INSTANT KARMA

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吉田でGO

吉田豪の本が読みたくなり、プロレスには1ミリの興味もないのに吉田豪の“最狂”全女伝説 女子プロレスラー・インタビュー集』白夜書房、2017年)を図書館で借りた。たまたま週刊プロレスがリサイクル本のコーナーに廃棄本として大量に積まれていたので、女子レスラーが表紙のやつ(2021年12月29日号と2022年3月2日号)を貰っていった。

吉田豪の師匠ということでリリー・フランキーの本も読んでみようと思い、あの有名な『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』も借りてみた。

 

吉田豪はライターであり取材者であり、取材対象となるゲストを料理する立場であり、ゲストを主役とすれば脇役の立場を選んだ人である。だが彼自身が非常に興味深い人物であることは彼を知る人なら皆知っている。

彼のユニークさは、独特のバランス感覚にある。芸能人やプロレスラー、ミュージシャン、アイドル、漫画家など非常に個性的で灰汁の強い人々を取材対象としながら、決して対象に取り込まれることがない。政治的にも文化人的にも振舞える立場にありながら、そのどちらからも絶妙に距離を取っている。

そして真の姿を明かさない。自分自身については最小限度のことしか語らない。彼がどんな女性と付き合っているのかについての情報は決して出てこないし(それゆえに、新宿二丁目に居住していることとも相まって”そういう噂”もあるほどだ)、個人的な嗜好性を露わにすることもない(アイドルのことはあくまでも”アイドルとして面白いかどうか”、という基準で評価している)。

かといって閉鎖的で秘密主義というわけでもなく、彼ほどオープンな態度で活動している人も珍しい。ネットには無料有料含め彼の発信するコンテンツが溢れているし、自宅にアイドルやアーチストを読んで公開放送したり、さまざまな媒体で時事ネタやスキャンダルについて自在に持論を展開している。

小学校の頃はアニメオタクで、中二の頃からヤンキー文化に染まり始め、姉の影響でパンクやメタル、ニューウェイブなどの音楽にハマり、好きなバンドの影響で菜食主義者になったという。

好きなことを仕事にする、というポリシーで生きるサブカルの人は四十歳くらいでメンタルがやられる、という傾向を敏感に察知した彼は、リサーチも兼ねてさまざまなサブカル文化人にインタビューし、サブカル・スーパースター鬱伝という著書も出した。その成果かどうか分からないが、彼自身は52歳の今も強いメンタルの危機を迎えているようには見えない。

彼は自分と同い年なのでそういうシンパシーもあるのだが、どうもこの世代の人間というのは、批評的、バイプレイヤー的立ち位置が似合う人間が多いような気がしていて、その代表が吉田豪のような人ではないかと思っている。

ゴダール・川端・ozawa

フランス映画の巨匠、ゴダール監督が亡くなった。スイスでは合法化されている自殺ほう助の方法を取ったという。91歳で、病魔に苦しんでいたというから、やむを得ない決断だったのかもしれない。ゴダールの映画は「勝手にしやがれ」しか見たことがないので何も知らないが、エリザベス女王の死去に続き、二十世紀の終焉を感じさせられる出来事であった。

岩波文庫川端康成随筆集」を読む。「末期の眼」という有名なエッセイの冒頭に、伊香保温泉を訪れた老いた竹久夢二を評するくだりがあって、相変わらずの容赦無さに思わず笑ってしまう。

もともと夢二氏は頽廃の画家であるとはいえ、その頽廃が心身の老いを早めた姿は、見る眼をいたましめる。頽廃は神に通じる逆道のようであるけれども、実はむしろ早道である。もし私が頽廃早老の大芸術家を、目のあたり見たとすれば、もっとひたむきにつらかったであろう。こんなのは小説家に少なく、日本の作家には殆どあるまい。夢二氏の場合はずっと甘く、夢二氏の歩いてきた絵の道が本筋でなかったことを、今夢二氏は身をもって語っているといった風の、まわりくどい印象であった。

それから、『新潮』1971年12月号からに連載していた「志賀直哉」が絶筆となり、その最後の原稿(1972年3月号)の最終部分には次のように書かれている。

それはとにかく、この鼎談にも少し出ている、志賀さんの太宰治評、これが問題である。やがては、太宰氏の「如是我聞」、志賀さんの「太宰治の死」を生むに至る。

例の、太宰が志賀に食って掛かる原因となった座談を長々と引用した後に書かれた、この言葉の続きが読みたかった気がする。

この件についてはブログの過去記事にも書いた。

なおやVSおさむ BEEF

川端は両者のBEEFについて何と評したのだろうか。興味は尽きない。

「随筆集」の中でも川端が芥川の死に言及した部分は多くあるが、芥川にせよ太宰にせよ、傍目にはまだまだ創作活動の盛りにあると思われた時期に突如自らの生涯を終わらせた作家であった。これらに比して川端の死は、もはや新たな創作の不可能を悟っての死という意味で、彼らよりはむしろゴダールの死に近いと思わせるものがある。

 

吉田豪年譜(暫定版)

吉田豪年譜(個人的な備忘録のためかなり適当な部分あり。随時更新予定)

1970年(昭和45年)

9月3日、東京都練馬区江古田で生まれる。二歳上の姉がいた。両親は印刷会社に勤めており、麻雀仲間はほとんど出版関係者で、雑誌が刷り上がると漫画や音楽誌を発売前に贈ってくれた。

姉の影響が大きく、パンクやメタル、ニューウエーブなどの音楽や、プロレスや少女漫画も姉を通じて知る。

1978年(昭和53年)8

小学二年生の時、江古田から同じ練馬区内に引っ越し、転校する。

多動的傾向あり、一人だけ教卓の横に机をつけられていた。部屋の片付けも病的にできなかったが、放任主義だった両親はそのことで叱ることはなかった。

小学校時代はアニメオタクだった。父親のマイクロカセットにアニメ主題歌を吹き込んだり、友達の悪口を吹き込んで本人に聴かせるなどの悪ふざけもした。

1982年(昭和57年)12

小学校の卒業旅行(ディズニーランド)に参加せず。

1984年(昭和59年)14

中二頃から、周りがどんどんヤンキーになっていき、舐められないためにバイク雑誌などを読んで不良的な知識を勉強する。当時不良文化だったアイドルの研究も行うようになる。学校の勉強は嫌いだった。

中学の時に、毎回友達が言い間違えとかするのを全部生徒手帳にメモして、1年、2年たっても言い続けるっていう男だった

社会の授業の課題でアニメーターに仕事についてインタビューし、業界の過酷な現実を聞かされ、アニメに携わる夢を捨てる。

1985年(昭和60年)15歳 

おニャン子クラブ中島美春(なかじ)卒業公演で初めて武道館に行く。ちなみにおニャン子クラブでは高井麻巳子が好きだった(初めての秋元康インタビューでそこを責めた)。姉の友達の親(国会関係者。ロッキード事件で逮捕された灰色高官)にチケットを押さえてもらった。

1986年(昭和61年)16

入試で30点取れれば入れる大学付属の私立高(城西大学附属城西高校)に単願推薦で入学。

4月8日、岡田有希子の自殺のニュースに衝撃を受ける。

高校生活はパンクとヤンキー文化に浸り、文化祭実行委員になって文化祭を阻止する活動など行う。根っからのヤンキーからも、文化系のサブカル趣味の生徒たちからも浮いてしまう存在になる。

1989年(平成元年)18

人生初インタビュー。「修羅」というアングラ系音楽ミニコミで「にら子供」というコミカルハードコアパンクバンドを取材。次号は「ジムノペディア」というロックバンドを取材するもミニコミの休刊でお蔵入りになる。

高校の卒業式の間、職員室に軟禁される(金髪をスプレーで不自然な黒髪にしたのに教師がキレた)。

高校卒業後、原宿駅前のテント村のパンクショップでバイトを始めるが、帽子で隠していた金髪がみつかってクビになる。

パンクショックのバイト面接で、「ボクはパンクで金を稼いでいいのか葛藤があります」って言ったんですよ(「豪の部屋」The Star Club HIKAGEとのトークより)

以後一年間、「金がなくて時間だけあるのが一番辛い」時期を過ごす。

ロシア(当時ソビエト連邦)に留学した姉の影響で左翼思想に走り、反原発イベントに参加するなどして自宅の電話が盗聴されていた。

18歳、ミニコミ『修羅』スタッフに白塗りメイクされてYBO2×ZOAの新宿LOFTに行ったときの写真

1990年(平成2年)19

無試験で入れると友人に誘われて東京デザイナー学院に入学。

下手に色々詳しいから、中途半端に語る奴が腹たってしょうがなかった。おまえら、そんなもんも知らないでアニメを語るな、こらぁ!って(笑)。それで反戦反核、反オタクをテーマにするバンドを組んで、アニメ・ソングをパンク・ヴァージョンでカヴァーして、オタク批判の歌詞をガナりたてたりして。あと、漫研のクイズ大会に殴り込みをかけてぶっちぎりで優勝したり

在学中に両親が離婚。姉が結婚して実家の部屋が空き、物で埋め尽くされる。

1992年(平成4年)22

卒業制作で当時の学校の校長や教員の暴露本を制作する。このときの清掃のおばちゃんらへの聞き込みがその後のインタビュー活動の原点となる。

学長の暴露本を作ったんですよ。掃除のおばちゃんとかに取材して。そしたら、『聞いてよー。私、あいつの愛人の家の掃除行かされたのよー』とか、教師に『実は地上げで一回捕まっててねぇ』とか聞くと、地上げの現場に行ったりとか、物凄い緻密な取材をして。面白いのは、それまで毎年全員分の卒制が上野美術館で展示されてたのが、俺らの代から代表者だけになって。明らかにはじかれた! と(笑)。だから、勝手に置いてきたり、学園祭で販売したりしたんだけど

専門学校在学中(9月)に反原発漫画情報誌『コミックボックス』に内定。3月に私服で面接に行ったら落とされる。4月末に知り合いが辞めた編プロ(アートサプライ)に入社。『宝島』『ビデオボーイ』『マガジンWooooo!』などの記事を書く。杉作J太郎平山夢明リリー・フランキーの原稿を打ち込んだり、ビデオ評を書いたり、アイドルの取材などを行う。リリーとの師弟関係が始まる。

1993年(平成5年)23

入社2年後に『紙のプロレス』に引き抜かれる。

紙プロ』がイヴェントをやった時、“ターザン山本高田文夫トーク・イヴェントに、サクラで来てくれ!”って言われて見に行ったんだけど、なぜかターザンが高田文夫に激怒して途中で帰っちゃって。『紙プロ』の編集長(山口日昇)が壇上に上がってつないだんだけど、イヴェント終了後、挨拶に行ったらそのまま『紙プロ』編集部まで拉致されて、朝まで仕事させられた。でも、そのギャラが凄い良かったから、以後ちょくちょく手伝うようになったのがきっかけ

インタビュー記事を執筆するようになり、次第にライフワークとなっていく。『中州通信』というミニコミで著名人のお墓参りや自殺現場に足を運ぶ連載を書く。

1995年(平成7年)25歳

4月19日、久しぶりにハマったアイドルグループ「みるく」の堀口綾子自死。精神的に壊れそうなアイドルへのインタビューを通して力になりたいとの思いを強くする。

大谷Showが「紙プロ」に連載していた書評があまりにつまらないので代わりに書くことを申し出る。結局連載を奪取するかたちになる。

ゴーストライターを務めたダーク広和『催眠術師になりたい』が出版される。のちに、東大和田市一夫多妻男事件(2006年)のタネ本として有名になった。

1996年(平成7年)26

紙のプロレス』の分裂に伴い、紙プロ編集部を事務所として間借りしながらフリーランスになり、『BUBKA』(コアマガジン白夜書房)『ダカーポ』(マガジンハウス)など、30本前後の連載を抱える人気ライターとなる。

12月、マンガ地獄変』(植地毅宇田川岳夫らとの共著、水声社、1996.10)

元東声会京都支部長・唐田知明や朝堂院大覚総裁との記念写真

紙プロ」の事務所(ダブルクロス)の家賃(月3万円)代わりに「紙のプロレスRADICAL」を手伝うという条件だったが、明らかに家賃以上に働いていた。山口日昇がPRIDEやハッスルの中の人として仕事をするようになり、そうした興行にも平気で駄目出しをする吉田は山口から次第に疎まれるようになる。

1997年(平成9年)27

2月、「悶絶! プロレス秘宝館」発売

2000年(平成12年)30

7月10日(月) 月刊誌「TVチョップ」(エンターブレイン)の打ち合わせでいきなり月30本以上コラムを書くよう依頼され固辞するもそのまま拉致、キャバクラに連行されて引き受けさせられる。最終的にはコラムではなく著名人ロングインタビューを30数本に毎日分割して載せることになる。これが翌年「男気卍固めとして単行本化され、吉田豪の初期の代表作となった(2007年には文庫化)。

2001年(平成13年)31歳

1月、橋本真也「Missing Person」という本を巡り「紙のプロレスRADICAL」で佐々木徹を批判したら謝罪広告を出せと抗議が来るが、誌上に適当な謝罪を出しただけで終わらせる。

2004年(平成16年)34歳

1月、「紙プロ」に書いた高田延彦の妻・向井亜紀の『会いたかったー代理母出産という選択』の書評に高田が激怒。山口日昇に連れられて高田の所に行き、謝罪させられる。

4月、TBSラジオ『ストリーム』のレギュラーコメンテーターになる。

10月9日、山口日昇の妻から「事務所を移転するから私物を全部持って帰るように」との連絡があり、新しい事務所には居場所がないことを告げられる。

ダブルクロスから荷物を運び出すのをTBSラジオの橋本吉史ADに手伝ってもらう。

紙プロ」での書評を中断し、『ゴング格闘技』に移籍して連載を続けることとなる。

その後、山口日昇はハッスルの失敗で8億の借金を背負い、出版業界から姿を消す。

2005年(平成17年)、35歳

ライターの照山紅葉秦野邦彦)とポッドキャスト番組『豪さんのポッド』を開始。

2007年(平成19年)、37歳

MONDO21CSチャンネル)「松本伊代のキラキラ80’s」にレギュラー出演。

タモリ倶楽部」やテレ東「給与明細」などテレビ出演ラッシュ。

2008年(平成20年)、38歳

マレーシア人と結婚した姉が家族(子供4人)で実家に戻り、新宿二丁目に引っ越す。電柱に貼ってあったチラシを見ただけで中古マンションを衝動買い。実家から運び込む荷物だけでも段ボール300個になり、大量の段ボールに囲まれながらその隙間で原稿を書いたり寝たりする毎日を送る。

雑誌『本人』で樹木希林インタビュー。キラーモードの樹木を初めてそのまま文章化。

2012年(平成24年)、42歳

「kamipuro」元編集長・山口日昇と雑誌対談。高田延彦に呼び出されて怒られた事件以来8年ぶりに会話する。

12月30日24:00からTBS系列局のドキュメンタリー番組情熱大陸に出演。

情熱大陸吉田豪】1970年東京出身。インタビュー相手に限りない興味を持つにもかかわらず、自分のことはあえて語らない。新宿2丁目に一人暮らし。都内の取材場所にはどこでも愛用の自転車で現場に向かう。取材ディレクター曰く「仕事以外の所謂“煩悩”を本当に持ち合わせておらず、ある意味求道者的な42歳」

吉田光雄 @WORLDJAPAN
ニコ生では説明しましたけど、今回の『情熱大陸』はボクの特集じゃなくて、阿川佐和子『聞く力』ブームに便乗した、大物ゲストが続々登場する「吉田豪の取材」特集でした。道重さんは「大物が足りない」という局の意向で追加された取材相手なので、「B級アイドル」呼ばわりするわけもないです。2012-12-31 03:20:55

2014年(平成26年)、44歳

「ルックス重視のミスコンとは異なり、ルックスやジャンルに捉われず、新しい時代をサバイブしていく多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディション」と謳うミスiDの審査員になる。2022現在も毎年継続。

ミスiDからは、戦慄かなのなどのユニークなアイドルを多数輩出し、彼女らとはその後もさまざまなイベントや番組で共演することになる。

2017年(平成29年)、47歳

テレビ朝日の番組『ラストアイドル』に審査員として出演。10月22日放送の第11回で、かねてよりファンの間で評価も高く人気もあった長月翠が蒲原令奈に敗れた。この回でジャッジに指名された吉田豪が蒲原を選んだことでネット炎上。結果的に吉田と番組の双方の知名度を上げた。

2022年(令和4年)、52歳

テレビプロデューサー・佐久間宣行が総合プロデュースを手がける新アイドルグループのオーディション「佐久間Pアイドルプロデュースプロジェクト」に審査員として加わる。この企画は佐久間がディレクターを務めていたテレビ東京の番組「青春高校3年C組」の出演者が「もう一度アイドルとして活動したい」と佐久間にプロデュースを依頼したことがきっかけでスタートしたもの。吉田は「サブカル担当」という謎の肩書で最終審査に参加した。

11月、集英社オンラインの企画でウエストランド・河本と対談。その破天荒で危険すぎる一面を世に広めたが、12月にM-1グランプリウエストランドが優勝した後、「黒歴史」として当人らから無視・黙殺される。

2023年(令和5年)、53歳

2月、ヤフーニュースのコメンテーターに就任。様々な時事ニュースにコメントを書く。

松本零士逝去(2.20)

2015年に松本先生をインタビューしたことがあるんですけど、タイプ的にはムツゴロウさんに近い、世間的なイメージと違っていい意味でデタラメな人だったんですよね。・・・
とにかく晩年まで元気だったのでその秘訣を聞いたら、「健康の秘訣は、ガキのとき思いきり暴れたのが必ず体力の基礎を築いてるわけ」「私も暴れん坊でした」とのことでした。

タモリ倶楽部終了(2.22)

かつてはサブカルの登竜門的な番組でしたが、サブカル有名人も高齢化してジャンル自体がほぼ消滅している以上、『タモリ倶楽部』がなくなるのもしょうがないんだと思います。・・・
趣味人としてのタモリさんを見られる番組が減っていくのは寂しい限りですけど、仕事を減らして老人としての生活を楽しむのも、またタモリさんらしいんですよね。

ジャニー喜多川BBCドキュメンタリー放映(3.9)

ボクはジャニーズ暴露本『SMAPへ』(木山将吾鹿砦社/05年)に衝撃を受けて昼のTBSラジオで紹介したこともあるんですが、その元ネタは伝説の暴露本『光GENJIへ』シリーズ(北公次データハウス/88〜89年)でした。・・・この問題がアンタッチャブルになったのは、変に楯突くより仲良くやったほうが得という前例が出来たのが大きかったんじゃないかと思ってます。

ムツゴロウ(畑正憲)死去(4.6)

ムツゴロウさんは世間の“動物好きの優しいおじさん”イメージとは全然違う、破壊的な面白さのある人でした。・・・
ボクが00年にあえてムツさんに動物以外の物騒な話ばかり聞くインタビューをやったときも、案の定ノリノリで動物王国の資金を賭け麻雀で稼いでいたこととか話してまくった結果、単行本掲載不可能に。でも、そのとき「吉田さんに伝えて下さい。あなたは必ず成功すると」と言われたことは一生忘れないと思います。

6.20 2018年6月19日に開始した毎週火曜日配信の「猫舌SHOWROOM」のゲストに前田日明が登場。

7.9 ヤフーニュース「山下達郎松尾潔氏の契約解除問題に言及「私が契約を終了するよう促したわけではない」」にコメント。

ラジオを聞いた直後、ボクは「『知らなかった』じゃなくて『見ないようにしていた』じゃないのかなー(独り言)」とTwitterでつぶやいたんですが、ジャニーズ問題のポイントはそこだと思うんですよね。
ジャニー喜多川の性加害について、ある程度の年齢の人なら噂ぐらい知っていたはずなんですよ。
ほとんどの人が知っていて、ほとんどの人が見ないようにしていた。それはファンだからとか仕事で接点があるからとかの関係性がある場合は特にそうだろうけど、テレビで見るぐらいの距離感でもそこはノイズになるから見ないようにしていた部分もあるんじゃないか、と。
ボクは比較的そのことについて文章なりラジオなりイベントなりで言及してきた側ではあると思うんですけど、自分にとって身近な地下アイドルの世界のトラブルほどは批判してなかったのも事実なので、誰もが知っていて、誰もがうっすら共犯関係にあったところが厄介なんだと思ってます。

9.7 ヤフーニュース「ジャニーズ新社長・東山紀之 問われる手腕」にコメント

でも、この人選。現時点で何が問題なのか全然わかってない証明なんですよね。
あえて詳細は書かないですけど05年発売の木山将吾Smapへ』(鹿砦社)でも「ヒガシは変質者?」との項目で完全アウトなことを暴露されてたし、だからこそジャニーズ性加害問題当事者の会副代表も「何かしらの過去の悪行が出る」可能性を口にしているわけで。マッチもタッキーもいなくなって正統な後継者がヒガシなのはわかるけど、いまこのタイミングで彼を新社長にしたらまず確実にややこしいことになると思ってます。

2024年(令和6年)、54歳

1.26 『週刊漫画ゴラク』での連載エッセイをまとめた本の完結編『聞き出す力 FINAL』発売。前回の本が電子書籍のみの出版だったのを紙の本も出して欲しいと要望するが受け入れられなかったてんまつが最終回に述べられている。

2.20 「猫舌SHOWROOM」ゲストに近田春夫

3.20 「猫舌SHOWROOM」ゲストに弁護士三輪記子

ドラゴン備忘録

1970年生まれ、兵庫県明石市出身の小田原ドラゴンは、1997年、26歳のとき『ヤングマガジン増刊号赤BUTA』(講談社)第13号掲載の「僕はスノーボードに行きたいのか?」でデビューした。それまでに漫画を描いた経験はなく、ペンを握って300日で商業誌に掲載されるという鮮烈なデビューであった。

漫画を描くきっかけは、

親から「就職しろ」ってうるさく言われたから。それだけです。1年間だけ漫画を描いてみて、芽が出なかったら就職するという約束で。漫画を読むのは好きだったけど、漫画なんか一度も描いたことがなかったんですけどね。

当時、山田花子さんが好きで、あんな感じで自分の学生時代の絶望感みたいのを描けないかな、と思って。もちろん、漫画なんか描いたことないわけですから、コマ割りもペンタッチもメチャクチャですよ。たまたま投稿した『週刊ヤングマガジン』が絵が下手でも載せてくれる心の広い雑誌だったんでラッキーでしたね。

確かに、山田花子の濃い影響が伺われる。画は謙遜でもなんでもなく稚拙極まりないとしか言いようがないもので、よくこんなのが商業誌に掲載されたな、と驚くレベルだ。

ここからの連作が初期の代表作「おやすみなさい。」に直結するのだが、この作品の初期のタッチも悪い意味で玄人離れしている。ギャグ漫画だからこそ許されるレベルで、小林よしのり東大一直線」の第一話を読んだときと同じ衝撃を受けた。

裏を返せば、ギャグ漫画において画の巧拙は作品のクオリティや作家性の表現のレベルにとってまったく重要性を持たないということがよくわかる。

本人曰く、中一くらいまでは中性的なかわいい顔をしていてモテたらしい(確かにプロフィール写真を見ると、スピッツ草野マサムネ飛石連休岩見よしまさを足して二で割ったようなルックスをしている)。しかし、中一の一学期の中間テストが終わった瞬間に急にサーッと波が引くように、キツネに化かされたみたいな感じでぜんぜん相手にされなくなったという。

明石市の商業高校に入学したが、高校時代が最も孤独だったという。友達もおらず、昼休みに弁当を一緒に食べる相手もいないので昼休みはひたすら校舎をウロウロして過ごした(弁当は家に帰ってから食べた)。

高校は女子の方が多く、入学前は、三人と同時に付き合ったらどうやってローテーションを組んだらいいだろうと考えていたほどだったのに、三年間で話したのはトータルで一分にも満たなかった。

小山田ドラゴンのその後の作品のモチーフとモチベーションは、この三年間にそのすべてが詰まっていると考えれば、人生万事塞翁が馬。

「ぼくと三本足のちょんぴー」という作品もある。

O-ドラゴン

K-POPには天才・G-Dragonがいるが、日本にも天才・小田原ドラゴンがいる。

負けないぜ。

というわけで、吉田豪「帰ってきた人間コク国宝」のインタビューを読んでたちまち興味の虜になり、kindleで代表作「おやすみなさい」全8巻を大人買い

たまらず高円寺の古本屋に走って代表作「チェリーナイツ」もゲット。

ウェブで無料で読める五十歳の車中泊物語「今夜は車内でおやすみなさい」もチェック。紙の本を書店で探すも見当たらず。

かつて自分はシャーク小笠原の名義で「おはようございます。」というギャグ漫画を大手青年漫画誌で連載していた

人気はなかったが連載は数年続いた

雑誌の対談で奥菜恵にも会ったことがある

実は今でも月に1本だけだが4コマ漫画をアダルト雑誌に描いている

工場でバイトしているが、本業は漫画家であるという自負は持っている

だが、気がつけばもうすぐ50歳、結婚もせずずるずるとここまできてしまった

寂しくてマッチングアプリをするも、自分が50近いので「いいね」をくれる女性も50歳前後の人ばかり

休日前、特にすることもなくこうしてただぼーっとしていると、時間だけが恐ろしい速さで過ぎてゆく

この先もうなんのドラマもなく、ただこのまま歳を取って死んでゆく

自分はもう終わった人間なのではないか・・・

そんな事を考えてたらなんだか怖くなって、急に体が震えだしてきた

(「今夜は車内でおやすみなさい」第1話より)

岡崎祥久「パーミション」の世界にも通じる、私小説セミドキュメンタリー。

小田原ドラゴン、読むしかあるまい。

妄想ラジオ ~The Queen Is Deadの巻~

オープニングテーマ:Break On Through (To The Other Side) / The Doors

どうも、お久しぶりでございます。

全国0局ネットでお送りしています、妄想夜電波。じつに前回から一年以上ぶりのオンエアになってしまいましたが、本日は、大英帝国のクイーン・エリザベス二世の崩御という歴史的ニュースを受けての緊急特番となります。

洋楽好きのロック・ファンなら「クイーン」といえばあのバンド。

まずはこの曲。

本日の二曲目:Queen - Killer Queen

youtu.be

先日行われた女王戴冠七十周年の記念行事で75歳のブライアン・メイが元気にプレイしていたのはまだ記憶に新しいところでございます。

 

それから一番インパクトのあった女王陛下に捧げる曲と言えば、これ。

本日の三曲目:Sex Pistols - God Save The Queen

youtu.be

ジョニー・ロットンジョン・ライドン)も今となっちゃあ頑固保守オヤジって感じですな。彼も彼なりの女王陛下の崩御を悼むコメントを出す気がします。

 

それから極めつけが、当時からの偏屈男で今はもうどうなっているのやら想像する気にもならないモリッシー率いるザ・スミスの「クイーン・イズ・デッド」というアルバムでしょう。

でも今日はあの曲ではなくて、あのアルバムに収録されている、ぼくがThe Smithの曲で一番好きな曲の訳詞を読みます。

 

愛しい君

君の歯を全部叩き折ってやるなんてただの冗談だよ

君をベッドでボコボコにしてやるなんてのも冗談だよ

Sweetness, sweetness
I was only joking when I said I'd like to
Smash every tooth in your head
Oh sweetness, sweetness
I was only joking when I said by rights
You should be bludgeoned in your bed

 

今はジャンヌ・ダルクがどんな気持ちだったか分かる

ジャンヌ・ダルクがどんなふうに感じたのか

炎が彼女のローマ式の鼻まで立ち昇ってきて

彼女のウォークマンが溶け始めたときに

And now I know how Joan of Arc felt
Now I know how Joan of Arc felt
As the flames rose to her Roman nose
And her Walkman started to melt

 

大言壮語癖ってやつかな

また大法螺を吹いちゃったのさ

ぼくなんて人類の一員と呼べる資格すらないんだ

Bigmouth
Bigmouth
Bigmouth strikes again
And I've got no right to take my place
With the human race

 

今日の四曲目:The Smiths – Bigmouth Strikes Again

youtu.be

さて、お亡くなりになったエリザベス二世女王陛下は、英国帝国主義の最後の牙城ともいうべき存在感を持って70年にわたり西欧世界に君臨した、保守主義の権化ともいうべき御方でありました。

亡くなったばかりのHer Majestyに対して些か敬意を欠いた言い方になってしまうかもしれませんが、陛下の存命中の御振舞からはそのように評価せざるを得ないのでございます。

英国王室が保守主義の権化であることは歴史的にまったく当然のことであり、何ら不思議なことでも不当なことでもありません。

 

今日の五曲目:The Smiths – Panic

youtu.be

ロンドンの路上で恐慌が起こる

バーミンガムの路上でパニックが起こる

ぼくは不思議に思う

Panic On The Streets Of London
Panic On The Streets Of Birmingham
I Wonder To Myself

 

再びちゃんとした生活に戻るのだろうか
リーズの隘路で君は滑り落ちる
ぼくは自問自答する

Could Life Ever Be Sane Again?
The Leeds Side-Streets That You Slip Down
I Wonder To Myself

 

グラスミアでは希望が生まれるかもしれない
でもハニー、ここは君は危ない
街の安全なところまで逃げろ

Hopes May Rise On The Grasmere
But Honey Pie, You're Not Safe Here
So You Run Down To The Safety Of The Town

 

でもカーライルの路上でもパニック
ダブリンでもダンディーでもハンバーサイドでも
どうすればいいんだろうか

But There's Panic On The Streets Of Carlisle
Dublin, Dundee, Humberside
I Wonder To Myself

 

ディスコを焼き払え
あのお目出度いDJを吊るし上げろ
だって奴らがいつもプレイする音楽は
ぼくの人生とは全然関係ないものばかり

Burn Down The Disco
Hang The Blessed DJ
Because The Music That They Constantly Play
It Says Nothing To Me About My Life

 

君が滑り降りるリーズの隘路で
君がうろつきまわる地方の町で

On The Leeds Side-Streets That You Slip Down
The Provincial Towns You Jog 'Round

 

DJを吊るせ

DJを吊るせ

DJを吊るせ

Hang The DJ
Hang The DJ
Hang The DJ

 

事件が起きない僕の人生はどうやらまちがっている

上田晋也「経験 この10年くらいのこと」岩井勇気「僕の人生には事件が起きない」を立て続けに読んだ。両書とも余りの面白さに圧倒された。

一昨年に、芥川賞受賞作を順番に呼んでいてウンザリしていたところに西村賢太私小説を読んでその面白さに衝撃を受けたときの体験に似ている。

上田も岩井も、いわゆるテレビタレントとして一線級で活躍しているお笑い芸人である。超多忙なスケジュールの合間を縫って月刊誌などに連載しているエッセイをまとめたものだが(一部書下ろしもあり)、そのクオリティの高さに唸らせられる。

どこまでライターの手が入っているのかは不明だが、読む限り、細かな修正に留まり、文章そのものは彼ら自身が書いているような気がした。

感心するのは文体のテンポの良さ。ぼくは彼らのテレビでの芸はほとんど見たことがないのだが、あたかも目の前で喋っているような生き生きした語り口に引き込まれる。

岩井については、本とほぼ同じ内容を喋っているラジオがyoutubeに上がっているので、参考に聴いてみたが、ぼくは本の方が面白く感じた。岩井自身があとがきで書いているように、文章の方が余韻や間を自由にコントロールできるからだと思う(ラジオでは相方の澤部のツッコミが却って妨げになっている場面が多い印象があった)。

上田は彼の得意芸である「説明ツッコミ」が時にくどく感じるときがあるが(本に収められている「昔話へのツッコミ」はそのくどさが鼻についた)、ハマるときには爆発的に面白く、本を読みながら爆笑に次ぐ爆笑といった具合になる。

岩井のような比較的若い芸人は、オードリー若林もそうだが、世の中を斜に構えて見る拗らせた視点を客観視することでうまく共感できる笑いに変えている。この手法はひとつの自己認識のやり方としても参考になるところがある。

対象を選ぶところのあるこうした笑いが広く深く支持されているということにある種の社会の成熟度というものを感じる。

同時に、彼らのあれほど面白い本をこんなにつまらない紹介しかできない自分の文才に絶望を感じる。

岩井勇気「どうやら僕の日常生活はまちがっている」もこれから読むのが楽しみだ。