昨日の記事のつづき。
川端は、初代からの掌返しの手紙に傷つき、別れを受け入れたが、その後も初代のことを相当引き摺っている。
初代の何がよかったのか。一つには、17,8歳以上の女性には興味が持てなかったという幼女趣味に加え、初代の勝気なところ(今でいうツンデレ)がよかったらしい。
川端は初代とのことを「南方の火」という小説に私小説的に書いているが、この「南方の火」という言葉は、<丙午(ひのえうま)の女>を指すのだという。
美しくて、勝気で、強情で、喧嘩好きで、利口で、浮気で、移り気で、敏感で、鋭利で、活発で、自由で、新鮮な娘
川端はこういう激しいタイプの女に惹かれるという。
また康成はこんなことも言っている。
私がどういふ女を愛するかも申し上げませうか。平和な家庭に育つた少女のほのぼのしさは、涙こぼれるありがたさで見惚れはしますけれども、私は愛する気にはなれないのです。とどのつまり、私には異国人なのでありませう。
肉親と離れたがためにふしあはせに育ち、しかも自らはふしあはせだと思ふことを嫌ひ、そのふしあはせと戦つて勝つて来たけれども、その勝利のために反つて、これからの限りない転落の坂が目の前にあり、それを自らの勝気が恐れることを知らない、ざつとさういつた少女の持つ危険に私は惹きつけられるのです。
さういふ少女を子供心に帰すことによつて、自分もまた子供心に帰らうといふのが、私の恋のやうであります。
不幸な境遇にあっていつ転落するか分からない危険な女の様子に引き付けられるのだと告白している。
初代の境遇もまさにそんな感じであった。
「恨みます」「私は東京には行きません」という激しい手紙を川端に送った数か月後に、初代は東京に出てきて、本郷のカフェに勤め始める。そのことを聞いた川端は早速店に出かけていく。しかし、とりつく島もないような初代の態度にあう。
さらに店を代わり、浅草のカフェ・アメリカという大きな店で「浅草のクイーン」と呼ばれた初代に会いに行くが、そこでも相手にされず、初代は別の学生の下宿に泊まりに行く。この顛末は「暴力団の一夜」(!)という作品に私小説的に書かれている。
もう完全に拒否されているのに、やすなりの未練はつづく。
日記には、昔一枚だけ一緒に撮った写真を眺めて、いい子だったのに、いい女だったのに、と嘆き、初代が自分に好意をよせた手紙を読み返し、哀愁に耽る様子が記され、関東大震災に際しては烈しく初代の無事を願い、幾万の逃げ惑う避難者の中に、ただ一人初代の姿を鋭く追い求める。
映画の看板を見て、初代にそっくりの女優を見つけ、友人を強引に誘って映画館に入る。初代が女優になったのかと思いきや、それは栗島すみ子であった。川端には初代にしか思えず、スクリーンを見ながら涙がこみあげてきて必死でこらえる。激しく心を揺さぶられ、映画館を出た後も放心状態となる。
別れて五年たっても、電車の中で初代にそっくりの女をみかけたといって日記に事細かに書き記し、どうしてこっちを見てくれないのかと身悶えしている。
後年に、川端の初期の代表作「伊豆の踊子」のモデルが初代であるとある評論家から指摘され、珍しくムキになって反論するが、一方で「初代もの」の描写との共通性に気づいて愕然とする(ちなみに、ぼくは川端の小説はそれほど好まないが、この「伊豆の踊子」だけは冒頭を読んだだけで落涙する。この傑作ひとつでも川端康成の名は永遠に残ると思っている)。
ところが運命とは奇異なるもので、別離の十年後、昭和7年(1932年)3月頃、初代が上野桜木町の川端家を突然訪問するのである。
秀子という妻を持ち、新進気鋭の作家として文壇にその名を轟かせている川端康成のもとに、病弱な夫と子供を抱えてすっかり身を窶した27歳の初代が姿を現したのだ。
訪問の目的は、やはり金を貸してほしい、ということであった。妹の嫁いだ夫が使い込みをして、もうどこにも借りに行く相手がいないのだった。
そんな初代の姿を見て、川端は冷酷に突き放すようにこう書く。
……女が身も心も敗れた今のありさまを見えもなく話すのを聞いては、女から成功者と見られてゐるらしい自分の作家面が、虚飾に過ぎぬと思ひ知る(「文学的自叙伝」)
もちろん金は貸さなかった。
さらに初代をモデルにした小説を書き、その中ではこんな風に書く。
さうして、十幾年の後の今、民子は佐山の目の前にゐるが、使い果した滓(かす)のやうな女を、味はつてみようといふ気は、もう起らない男であつた。(「母の初恋」)
さらにしつこく、初代が去っていた時の様子を、別の作品でこんな風に書く。
彼女の先きに玄関を出て門まで行つただけで、門の戸は彼女があけて、彼女がしめたのでありました。その彼女に思はせぶりな身のこなしがあらうはずはなく、従つて私は彼女の後姿など見る暇もなかつたのですけれども、門の戸がしまると同時に、たいへん寂しい後姿を見たやうな、少女を遠くの国へ見送つたやうな、時の流れの果てへ見失つたやうな思ひが、ふいと私の胸へ突き上つて来たのでありました。少女が私に会ひに来るまでに十年の歳月があつたのですから、この次会ふまでにまた十年かかるかしらといふ気がしたのでありました。(「後姿」)
かくして川端の初恋の幻影は崩壊したのであるが、本当には消え去ってはいなかったのだ。
つづく