第一部
一 おやすみ
よそ者として来たりて
よそ者としてまた去り行く
五月の街は花にあふれ
我を温かく迎え入れぬ
乙女は愛を語り
母は婚(くづ)らをも口にせり
然れど今 世界は闇に閉ざされ
路は白雪に埋もれたり
旅立ちの刻を選ぶ術とて我に無し
この暗冥の中 独り行方を求めるに如かず
月影に映ろふ己が影を唯一の伴とし
雪深き荒野を獣道にしたがひて歩み行く
いかでかこの地に留まれん
人々は皆 我を追い立てんとす
狂える犬どもは 主(あるじ)の門前にて
気の済むまで吠え猛るがよし
移ろいやすきは人の情(こころ)
これぞ天の定めたる理(ことわり)
ひとりを愛せば また次なる人へと
愛しき人よ さらば、おやすみ
汝(なれ)が見る夢を壊したくは無し
安らかなる眠りを妨げたくも無し
忍び足にて歩みを進め
音を立てず戸を閉ざさん
出でゆく際(きわ) 汝がために
門に「おやすみ」と記し残さん
我いかに汝を思いつつ去り行きしを知らせんがため
二 風見鶏
愛しき人の屋根の上 風は風見の鶏と戯る
妄執に囚われし我は思えり
「これぞ惨めな逃亡者を 口笛して追うものか」と
疾く気付くべきなりしを
屋根に掲げられし その標にさあらば
夢見ることだになかりけん この家に操正しき乙女の姿を
風は家人の心をも弄ぶ
屋根の上の如く ただ音もなく
誰が我の嘆きを分かち得ん
富める家に 娘を嫁がするをのみ願う者どもに
三 凍りし涙
凍てつきたる雫 我が頬を伝ひて堕つ
知らぬ間に 我が涙しおれるにやあらん
ああ、涙よ 我が涙よ
などてかくも微温(なまぬる)きか
寒けき朝の露のごと
はやも氷になり果てむとは
燃ゆるがごとき熱き想いもて
胸の泉より湧き出でよ
冬の氷をことごとく溶かし尽くすその時まで
四 氷結
空しきを知りつつも 雪のなかに汝が足跡を求めて彷徨ふ
かつて我が腕に縋りつつ 共に行きにし緑の野辺を
この大地に熱き接吻をなし
氷雪をば我が涙にて溶かさん
地の底の剥き出しの土をこの眼に見んがため
花はいずこへ去りゆきしか 緑の草はいずこに在りや
花は皆死に絶え 草は枯れ果て色褪せにけり
この地より形見とて 持ち出づる品もなきにやあらん
我が苦悩もし消え失せなば 誰が汝のことを語り継がん
我が心は今や死せるに等し 汝が面影そこに凍てつけり
もしもこの心再び解けなば 汝が面影もまた流れ去らん
五 菩提樹
門(かど)の外なる泉のほとり
一本(ひともと)の菩提樹立てり
その陰に嘗て我は幾度か甘き夢を見しものなり
愛しき言の葉をば 幾つもその幹に彫り刻みき
幸ひなる時も 悲しき時も
心は常にその樹にぞ向かひき
今日もまた夜更けに及び
その樹の傍らを過ぎ行かざるを得ず
暗冥の中なれど 我は思わずも眼を閉ざせり
枝葉はざわめき鳴りわたり 我に語らふが如く
「来たれ若人よ我がもとへ 汝が憩いはここに在り」
寒き風は正面より我が顔を打ち据えぬ
笠を飛ばされ失えども 我は断じて顧みざりき
今や我はその場所より遥(はる)けく隔たりぬ
然れどあのざわめきは今も聞こゆ
「汝が憩いは ここに在り」と
六 溢るる涙
我がまなこより溢るる涙
あまた雪に堕ち行けり
寒けき雪片は渇けるがごと
熱き苦しみをことごとく飲み干しぬ
草の芽吹く春の来らば 暖かなる風吹きわたり
氷は微塵に砕け散り 柔らかなる雪も解け流れん
雪よ 汝(なれ)は我が想いを知るらん
語れかし いずこへ流れ行かんとするを
ただ我が涙の跡を辿らば たちまちに小川の汝を迎え入れん
小川と共に街を突き抜け 賑わえる通りを流れ過ぎゆけ
もしも我が涙熱く燃ゆるを覚らば
そこぞ愛しき人の住まう家ならん
七 川の上にて
あな快げに流れしものを
清らかに猛りしその流れよ
今はかくも 黙(もだ)し果てて
別れの言葉だに 無きにやあらん
堅き氷をば 幾重にも
己が身に纏ひ尽くして
汝は冷たく動くことなく砂の褥(しとね)に横たわれり
その氷(ひ)の覆いの上に尖れる石もちて
愛しき人の名と離別(わかれ)の月日を刻み付けん
初めて言葉を交わしし日と 我この街を出でゆく日を
その名と日を囲むがごと 破(わ)れし指輪を縁取り描かん
我が心よ
この小川に己が姿を見るならん
氷の殻の底底に
激しき奔流の逆巻くさまを
八 回想(かえりみ)
氷雪の上を踏み行くも 足の裏は燃ゆるがごとし
町の塔の視界より消え失せるまで 息つく暇も我は欲せず
石に躓き よろめきつつも
急き立てられて町を逃れぬ
鴉は屋根より嘲るごとく我が笠の上に雪を落とせり
迎えられし時はかくもあらざりき
移ろいやすきこの町よ
家々の窓辺 光に満ちて
雲雀(ひばり)と小夜啼鳥(ナイチンゲール)歌を競ふ
菩提樹の花は咲き乱れ
清きせせらぎ光を湛え
然して ああ汝が瞳の輝きよ!
そこぞ汝が破滅の場なりき
若人よ!
あの日を想えば 心は千々に再びそを顧みんとす
よろめき歩み 戻り行きて
静かに汝が門辺(かどべ)に立ちたく願ふも
九 鬼火
険しき岩根の底深く 鬼火に誘われ迷い入りぬ
いかにおして出口を求めん
もとより我には関わりなきこと
迷い歩むは常の習い
いかなる路も果てには通ぜん
人の世の歓びも悲しみも 鬼火の為す戯れに過ぎず
水の涸れ果てし渓流を静かに下りて行かん
いかなる川もやがて海に帰すがごと
いかなる嘆きも終(つい)には墓に眠らん
十 休息
身を横たへ休みて
初めて己が疲れの深きを知りぬ
荒らぎし旅路にありて さすらいの心のみぞ我を支えし
足は憩いを求めざりき 立ち止まるにはあまりに寒ければ
負いし荷の重きを知らざりしは
嵐の背を押し 歩みを助けたればなり
炭焼きの小さき小屋にて ようやく安らう場所を得たり
然れど手足は休まることを知らず
身に受けし傷 火の如く燃え盛れば
我が心よ
闘ひと嵐の中にては 汝はかくも勇猛なりき
されど静寂(しじま)の中に来りて
今 心に巣食う虫の疼きを知るや
十一 春の夢
色とりどりの花の夢を見き
五月に咲き匂ふ鮮やかなる花々
緑の野辺を夢に描き
朗らかなる小鳥の囀りを聞きぬ
然れど 鶏の鳴く音にふと眼を覚ませば
あたりは凍てつき 闇は深く 屋根より鴉の喚く声ぞする
窓の硝子に誰が描きし氷の木の葉の模様なるか
冬に咲く花を夢見る愚者を嘲り笑わんとするにやあらん
我は恋の夢を見き
麗しき乙女の夢を見き
睦み合い接吻を交わし 至福の喜びに浸りき
然れど 鶏の鳴く音に わが心は現(うつつ)に連れ戻されぬ
今は独りただ座して消え去りし夢を想い耽るのみ
再び瞼を閉ざせば 心はいまだ熱く高鳴りぬ
窓の葉はいつ緑に色づき 愛しき人をいつこの腕に抱かん
十二 孤独
樅の木の梢をば そよ風の吹き過ぎ行くとき
晴れわたる空の彼方を 陰鬱なる雲の漂ふがごと
我は重き足取りもて独り我が路を歩みゆく
活気ある街の中をば 挨拶だにせず孤独に進む
ああ 天の下の静かなることよ
ああ 人の世のかくも明るきことよ
猛り狂ふ嵐のなかにありし時
我は今ほど惨めならざりしを
第二部
十三 郵便馬車
街路の彼方より郵便馬車の喇叭の音 高らかに響き来たり
いかにしてかくも激しく騒めくか、我が心よ!
馬車が汝に文を運ぶ よすがなど 露だになきものを
それなるに いかにして怪しく高鳴るか、我が心よ!
然り、あの馬車はかの町より来れり
我が愛しき乙女の住まえる町より
我が心よ!
窓より首(こうべ)を差し伸べて
彼の地の様子を問わんと欲するか、我が心よ!
十四 白き頭
霜はわが髪に降り懸り 頭(かしら)を白銀に染め上げぬ
これにて我も老いにけるかと 心密かに悦びしものを
然れど霜は忽ちに解け 髪はまた元の黒にぞ戻りける
我が若さの恐ろしきかな
墓に入るまで いかほど遠き道ならん
入り日より朝明けの間に白髪と成る人 世には多しと聞く
然れど誰がそれを信じ得ん
我が髪はこの苦しき旅路を終えても些かも変わりゆかねば
十五 鴉(からす)
一羽の鴉 我に随い かの町より来りぬ
今に至るまで離るることなく
我が頭(こうべ)の上を舞いめぐりぬ
鴉よ 妖しき鳥よ 我を捨て去る心なきか
はやもなく力尽きんとする我が骸を
さては餌食となさんと欲するか
さすらいの杖に縋りつつ歩み行くも
もはやいくばくもなし
鴉よ、終の時まで示せかし
我が墓に入るまで 操正しき汝が姿を
十六 最後の希望
梢に茂れる枝々に色づきし葉のあまた見ゆ
我は樹々の御前に佇み
物思いに耽る
一枚(ひとひら)の木の葉をば見定めて希望(のぞみ)を託さん
風がその葉と戯れば 我が心も戦慄(わなな)き震えるを覚ゆ
ああ遂にその葉は地に堕ち
我が希望もまた潰え去りぬ
我もまた地に崩れ伏して
希望の果てしその墓に涙を流さん
十七 村にて
犬どもは吠え猛り 鎖は鳴り響く
人々は各々の臥所(ふしど)に眠り
未だ得ぬものを夢に見ては 一喜一憂し惑へるなり
朝明けと共にその夢は霧散せん
然れどそれも良し
己が分に甘んじ
得られぬ夢を再び枕の上に見んことを願ふものならば
吠え立てて我を追え 目覚めたる犬どもよ
この微睡みの刻 我に安らぎを与ふるなかれ
我が夢はことごとく破れ去りぬ
いかでか夢見る者らのなかに
留まるべくもあらむ
十八 嵐の朝
嵐は烈しく引き裂きゆく
天を覆える灰色の雲を
千切れし雲のあちこちに飛び散るは
闘ひに疲れたる姿にぞ似たる
然して紅の炎の雲の狭間に燃え上がるを見よ
これぞ我が心に相応しき朝と言うべし
我が心は大空に描かれし己が姿をまざまざと見つむ
そはまさしく冬そのものなり
冷たくすさびし冬そのものなり
十九 幻
一筋の光 我が前にて
睦まじげに舞い
我はあてどなくその影を追いゆく
そは旅人を惑わす妖しき火と知りつつ
我は喜び従ふ
ああ 我のごとき惨めなる者のみぞ
かくも鮮やかなる欺きに惑わさるのは
氷と夜と恐ろしき闇を越えて
明るく暖かなる家を描き出さん
その家の内には愛しき人の情(こころ)宿る
我に与へられしはただ虚しきまぼろしのみ
二十 道しるべ
他の旅人の行き交う道を
なにゆえ我は避けゆくか
雪の降り積む岩山の
隠れたる小径を
なにゆえ求むるか
人目を忍ぶべきほどの 悪しき業をばなせしもあらず
いかなる狂せる執念が我を荒れ野へと駆り立てむ
街路には道しるべの立ちて
人の住まう町を指し示せども
我は限りなき道を行き続けん
安らぎを求め 休らうことなく
一つの標(しるべ)の御前に立ち
我はひたすら凝視(みつ)めたり
いまだかつて還り来る者のなき路を
我は独り歩み行かん
二十一 宿屋
我が歩み来し路の果て
ひとつの墓所に辿り着きぬ
ここを宿として憩わんと
我は独り思い定めり
墓に懸かれる緑の供花(くげ)よ
汝らは 疲れ果てたる旅人を
冷ややかなる宿へと誘う標(しるべ)にやあらん
この宿にはもはや一間の空きも無しと言ふか
我は死に体にて 倒るる寸前
深き傷をば 負いし身なるに
ああ、無慈悲なる宿の主(あるじ)よ
さまでに我を拒むか
さらば詮なし
さらに歩まん わが忠実(まめ)なる 旅の杖よ!
二十二 勇気を
雪が面(おもて)に降り懸らば
ただ払い落として進むべし
胸の裡より嘆き聞こはば
高らかに歌いて抗わん
心の説くことなど聞かぬ
心の訴えなど知らぬ
嘆き悲しむは愚者の業
我は一切を感じることなし
勇みて世界へ躍り出でん
風と嵐に立ち向かわん
もしもこの世に神なくば
我みずからが神とならん
二十三 幻日(げんじつ)
三つの太陽 空に並び
我は久しく凝視したり
彼の太陽もそこに佇み
我を棄てじとするがごとくに
ああ、汝らは 我が太陽にあらず
他人の面(おもて)を照らすがよし
まことに我も三つの陽(ひ)を持ちしが
よき二つは既に沈み去りぬ
残れる一つも沈むがよし
深き暗闇こそわが住処なれば
残れる一つも沈むがよし
闇こそ我にはふさはしければ
二十四 辻音楽師
村のはずれの寂しき場所に
手回し琴弾き独り立つ
凍てつく指をかじかませ
なしうる限りの曲を回せり
裸足にて 氷の上をよろめき歩み
行き過ぎゆく施し求む
小さき皿はいつまで経ても虚しきまま
誰一人として聴かんとせず
誰一人として見向きもせず
ただ犬どもが
老いたる人を囲みて荒々唸るのみ
然れど彼は
全てをなすがまにまに委ねつつ
ただひたすらに琴を回せり
その調べこそ絶ゆることなけれ
妖しき翁よ
我は汝と共に歩みを運ぶべきにやあらむ
我が歌の節に合わせ
汝が琴を奏でてはくれぬや
