普通の治療でした。

これが唯一の正しい治療法だとも言えません、アニマル浜口氏はパニック発作に際して、海に飛び込んで法華経か何かを10回唱え、陸に上がったら克服したいた。としています(「気合いだ」の10回は、この時の法華経の10回に由来していると推察できます)。

とはいえこの「ブチあがっちゃえば乗り越えられる」という、不可能性に対する評価の間違い=誤謬=倒錯が、「面白くもないのに、面白いことをしていると勘違いしている」という、(あくまでテレビのコント番組における)サカナクションの、ベーシックぐらいの位置にある誤謬=間違い=倒錯とアナロジー領域で完全に一致すると考えました。僕は彼らのNHKでのコント番組を見ながら、面白いとか面白くないとかよりも(それは端的に「面白くない」のですが、面白くないだけなら、他にも山ほどタレントはいます)、「なんでこの、面白くもない人たちは、<面白い人>扱いを受け、ましてや、自らも同意しているのであろう。非常に苦しそうであり、それは視聴者にも伝わるほどで、十分、神経症の因子になりうる」と長らく思っていました。

これが発症前の、一種の準備の堆積というか、全体です。

山口一郎氏は発症し、なんらかの治療を受けたと想像します。その内容はともかく、氏は僕と同じ音楽家ですから、「エモで突破」は非常に容易いです。エモい時、人は大変なアドレナリンが出ており、症状は一時的に治るので、「これで治る」ぐらいの手応えは十分あるでしょう。

ですがそれは非常に危険で、あまつさえサカナクション寛解後の復活ツアー。そのセットリストには、何か<音楽のテーマ>ぐらいのイメージで神経症が感動的な楽曲のあり方と癒着していると思い、余計な警鐘を鳴らしたことで、ファンの方々の逆鱗に触れるだろうなとは最初から思っていました(もうなくなりましたが、ポスト直後はメールボックスに殺害予告や、全知全能をかけた僕への罵倒が届きました)が、おそらく側近には誰も言えません。なので書いたわけです。

SNSの風潮も何も、僕は過去、キャンセリングを目的地に吊し上げを喰らいましたが、特に何もなくSNSはサイバーなソサエティですらない。とする立場なので、殺害予告等等もSNS以前から頂き慣れてますし、山口氏には面識がないし、DMというものの出し方がわからなかったので、ああした方法を採りました。

僕の言葉も、やり方も完全に有用性がなく、無駄に多数の方の神経を逆撫でしたのだとしたら、それはそれで特に何も思いません(現代はこの段階で、謝罪する社会ですが、これで謝罪していたら、やがて社会は窒息死するでしょう)、無駄だったなと思うばかりです。せっかく書いたのだから、ほんの僅かの有用性が発揮され、山口氏がスムースで力強く、再発などないような未来を過ごされる一助になればと思っています。
午前11:39 · 2024年8月23日

山口は、先の文章に続けてこう書いている。

ネット上での品性とは、声と文で伝わり方は変わるが、一視点から瞬発的に自分から溢れ出た考えを、一度自分の中に留めて優しさで熟成させる事だ。時間や他意見により濾過させ、それを会ったこともない不特定多数に発信すること。それが最大のネットリテラシーの作法の一つではないかと思う。人に優しくして損することなんてないのだから。ただ政治や社会構造について、国民の意見を発信する事は大事だ。しかしそれには知識が必要だが、多々ある意見や歴史、政策を精査し、自分の意見を積極的に発信すべきだと思う。しかし、僕というたかがミュージシャンが、この日本でそれを発信するとバカがバレるので、自分の思想を抽象的な表現や情景描写、定点観測をし、歌詞に混ぜ込むことしかできない。でも、それも文化の役割だと思っています。

これはもちろん一般論としても読めるが、このタイミングで発信されたことを考えると、どうしても菊地の文章に対する応答のように思えてしまう。

そう考えれば、菊地の「愛も知性もある提言」は山口にとって「優しさ」に欠けた「相手の精神状態に致命傷を負わせる」固い硬球として受け止められたことになり、短期的に見れば「失敗」だったということになるのだろう。

だが、物事をもっと長期的に見れば違う評価になるかもしれない。それは今後の経過を見守るしかない。