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『川端康成の運命のひと 伊藤初代:「非常」事件の真相』

川端康成の運命のひと 伊藤初代:「非常」事件の真相』(森本穫、ミネルヴァ書房という本を借りて読む。今年(2022年)4月に出たばかりの本。

手に取ったきっかけは、このブログにも書いた川端康成の「文芸時評」がとても面白く、ネットで川端について調べているときに、川端が23歳の時に婚約破棄された伊藤初代との出来事を知って興味を持ち、関連書籍を読みたくなった。

450頁を超える大著だが、飛ばし読みで一気に読了。結論的に言うと、ウィキペディアで読んだ以上のことは書かれていなかった。しかし、著者が初代の息子から託されたという、初代の手記が全文掲載されているなど、資料的価値はある。

 

本郷のカフェで女給として働いていた16歳の初代に恋心を抱いた川端は、友人の勧めもあって岐阜の寺に預けられた彼女の元を訪ねて、脈ありと踏んで結婚を申し込む。その純情な思いは真剣そのものである。初代もプロポーズを快諾する。

ここまではよかったのだが、初代を預かった寺の養父と養母はこれに激しく反対し、養父からはもう手紙を送ってこないでくれという葉書が来る。それでも川端と初代は手紙を交し合い、岩手の実家の父親の承諾も取り付けて、いよいよ岐阜に迎えに行く段になって、突然初代から「非常」を知らせる別れの手紙が届く。

「非常」があるのでもうあなたと会うことはできない、お別れいたします、さようなら、という文面に激しく動揺した川端は、即座に岐阜へと発つーーーー

このことは「非常」という小説に描かれている。

初代との悲恋の一連の経緯は、川端が私小説風に連作にまとめている。しかし川端はそれを単行本化せず、戦後になるまでちゃんとした形で発表しなかった。

これらの「初代もの」は、川端康成私小説作品として非常に興味深いものであり、まとめて読みたいと思う。是非アンソロジーをつくって出版してほしいところである。

追記:あるみたいですね。川端康成初恋小説集 (新潮文庫)

 

ところで、この研究書は、サブタイトルに「【非常】事件の真相」とあり、初代の突然の心変わりの真相について明らかにすることを目的としているのだが、正直、一読してみてそれがピンとこなかった。

著者は、初代の息子が姉(初代の娘)から聞いた話として、預けられた寺の僧(養父)に犯されたからだという説を真実とする。このことは川端自身の日記にも(川端の友人が初代の信頼する女性から聞いた話として)記されており、一定の信憑性はある。

確かにそう考えれば辻褄は合う気がするのだが、ちょっと腑に落ちないところもある。

というのは、次のような非常事情があるからだ。

川端は「非常」の手紙を受け取ってすぐ岐阜の寺を訪ね、憔悴しきった千代の姿と、川端に対する冷淡な態度に衝撃を受けるが、駆け付けた友人の助力により、いったんは千代に翻意させることに成功する。しかし千代は再び態度を翻し、最終的な別れの手紙を川端に送るのである。そしてその文面が異様に激しいのだ。

あなた様は私を愛して下さるのではないのです。私をお金の力でままにしようと思つていらつしやるのですね。私は手紙を見てから、私はあなた様を信じることが出来なくなりました。私はあなた様を恨みます。私は美しき着物もほしくはありませんです。(中略)
あなたは私が東京に行つてしまへば、後はどのやうになつてもかまはないと思ふ心なんですね。(中略)村川様方に下さる手紙もとうに私の手に入らないやうになりました。あなた様がこの手紙を見て岐阜にいらつしやいましても、私はお目にかゝりません。あなたがどのやうにおつしやいましても、私は東京には行きません。(中略)さやうなら。

一体川端の手紙のどんな文句を読んで「信じることができなくなった」のだろう。

「私をお金の力でままにしようと思つていらつしやるのですね」と初代が誤解するようなことを川端が書き送ったとはとても思えない。この頃の川端の思いは一途で純粋なものであったことは確かである。それは川端が父親代わりの川端岩次郎や、初代の父・伊藤忠吉に送った手紙からも伝わってくる。

養父に川端の悪心を吹き込まれて信じ込まされた、または無理やり書かせられた、という考え方もできる。だが、その後の初代の行動を見ると、明らかに川端を本心から避けている様子なのである。この手紙の数か月後に結局一人で寺を出て実家に戻った後、東京で再びカフェ勤めを始めた。そこに川端が訪ねると露骨に顔を合わせるのを嫌がっている。もう関わり合いになりたくないという態度である。

初代はその後二度結婚し、何人もの子供を産み、四十代の若さで亡くなっている。死ぬ前に人生を振り返った手記を残しているが、川端や「非常」のことなどについては一切触れていない。この「恨みます」と書いた手紙の十年後に、既に作家となり妻もいる川端のもとを訪ねたりもしている。

 

以下はぼくの邪推だが、初代は川端のプロポーズを受けたものの、それが自分の本意ではなかったことにすぐに気づいたのではないか。そして単独で上京することを決意し、別れる理由を探したのではないか。

初代が結婚を受け入れたのは、とにかく退屈な田舎の寺から出て東京に行きたいという一心からであり、本気で川端の妻になるためではなかった。もし川端の妻になってしまえば、東京で自分の思うがままの生き方ができなくなるおそれがあった。だから独身のまま上京するほうが望ましかった。そのためには川端を拒絶する必要があった。

川端からの上京を促す手紙に対して初代はすぐに、女友達と一緒に上京するから金を貸してくれという手紙を書いている。本気で惚れている男のところに逃げてゆくのに女友達を連れて行くものだろうか。しかも無心した金額は、二人分の旅費よりもかなり多めなのである。川端がこの送金を断ったことで、初代の心は一気に醒めたのではないか。

初代がこの十年後に作家となった川端を訪ねた時にも、金の話と、自分の娘を養女にして面倒を見てくれないかともちかけ、秀子夫人を激怒させている。

養父に犯されたのが事実であれば、その後に必ず何らかの遺恨が残るはずである。川端への純愛を汚されたのであればなおさら深い恨みを抱くはずである。だが初代のその後の人生を見ても、そのことで深く傷ついた様子はそれほどない。上京してすぐに浅草のカフェ・アメリカで働くようになり、「浅草のクイーン」と呼ばれるような存在になっている。

もっとも、初代は心中深く傷つき、それをずっと隠し持っていたのかもしれない。そこはもう永遠の謎である。もし西方寺の僧である養父・青木覚音が、初代と川端を破談させるために初代の貞操を奪ったとすれば、そんな僧は無間地獄に落ちるべき大罪を犯した極悪人というほかないが、青木のその後については何も書かれていない。ちなみに青木の事実上の妻、つまり初代の養母は、初代が働いていた本郷のカフェ・エランの女主人・山田ますの姉・ていである。この養母も初代を虐めていたというのが通説になっているようだ。

 

真相は結局この本を読んでもはっきりしないが、本気で結婚を考えた相手に理不尽な裏切り方をされるというこの原体験が、川端のその後の作家としての活動と、川端の人格に及ぼした影響は深い。元来の「孤児根性」に加え、益々人間への不信感を増大させる結果となったことは確かであろう。