INSTANT KARMA

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ある女優の告白(3)

ほんの数分のうちに、一生が決まるとまではいわなくとも、少なくとも人生が進む大体の方向が決まることがあります。

お仕事でローマに行く機会があり、郊外にある小さな教会を訪ねたときのことです。

それはわたしがローマの観光名所や遺跡を巡り、地元のお店や人々との触れ合いの模様を収めるドキュメンタリー番組のお仕事だったのですが、途中で半日だけ時間が空き、マネージャー(わたしに同情的で親身になってくれる女性でした)とも離れ、ひとりでのんびり散歩しているときに偶然その教会に立ち寄ったのです。

教会の祭壇の上に、十字架に磔になったイエス・キリストの像がありました。

わたしは突然衝動に駆られ、跪いて祈りました。

幼いころに洗礼を受けていましたが学校を出てからはいちども教会に通うことはありませんでした。子どもの頃に唱えた記憶のある文句が口をついて出てきました。

「天の神さま、

わたしは、教会の礼拝に出席し、聖書のお話を聞いてきましたが、わたしがあなたの御前に罪人であることを知りました。

これまであなたを知らず、真の希望のない人生を歩んできましたが、あなたを信じ、罪から救われて、あなたを賛美する真の人生に歩みたいと願っていますので、よい導きをお与えください。」

そのまま何分くらい祈っていたでしょう、ふと後ろに人の気配がして振り返ると、4,50代くらいに見える男性が教会の入り口に立っていました。

それがアントニオーニ監督との出会いでした。イタリアですでに巨匠と呼ばれていた彼は、新しい作品の撮影のためにスタッフと一緒にその村を訪れていたのです。

アントニオーニは、その新作映画にわたしを起用したいと熱心に主張しました。

ちょうどヒロイン役の女優とギャラ交渉で揉めて降板騒ぎがイタリアのメディアを騒がせ始めている頃でした。もちろんそんなことわたしは知りません。わたしは映画に出演することよりも、アントニオーニの才能と人柄に魅せられ、彼のために役に立てるなら何でもしたい気持ちになっていたのです。

半年後、わたしとアントニオーニのローマでの結婚が世界中のメディアで大きく報じられました。わたしはもう日本の芸能界とはきっぱり縁を切っていました。式は厳重な警備体制の下で執り行われました。アントニオーニの希望で大々的な披露宴は行わず、身内とごく親しい友人たちだけで行いました。かつてのわたしの恋人アントニオも出席しました(彼は披露宴の二次会で自分の花嫁を見出しました)。

イタリアのメディアはわたしを「東洋のルビー(Rubino Orientale)」とか「モニカ・ベルッチに対する日本からの回答(Risposta dal Giappone per Monica Bellucci)」などさまざまな名前で呼びました。日本やアメリカでのわたしの経歴や私生活も暴かれて、日伊双方のメディアはわたしのスキャンダラスな話題に連日事欠かない状態でした。

結婚してまもなくのタイミングで、アントニオーニの新作映画『夫婦茶碗Tazza Delle Coppie』が公開されました。ヒロインはもちろんわたしです。日本人でしかもイタリア語が話せないわたしのために、アントニオーニは当初の脚本を大幅に書き直しましたが、かえってそれが功を奏する形となりました。

スラップスティックな王道ホームドラマギリシア悲劇ダダイズムの奇跡的な融合”と評されたこの作品はカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝き、わたしもまた数々の受賞の光栄に与りました。

アントニオーニとの甘い新婚生活は、けっして醒めなければいいと思いながら味わい続ける幸福な明晰夢にも似た天上的な至福の日々でした。アントニオーニは先妻を病気で喪っていましたが、子どもはいませんでした。彼は愛する妻を喪った後、もう二度と結婚しないと決めていたそうです。

彼は初めて教会で祈るわたしの姿を見たとき、マグダラのマリアがここに実在すると直観した、とよく話してくれたものです。

マグダラのマリア福音書の重要な登場人物で、聖母マリアが聖なる処女のシンボルとするなら、世俗の泥と欲望に塗れた世界の中で信仰の花を咲かせた女といえるでしょう。

アントニオーニは、わたしに出会う前から、「法悦のマグダラのマリア」をテーマにした作品を構想していました。「法悦のマグダラのマリア」とは、殺人の罪を犯してローマを逃亡したバロック画家の巨匠カラヴァッジョ(1571―1610)が、近郊の町で身を隠していたときに描いた絵画です。彼がポルト・エルコレで不慮の死を遂げたとき、彼の荷物に含まれていた作品と言われています。

緩く羽織った衣は無防備で、はだけた肩と鎖骨、デコルテラインが官能的に表現されています。半開きの口。薄く開かれた目は逝っています。顔面の表情筋の緊張がなく、弛緩しきっています。膨れたお腹に組んだ両手を乗せて、妊娠を連想させます。血の気が退いて青白い顔色。チアノーゼ(青紫色)になった下口唇。死に瀕しています。通常、死に抗うときは目を見開き、顔面の表情筋をこわばらせます。これは真逆の態度で、ある種の感覚に浸って身を委ねるように弛緩しています。法悦(エクスタシー)とは宗教的には神に救われる恍惚体験を意味しますが、このマグダラのマリアは、法悦のエクスタシーというよりは性的なエクスタシーを体験しているように見えます。

わたしは幼いころに教会に通っていたことや、そこでマグダラのマリアを演じたことなどについて奇妙な運命の巡り合わせを感じながらアントニオーニに話しました。

そんなときアントニオーニは、彼の胸に頭を預けたわたしに、福音書のキリストのことばをゆっくりと語って聞かせました。わたしが演じた村娘(一説ではマグダラのマリアとも言われています)が高価な油をイエスの足にかけ、みずからの髪の毛で拭ったときに、娘を責める弟子たちに対してイエスが言い放ったことばです。

「私がお前の家に入ってきても、おまえたちは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙で私の足をぬらし、髪の毛で拭ってくれた。おまえたちは私に接吻の挨拶もなかったが、この人は私が入ってきてから、ずっと私の足に接吻し続けた――この人が多くの罪を許されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。許されることの少ない者は、愛することも少ないのだ」

アントニオーニが構想を温めていた映画、そしてわたしが主演するはずだった映画「法悦のマグダラのマリア」が完成することは遂にありませんでした。その前にわたしたち二人の関係に悲劇的な破局が訪れたからです。