War Is Over

 if you want it

November Ends

宮台真司への襲撃と安倍晋三へのテロが2022年という同じ年(夏の初めと秋の終わり)にあったことの意味がまだ数秘術的及び占星術的に掴み切れていない。西村賢太が亡くなったのは2月で、それは石原慎太郎の直後で、3月には松村雄策が亡くなった。菊地成孔大友良英がコロナに感染し、そして回復し、水道橋博士はれいわ新選組から出馬して国会議員になった途端に鬱病が再発し休職した。

能年玲奈は映画監督になって自らの主演映画を公開し、二本の商業映画にも主演した。佐久間正英がプロデュースするアイドルのオーディションに吉田豪が参加し、そこで永松波留という原石が発見された。

この一週間くらい、このブログを訪れる人の殆どが「藤井風 サイババ」というキーワードを検索して”気になって来てみた”ようだ。それは違法ではない。

2020年に衝撃的なデビューを飾り2021年には全国区になって年末には紅白歌合戦でトリを飾るなどその才能が大開花した藤井風だが2022年という年は彼にとってやや順調に行き過ぎた活動に揺れ戻しが来たようだった。河瀨直美が制作したオリンピック記録映画への参加、過去にYoutubeにアップした動画でのNワードが問題視されての削除と謝罪、そしてここに来ての「宗教二世問題」(?)と、何だか本人の意図とは別のところで横槍が立て続けに入っているような事態に見舞われている。

サイババに関しては、当初からアルバムタイトルとか普段のプロモーションであけすけにカミングアウト(?)しており、今更問題になるというのも不思議な気がするが、統一教会のことで「宗教二世」の問題がクローズアップされたこととタイミング的に合致したのだろう。あれだけオープンにしていた時点で、いつかこういう反応が来ることは当然予想できたはずなので、特に本人やスタッフが動揺するとは思わないが、このブログで何度も書いているように、藤井風とファンの関係が「教祖と信者」の疑似関係的なものになっていくリスクには自覚的であることが望ましい。とはいえ、じゃあどうすればいいの、と言われると、圧倒的な作品、小賢しさや安直な解決を許さない普遍的な謎を含む深みのある表現を生み出し続けるしかないということになるだろう。中島みゆき天理教の信者であることを問題にする人がいないのは(それが余り知られていないのはあるにしても)、彼女の表現がたぶんそんなレヴェルにはないからだろう。まあ彼女とファンの関係が疑似宗教関係にないとも言いきれないのが微妙なところではあるが。でもコアなファンなんてみんな信者みたいなものでしょう? ファン層の大半がそういう人で占められるのが問題なのであって……マイケルジャクソンくらい巨大になればそんなことを言う人は誰もいなくなる(別の意味で色んなことは言われるにしても)。

或る意味ぼくだって菊地成孔の信者みたいなものだし。キリストが聖書の中で語っている言葉は当時も今も狂気の沙汰でしかない。だがそれは、それがなければ宇宙の中で人間なんて何の存在意義もないだろうという類の狂気だ。宗教の本質とはそれで、人間を信じさせ服従させ奴隷化し搾取することが宗教だというのなら資本主義こそ最大の宗教であろう。そのうち人工知能(AI)が完璧な宗教教義を作成するようになり、人々は皆それを信じて生きていくことになるのかもしれない。