War Is Over

 if you want it

外山恒一

最近外山恒一氏の過去著作を集中的に読んでいるんだけど、こんなにユニークで文才のある人の本が10年も実質自費出版以外で出せない世の中はやっぱり間違ってるよなあ、と思った。 やっぱり政府転覆しかないか。

この人について過去に書いた文章を貼り付ける。

 

アナーキスト? ファシスト? 外山恒一という「注目すべき人物」について

少し前のことになるが、息子(高校二年生)が「近所で外山恒一(とやま・こういち)を見た」と、やや興奮気味に報告してきた。

スキンヘッドに黒一色の衣装に身を包んで、街宣車に乗りこみながら、「会いに来るテロリスト、外山恒一が皆さまの元にやってまいりました」とにこやかに演説していたという。

外山恒一という人物については、2007年4月の東京都知事選挙政見放送で「選挙なんか行くな!どうせ選挙じゃ何も変わらないんだよ!」と叫んで中指を突き立て、YouTubeにアップロードされた政見放送が全国的に話題になった男として一番知られているだろう。僕自身もこの動画を見て初めて彼の存在を知ったのであり、息子も僕からこの動画を見せられて外山恒一の存在を知ったのである。

彼のホームページに掲載された数多くの文章を熟読し、この外山恒一という男は決していわゆる「泡沫候補」的なキワモノではなく、政治理論と実践を兼ね備えた筋金入りの「活動家」であることが分かってきた。1970年生まれの同い年ということもあって、世代的な親近感も覚えた。

近年は、獄中で「ファシスト」に転向したとして、機関誌『人民の敵』を通じて盛んに発言を続け、9月には新著も出た。

しかし僕は、彼は政治活動家というよりも、まったく別の見地から「注目すべき人物」であると考えている。

外山の持論は、同時代の批評家や歴史家から無視され、黙殺されてはいるが、1980年代後半から1990年代前半にかけて、若者を中心とした反体制運動の大きなうねりが存在していたというものだ。外山はそれを「90年安保」とか「青いムーブメント」とか呼んでいる。外山は全共闘世代やポストモダン世代以後の、それまでの政治運動との断絶の後に生まれた運動の代表的人物である、と自らを規定しているようだ。

以下に、外山恒一の活動の軌跡を、彼の自著を元にしながら、簡単に辿ってみる。

高校時代に反管理教育運動を起こし、いくつもの高校を渡り歩いて、2年で最終的に中退した経緯については、18歳のときの初著『グッバイ・ハイスクール ぼくの高校退学宣言』に詳しく記されている。外山少年の青臭くも清々しい語り口には、この頃から決して妥協を知らない激しい情熱と、青春小説を読んでいるようなホロ苦い爽快感があって、知事選のアジテーション演説しか知らない人が読めば驚くだろう。

続く著書『校門を閉めたのは教師か 神戸高塚高校校門圧殺事件』では、テストに間に合うために時間ぎりぎりで校門に飛び込んだ女生徒が教師の閉めた鉄門に挟まれて死亡するという衝撃的な事件を受けて、当時20歳の外山恒一が、反管理教育を掲げる「はやしたけし」という活動家(?)との間で交わした熱い往復書簡が収録されている。

事件の直後に、数名の有志と神戸まで九州からヒッチハイクで駆け付けた外山は、高塚高校の校門前で、これほどの事件に遭遇しながら立ち上がって教師たちを血祭りに上げない生徒たちの情けなさを糾弾するビラを撒き、逆に数十名の生徒から一斉にブーイングを浴びる。

外山たちを攻撃しようとする生徒たちを制止し、学校へと押し戻す教師たちの姿を見ながら、外山は何とも言えない虚脱感に襲われる。

(以下、『校門を閉めたのは教師か』より引用はじめ)

 ぼくは愕然として言葉を失った。
 学校の管理主義によって友人が殺された、という認識がまるでないのだ。今回の事件が、ほんとうに「単なる事故」としてしか、彼女らにはとらえられていない……。
 次の瞬間、さらに恐ろしい光景が目の前で展開された。
 一人の教師が慌てて中から出てきて、必死で生徒らをなだめ、校門の中へ何とか彼女らを押し入れた。
 なんという絶望的な構図あろうか。
 生徒が一人、実質的に学校によって殺されるという事件が起きていながら、生徒が学校を守り、また教師がその生徒たちを守る。
 ぼくは夢中で叫んだ。
 「そういうオマエらが石田さんを殺したんだ!」

生徒の一人や二人死んだくらいではビクともしない「学校共同体」の幻想。生徒たちのこの自己保身的な共同体幻想が学校の管理主義の秩序を支えている。その頑丈さ、強固さは、当初のぼくらの予想をはるかに上回っていた。
 それが、今回の「不謹慎」なビラ配りで見えてきたことだ。
 「気違いざた」だ。他に言葉を知らない。

この体験が、反管理教育運動に関わる者にとっての「本当の敵は誰か」、そして突き詰めると、「反体制運動の意味とは何か」についての外山の認識の大きなターニングポイントになったと思われる。後に述べる『テロルの現象学』(笠井潔)の言葉を借りれば、外山はここで「革命の敵は民衆である」という洞察を得たのである。

この頃、外山は福岡で、『ぼくの高校退学宣言』を読んで集まってきた中高生と一緒にグループを結成した。名前を「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」という。外山がアパートの一室を借りて「事務所兼たまり場」として中高生に開放し、管理教育への反対運動の拠点としようという試みだった。しかしやがて、居場所のない学生たちがただ入り浸っているだけの状態となり、グループの存在が不満や怒りのガス抜き装置にしかなっていないことに苛立った外山はグループを解散する。

ここでも外山に一つの思想的転換が生じる。

(以下、「なぜDPクラブをやめるのか」より引用はじめ)

・・・つまりDPクラブをやめるということだ。
 これからしばらくは、運動(ムーブメント)を起こそうなどとは考えないことにしたい。
 どういうことかというと、まったく個人的な闘争を、自分のやっていることはまったく個人的な闘争であると自覚した上で押しすすめることにしたいということだ。
 オレはこう考える、ということをあちこちで主張し、批判があれば反論する。他人の主張に対しても、気に食わないものは徹底攻撃する。
 そういった個人的な闘争をあちこちで展開し、それらが結果的に運動を形成してしまうのはしかたがない。要は、初めから運動を形成するつもりで行動しないということだ。そして、結果的にできあがってしまった運動に対しても、それを意識的に維持・拡大させようとはしないということだ。これまでは、どうやって社会を変えていくか、ということがぼくの中心課題だった。
 しかしこれからは違う。これからは、しょせん変わらない社会で――つまり、つまらない連中だらけの世の中でどう生きるかということが課題だ。

 おもしろいことを始めれば、自然にたくさんの人間が周囲に群がってくる。おもしろいことに群がってくるのは、たぶんおもしろい人間だろうと安直に考えていたところに、これまでの過ちの元凶があった。おもしろいことに「群がってくる」のは圧倒的につまらない連中で、その結果あっというまにそれはつまらないことに変質させられてしまう。DPクラブや全国高校生会議でそれを経験した。全国高校生会議の母体となった高枚生新聞編集者全国会議もおそらくそういった過程を経てつまらないものに変質していったのだろうし、もっと大きな例では、パンクもつまりそういうことだ。
 自分がおもしろいと思うことを追求し、一方で群がるつまらない連中とどう距離をとれるか。そしてそれに失敗し、おもしろかったことがつまらないものとなりつつある時、どう動くか。

 ――自分の思想(≒理性的部分)にどれだけ忠実に生きるか、ということも、これまでのぼくのもうひとつの重要な課題であった。
 しかしこれもこれからは違う。
 理性的に論理的思考を重ねていけば、かならず一つの「真理」に突きあたる。そして、そうなると自分がどう生きるかという問題は、自分の生き方をその「真理」にどれだけ近付けることができるか、つまり自分は今現在革命的であるか否か(もちろん「否」であれば現在の自分の生き方は否定されるべきである)という二元論的な問題に置きかえられてしまう(マルクス主義などはその「真理」の典型である)。

 これはつまりどういうことを意味するかというと、自分の生が、自分と同等以上に革命的であると判断される誰かの生に交換可能である、ということである。どういう生き方に価値があるか、という規準が一つしかなく、しかもその規準は絶対的だからである。AとBとを単純に比較して、Aの方がより革命的であるから、AはBより価値がある、と云えるのだ。
 これまでのぼくの思考を極限にまで押しすすめればつまりそういうことになる。

 これからは、いかにこういった二元論的な思考に陥らず、他の誰かと互換性のない、この外山恒一という個人にしか生きられない固有の生を生きるか、というのがこれに代わる新しい課題である。

この外山の文章を読めば、彼が政治運動を通してこの時点で到達した認識は、もはや政治運動の枠に捉われない実存的な深みを備えていることが分かる。政治運動のみならずすべての人間活動の底にある「あるがままの現実」と「あるべき理想」の二元論的思考の構造を喝破し、そこから自由になろうとする外山の志向が示されている。

この頃、外山は笠井潔『テロルの現象学という本に出会い、衝撃を受けた。この書は、共産主義革命という観念(に限らずおよそ人間の持つ「観念」というもの)がいかに自家中毒から党派的思考に陥り必然的にテロリズムに至るのかの原因及びその過程を克明に辿った力作である(笠井自身は連合赤軍事件に対する自分自身の姿勢に折り合いをつけるために執筆したという旨のことを述べている)。外山はこの本を自らのバイブルと呼ぶほど感銘を受けた。外山は、彼自身が笠井の描く観念主義者であったことに気づき、観念に基づく行動の欺瞞性をこの時点で喝破した。

高塚高校ビラまき事件やDPクラブの崩壊という実体験を通じて、外山は、「革命の敵は民衆である」という、笠井潔が「観念の倒錯」と呼ぶテーゼに到達し、さらにそれを一気に超越するところまで認識を高めた。政治活動家として出発した者が、わずか20歳そこそこの若さで、ここまでの認識に達することは稀有といってよいのではないか。外山の認識が活動の初期段階で早々に深化されたのは、90年代当初の若い世代の政治運動(外山が名づけるところの「青いムーブメント」)が明確な組織性を持たず、党派観念の罠に陥る危険を免れたという要因も大きかったのかもしれない。

外山恒一をたんに政治活動家としてのみ捉えるのは一面的な評価でしかなく、言葉本来の意味で実存主義者とみなすべきであろう。その意味で、彼のこの文章は、後の「ファシズム転向宣言」などよりも重要ではないかと思っている。

DPクラブの崩壊後、外山は一種の迷走期に入る。さらに1995年のオウム事件がもたらした衝撃は彼個人にとっても大きかった。2000年代当初には痴話げんかのもつれを左翼活動家に刑事事件化され、投獄されて2年間の獄中生活を送った。この間に獄中で看守の監視の目をかいくぐって執筆したのが、後に出版される『青いムーブメント まったく新しい80年代史』の前半部である。

獄中でムッソリーニの伝記を読み、左翼活動家からファシストに転じたムッソリーニの思想と軌跡に強く共鳴し、「ファシスト転向宣言」を起案する。彼は同時に、1995年のオウム真理教事件を転機として、日本は「戦時社会」に突入し、この事態は2001年のNYテロ事件以降の世界の監視社会化の流れに先行していたという見解を表している。

ファシスト」に転向した外山の活動に関しては、『反体制右翼マガジン デルクイ01創刊号』(2011年2月 彩流社に掲載されている、小野俊彦による外山恒一論「待機主義者の薄っぺらい絶望」は、一読に値する鋭い批判となっている。

小野は、外山の現在の姿を「こじれた待機主義」とみなし、次のように述べる。

革命あるいは民衆蜂起の現実的な展望はあるのか。かつてマルクス主義者たちも党による指導が革命を促すべきか、資本主義の自動的な崩壊を待つ待機主義かという問いの間で揺れた。民衆が蜂起に立ち上がる瞬間を彼も待っていた(正確に言えば彼は単に待機していたのではなく、あらゆる「奇行」を実践してはいたのだが)。そのような蜂起を党による指導によって促すなどということはアナキストとしてはできない。笠井潔主義者としてもできない。しかしそのような展望が余りにも見えないがために、待機主義は絶望に転化した。民衆蜂起の瞬間が来るまでは、自警団的な世間から身を守るしかない、という恐怖感は、やがて民衆蜂起など起こらないどころか民衆は敵なので自警団で身を守るという倒錯に陥った。「自警団から身を守る自警団」という我々団の論理は、待機主義の成れの果てである。

この小野の洞察は、外山の「芯を食った」批判であり、かなり痛いところを突いたものであると思う。だが私自身は、外山恒一が「こじらせた」ことには同情的である。

ファシズムとは、彼にとって、イデオロギーや信条、観念ではなく、直接的な人的関係の中から生まれる連帯感への信頼を意味する。左翼的なるものは、一見進歩的な理想を掲げながら、人間よりも観念を優先する。顔のない没個性的な集団(多数派)による、「政治的正しさ」を振りかざした「弾圧」に対抗するために、顔の見えるネットワークを身近な範囲で構築していこうとする外山の試みは、世界的に見ても時代の潮流からは決して外れたものではないと思う。

外山は、今年の9月に、保守右翼的書籍を出版し続けている青土社から『良いテロリストのための教科書』(青林堂を刊行し、「正しい左翼の滅ぼし方」を右翼活動家たちに教示するという大義名分の下に、戦後左翼運動(外山がこれまで繰り返し説いている80年代以降の新左翼の鳥瞰的な運動系統の解説を含む)に関する現時点までの最も鋭い総括を行っている。

しかし、僕にとっての外山恒一は、何よりも、人間の自由を追求する活動家であり、党派性や組織性とは無縁の政治的理想主義者(アナキスト)、そう、例えるならば、かつての大杉栄のような存在なのである。

外山恒一は今も、「こじらせ」つつも元気にたゆまない活動を続けている。このことが同世代の僕を勇気づけていることは確かだ。そしてそれは、いかに「他の誰かと互換性のない、この自分という個人にしか生きられない固有の生を生きるか、という課題」に日々自覚的になるための糧でもある。

参考文献:
『グッバイ・ハイスクール ぼくの高校退学宣言』(1989年1月 徳間書店
『ハイスクール「不良品」宣言』(1990年6月 駒草出版
『校門を閉めたのは教師か 神戸高塚高校校門圧殺事件』(1990年10月 駒草出版
『注目すべき人物 1970年生まれの「同世代」批判』(1992年11月 ジャパンマシニスト社)
『見えない銃 外山恒一、孤軍奮闘の軌跡/だいたい全記録』(1995年11月 出版研)
『青いムーブメント まったく新しい80年代史』(2008年5月 彩流社
『反体制右翼マガジン デルクイ01』(2011年2月 彩流社
『左右混淆反体制マガジン デルクイ02』(2013年11月 彩流社
『良いテロリストのための教科書』(2017年9月 青林堂
『新版 テロルの現象学【観念批判論序説】』(笠井潔著)
その他公式サイト(我々団http://www.warewaredan.com/)や外山恒一ブログ(我々少数派https://ameblo.jp/toyamakoichi/)からのさまざまな文章