INSTANT KARMA

We All Shine On

Controversial Politics & Uncontroversial Music

昨日は2年ぶりにシラスの番組を購読して視聴。

パスワードを忘れてしまったのでメルアドを送ったら存在しないと言われたのでもう一度登録し直す。新しく設定したパスワードはもう忘れてしまった。

両者の本の愛読者であり菊地成孔の有料チャンネル「ビュロー菊地」にも登録しているので(8月から880円→1380円に値上げするらしく継続するか迷っている)、この組み合わせは観ておくべきだろうと思った。

近年は思想哲学の概念を分かりやすく伝えること専念している東と外連味のある文体を駆使する菊地の対話は異種格闘技戦めいた予感も感じさせたが、二人ともトークのプロであり、本質的な所での相互理解が感じられるため5時間ずっと面白く、聞き逃せる部分がなく、あっという間に終わった。

ただ菊地成孔が「政治についての質問をすべて東さんにぶつける」と言っていたのが結局あまりできなかったようだったのと、「戦争を知らない子どもたち」をはじめとする楽曲(反戦音楽)のプレイとその解説がなかったのがちょっと残念だった。

東は「ぼくは音楽のことは分からない(から音楽について不要な発言はしない)」という従来のスタンスを維持しつつ、次の著書に向けて研究している日本思想史における和歌や謡曲の韻律と旋律の影響、中国古代から音楽の力が政治に果たしてきた役割と影響などについて言及し、菊地の専門ジャンルに歩み寄る姿勢も見せたが、菊地による「あずまんの喋りを音楽に乗せようとする試み」は初歩的な実験段階の萌芽を垣間見せるに留まった。

あくまで印象論ではあるが、番組最終盤での東による唐突にも思えた蓮實重彥(及びその影響下にある映画批評)批判は本編全体を通して唯一想定を超える重度をもった発言であり、日本思想史的にも意義をもつ内容を備えていたように感じた。

 

この二人は現在、いわゆる「左翼」からSNS(X)上で「袋叩き」に遭っているという共通点がある。その点については両者ともかなりの程度自覚的に振舞っており、(特に菊地は)敢えて挑発者としての役割を引き受けているところもあることは普段から気づいてはいた。

この番組で分かったのは、東には90年代以前にサブカルに乗って戯れていたような人々が最近になって政治的リベラルに「転向」しうまく立ち回っていることへの反感のようなものが根っこあるということだった。

その逆に東への批判にはさまざまなレイヤーがあり、たんに東の言動の中に既存の体制への迎合的な姿勢を見る「プロ左翼」的な視点のものから、アカデミズムの枠をはみ出て自由な言論の場を築いている東への半分やっかみの混じったような知的集団からの批判まである。東は過去の苦い経験からそうした「アンチ」にかなり敏感になっており、著作権などの法的な部分では自覚的にかなり防御的な姿勢を取っている。

菊地は、そのような東の姿勢に理解を示しつつ、自らは「反復」する時代の観察者かつ警告者として定期的な炎上も含めて「真剣に戯れる」道を選んでいるように思えた。

 

ぼくにはどうもSNSの「炎上」の一切合切が薄っぺらい「コップの中の嵐」に思えて仕方がなく、真剣な関心をもつ価値があるとは思えない。しかし現実としては絶え間なくそうした話題を時間つぶしの退屈しのぎに消費し続けている。

ぼくは生来の陰謀論者なので、これらすべてが「本当に大事なこと」から目を逸らすために仕組まれているに違いないという発想を持ちがちであり、そういうものに抵抗し逃走したいという姿勢が自分の思考を根本的なところで規定している。