INSTANT KARMA

We All Shine On

ある女優の告白(4)

「例えば身体の、あらゆる部位が独自に意志を持って同時に機能し始めたとする。それぞれが別の生き物になり、好き勝手なことを始める…両方の目がそれぞれ違う方向を見たり、すべての指がバラバラに動いたりと、主体としての自分が解体され、分散された感覚として活動するのだ。

 実際には想像し難い感覚だが、それが可能であったならば、どんなに人は孤独から解放されるだろう。そのように考えると、非常に楽しい気分になってこないだろうか。

 文字も同じように、文章として定められた方向に流れていくのではなく、各文字が独立したものとなって同時に存在を許されるような、この世界に放置された有機体のようにただあるがままに……それは絵画のようなものであって欲しい。人の視線が太陽光線となり、彼らは生命を維持し繁殖する。言葉たち個々の命運に、われわれが介在するようなことがあってはならない。

 そのようなものが書けない(自分に書く才能がない)ならば……また、そのような小説がこの世に必要とされていないならば……もう何も書くべきではない。小説など真の意味で誰も必要としていないのだろう、と考えた。」(「ニートピア2010」中原昌也

久しぶりに戻ってきた日本で、わたしはとあるお食事会の席で一緒になった男性と一緒にドライブしていました。面識はないひとでしたが、酔っ払ってしまってひとりで帰るのが不安だから送ってほしいとお願いしたのです。

 

アントニオーニはイタリアで新作の準備を進めていました。

 

出発するとき「ゆっくりしておいで」と優しく言葉をかけてくれた彼の目には、もうわたしに対する情熱の光は宿っておらず、悲しみの影さえ垣間見えたのをわたしは見逃しませんでした。

 

わたしは運転席に座る男性に話しかけました。まだ若く見えますが映画会社の幹部だと聞いていました。久しぶりに飲みすぎて酔ったせいで饒舌になり絡むような口調になっていました。

 

「最初、偶然同じテーブルになってあなたの前の席に座ったとき、いかがですかとワインをすすめましたよね。そのとき、あなたはとんでもないというように断わりました。水だけで食事をするのはカエルだけですよ、とわたしが冗談をいうと、すぐに真っ赤になるからと言い訳しました。真っ赤になってどうしていけないのかわかりませんけれど。食事のときにお酒をのむ習慣がなかったとしても、いくらよく知りもしないひとにすすめられたからといっても、同じテーブルで食事するわけだから、のまなくても、グラスを受け取るくらいはふつうしますけどね。それに、いちおう自己紹介しあったんですものね、あのとき。なにか、他人とはなるべくかかわりをもちたくないからかなと思ったりしたんですけど、そうでもないんですね。日本人的な、そういうコミュニケーションの強制がいやで、それを意識的に拒絶するわけですか? そんなに意識的なものでもなかったみたいですよね」

 

「カエルだといわれたのははじめてなのでびっくりしました」

 

「それでムッとしたんでしょう?」

 

「でもすぐになるほどそうだなと思いました」

 

「わたしは冗談で言ったんですが、あんなふうにハッキリとものを言われたことがなかったんでしょう?」

 

「そうですねえ」

 

「まして女から」

 

「まあ、そうですねえ」

 

「食事がすむと、あなたはさっと立ち上がって、外へ出て行ったでしょう。わたしはワインをのんでいたから、みんなが終わったのに、ひとり残されてしまった。同じテーブルだった、あとの二組はご夫婦だったから、立っていったことはいいんですけどね。でもあなたは、ナイフとフォークを置くと、一刻も早く立ち去るべしという感じで出て行きましたよね。わたしが女だからあなたの騎士道を期待してほんのしばらくつきあってくれて当然だというんじゃないですねどね。もしわたしがあなたの立場で、自分の前でひとり残って食事をしているひとがいたら、黙ってしばらくお茶でも飲んでいたと思いますよ。ほんのしばらくですものね。それに同じテーブルだった人たちは挨拶もしなかったわけじゃないんですからね。あなたのやったことは、あなたの言うように単に気が利かなかったんじゃないと思いますよ」

 

「僕はいつも気が利かないんです。このあいだ、会社の秘書の子に海を見たいと言われてつれてきてあげたんです。でも喋ることがなくてね。帰るとき、どこかで休んでいきたいというから、コーヒー飲んで帰ったんです」

 

「どこかで休んでいきたいというのは、コーヒー飲みたいだけじゃなかったでしょう」

 

「後でわかってね。馬鹿ですよね」

 

「それからはもうつれていってくれなんて頼まないでしょう、その子」

 

「そのあとでお茶を誘っても断られました」

 

「まあ、当然でしょうね」

 

「ほんとに気が利かないんです」

 

「多分度胸がないんでしょうね。きまったこと以外になにかするのがとてもこわいんでしょう。遠回りさせて申し訳ありませんでしたね今日は」

 

「いやあ、ぼくは出て行ったらいつ帰るかわからないから、うちのはさっさと寝てますよ」

 

「そうですか、それなら休んでいきましょう。でもわたしは秘書の子とはちがいますからコーヒー飲むだけじゃなく、ちゃんとホテルに行こうといっているんですよ」

 

「ご主人が心配しますよ」

 

「かれが心配するか心配するのはわたしで、あなたは関係ありませんけどね」

 

車はわたしの帰途を外れて高速道路に入りました。金属でつくられた箱の中にいるわたしは、人間というより、モノの一部のように、得体の知れない空間に向かって突入しているのでした。