War Is Over

 if you want it

L'histoire de Samma Akashiya Ⅰ

昨日偶々寄ったブックオフエムカク「明石家さんまヒストリー1」を買う。水道橋博士のメルマガに連載されていたのを以前読んでいた。昔のメルマガをメールボックスから取り出して再読すると、書籍化されたのは膨大な連載記事で綴られた年表の一部でしかないことに気づく。著者の探究心にはほとんど偏執狂を思わせるものがある。だが何かに<打ち込む>というのはこういうことだろう。西村賢太にとっての田中英光藤澤清造のように。水道橋博士にとってのビートたけしのように。西村や水道橋は自分自身が独立した表現者でもあるが、有名なお笑い芸人の生活を調査するという一つのテーマを追求することで、この著者も新潮社から書籍を出版するほどの独立した表現者となったのである。そういえば西村賢太も最初は田中英光を調査する在野の一研究者であった。

 

この本によると、明石家さんま杉本高文が生まれたのは、和歌山県東牟婁郡串本町といって、地図を見れば分かるが、和歌山県の南端、関西地方の最南端である。日本地図を眺めながら、まったく脈絡なく、千葉県銚子市という関東地方の最東端に生まれた菊地成孔との地理的配置の妙にある種の感慨を覚える。両者とも言語的天才であり、当意即妙の話術の達人である。両者は現存する日本の最上級の話術的知性の持ち主であり、明石家さんまをもう少し”タモリ寄り”にチューニングすれば菊地成孔になるのではないかという気がする。両者とも次男である。父親は頑迷で厳しく、母親の愛情にはあまり恵まれず育った。……まあこれ以上深入りしても不毛であろう。

高文の生後まもなく、祖父の経営していた水産加工会社の倒産により、一家は奈良県奈良市奈良阪町に移住する。地図で見れば、奈良公園東大寺の近くである。小学校で成績優秀だった高文は、地元の期待を背負って(?)関西有数の進学校である東大寺学園を受験している(面接で尊敬する人物にプロレスラーの名前を挙げて不合格となる)。

二歳の時、生母が突如この世を去る。物心つく前の高文は母の死の意味も理解できず、その日に噛みつかれた犬の歯形だけが生母を思い出す縁(よすが)となった。

父はまもなく再婚するが、継母との折り合いはよくなかった。高文が物心ついてのち、夜毎に飲酒する継母が「うちの息子は正登(高文の八歳下の弟にあたる)だけや」と言うのを聞きながら、兄の正樹と二人でベッドでよく涙を流した、と後年兄が回想している。そのせいか、高文は大人になってからも酒が好きでなく、女が酒を飲むのを好まなかった。

高文は、自分の名前についても悩んでいた。兄は「正樹」弟は「正登」でどちらも「正」の字がついている。高文は、「自分はこの家の子供ではないのではないか?」と真剣に悩み、高文が高校3年生のときに戸籍謄本を実際に目にするまで、その疑問をずっと胸の奥で燻ぶらせていた。

 

周知のとおり、杉本は「喋りの人」であり「書く人」ではない。彼は自らの人生を文字通り「語る」のみで、「本で自分の気持ちを訴えるほど、俺はヤワじゃない」と豪語する。そんな杉本がラジオやテレビのMCとしてやインタビューで語ったエピソードを著者が丹念に拾い集め、ほとんどマニアックな精密さをもって繋ぎ合わせたのがこの労作「明石家さんまヒストリー1」である。前述の通り、書籍化された文章は連載記事で綴られた詳細な年表の一部でしかない。

まだ全体の十分の一くらいしか読んでいないが、メルマガ連載時の記事と比較しながら著書の残りの部分を読み進めるのが楽しみである。