War Is Over

 if you want it

陳腐なる浮世

実に五年ぶりにスーパー銭湯へゆく。以前のカードはもう利用不可で、新しく会員証を作った。水着をつけて男女共用のバーデゾーンに入ったら、高齢者の男女で一杯だった。その中にちらほら若い男女のカップルの姿があり、女性はビキニなどつけている。至る所に「密着禁止」の掲示がある。以前はこんなのはなかったように思う。以前は利用できたいくつかの浴場が閉鎖されていた。

屋外のジャグジーに浸かったりサウナ部屋に入ったり、ようやく空いたジャグジーでフローティングしたりしてから男性風呂に入って湯を使うなどして一時間程費やしたのち、入るときに予約したタイ古式マッサージ(40分5500円コース)へ赴く。

マッサージを利用するのは初めてとなる。利用券を持ってくるのを忘れてロッカーに取りに戻る。それで予約時間から5分ほど遅れての開始となったが、ちゃんと40分かけてやってくれた。あらかじめ右脚の股関節部分が曲げると痛みがあることを告げる。施術師は体格の良い中年男性。仰向けになってタオルで目隠しをされる。このコースは下半身中心ということで、最初に左脚から、指圧や曲げ伸ばしやマッサージを丁寧に施してもらう。次に右脚。痛みがないことを確認しながら、左脚と同じ要領で。最後に背中と肩周りを仰向けになったまま下から手を入れて揉んでくれる。これはいつも散髪屋でサービスでやってくれるやつのちょっと念入りなバージョンといった感じ。やはりとても堅いと言われた。

施術が終わり、ゆっくり立ち上がる。少し上気した感じと両脚の軽い圧迫痛の残りはあるが特に変化はなし。再びバーデゾーンと男性風呂に少し入ってから出る。「温泉は裏切らない」とはプチ鹿島の名言だが、いい汗をかいて気分は爽快となる。来るまでは散々逡巡するが、来た後で後悔したことはない。

 

恋情ゆえの執着とストーカーの線引きをどこでするかは悩ましい。法律的には定義はあるものの、それが完全なわけではない。明確に拒絶の意思を示している相手に対してなおも連絡することはNGだろう。自分は変なプライドがあるので相手が好意的な反応を示さないと一切連絡しない。むしろ向うが近寄ってきても無視する。学生時にそういうことがあった。告白してもはっきりした反応がなく、その後バースデーカードを送っても無視されたので絶縁すると決め、その後は徹底して無視し返した。今から思えば不器用だったなと思う。

大学の時の話でいうと、大学の近くの受験問題集を作っている小さな出版社でバイトしていたとき、社員にちょっと色気のある雰囲気のたぶん三十代の女性がいて、恋愛感情は持たなかったが、何となく気になっていた。

そこは大学が近いので学生が大勢入れ替わりにバイトしていて、一年生の時にクラスで唯一話の出来たD君が突然死したのを知らされたのもそこだった。彼の高校の同級生がバイトに来ていて、その同級生と一緒になったときにたまたま知らされたのだ。朝起きたら鼻血が出てそれが止まらなくなり、そのまま亡くなったのだという。全然知らなかったのでショックだった。

それを聞いたのは大学四年の時だったのではないか。だからその女性社員を見たのもその頃だ。ハスキー声で、社長の愛人でもしていそうなタイプに見えた。会社の社長はものすごい肥満の男性で、オフィスに入ってくるときに妙な圧迫感があったのを覚えている。そのバイトは半年も続かなかったと思う。

そもそも学生時代にバイトしたことはほとんどなかった。あとは知り合いの家庭教師と(その教え子に告白してフラれた)、各地で行われるロータリークラブの会合の物販くらいで、物販のため長野県駒ケ根に行ったことがあり、そこで会合が終わった後に忘れ物をしたか何かで打ち上げの宴会をやっている場所を覗いたことがあるが、年配の男女入り乱れて物凄い狂乱状態の坩堝と化しているのに圧倒された記憶がある。民衆の底力というものを感じた。

話が脱線したが、バイト先の小さな出版社にいた気になる女性社員と、近くの蕎麦屋でたまたま昼食が一緒になったときがあった。入口で目と目が合うと少し気まずそうに微笑んで挨拶してくれた。店はそこそこ混んでいたので相席で食べることになり、食べながら言葉を交わした記憶はあるが、何を喋ったのかまったく覚えていない。食べた後に、彼女がおもむろにバッグから煙草を取り出して吸った仕草を覚えている。いかにも生活に疲れているという風情だったが、妙に魅力的だった。以来煙草を吸う女性に憧れを持つようになった。その後好きになった年上の女性も煙草を吸う人だった。自分は吸おうと思ったことはない。

僕にとっての美人の原型(プロトタイプ)を形成しているのは、まだ小学校に上がる前に近所にいた「ひろ子姉ちゃん」で、ひろ子姉ちゃんは、近所の小学生や小学校に上がる前の子どもたちを集めてよく一緒に遊んでくれていた。といっても、普段は大学の近くに一人暮らししていて、休みの間に実家で過ごす、その期間に限られていたが。

何をして遊んだかの記憶はまったくない。ただ一度、僕ともう一人の子どもが実家の彼女の部屋にあげてもらって、二人の子どもが持っていた緑色のミニカーが、どちらの持ち物なのか混同しないように、ミニカーの裏にマジックペンで色を塗ってくれたことを覚えている。彼女の部屋は何とも言えない甘い匂いが漂っていた。ミニカーに色を塗るときの彼女の仕草になぜかどきどきした。

ひろ子姉ちゃんは、大学を卒業するかしないかのうちに結婚して、式を挙げる前にわざわざ家にバレンタインデーのチョコを届けに来てくれた。「・・くんのこと、好きやから」と言って、寒い冬の夜に、門のところでチョコを渡してくれたひろ子姉ちゃんの立ち姿がとても綺麗で、お嫁に行ってしまうのが寂しくて仕方がなかった。

そんな自分にも今は、食卓で突然意味不明の独語を発する浪人中の娘と、ハロワに通いながらストレスで結石を作った来週で二十二歳になる息子がいる。