INSTANT KARMA

We All Shine On

B.V.D (Black Valley Deco)

山本嘉次郎監督の下で助監督を務めていた黒澤明が子役スターでアイドルだった高峰秀子(デコ)と初めて仕事をしたのは彼女が16歳のときだった。

「綴方教室」というその作品の撮影で、デコが綴り方を書いてる時、手に蚊が止まるシーンがあった。黒澤が、絹糸でその蚊を器用に作り、デコの手の上に置いて、ニッと笑った。デコもニッと笑い返した。このときに二人の気持ちが通じ合った、と高峰はのちに書いている。

高峰は、山本監督の次の作品、戦前映画の最高傑作のひとつ「馬」の主演を務めた。この撮影は三年がかりの長期に及び、ロケの苦労も大変なものだった。

撮影中に極度の疲労から乾性肋膜炎と盲腸炎と急性日射病を併発して意識不明になって倒れたデコを介抱したのは助監督の黒澤であった。

馬にまたがって駆けるシーンで振り落とされそうになったデコをしっかりと抱きとめたのも黒澤だった。デコは、馬が怖くて仕方なかったが、黒澤のためなら死んでもいいという覚悟で必死で演技していた。

デコは当時の雑誌に「ロケーション日記」を寄せている。大スターである彼女にとってもちろん公にはできない黒澤に寄せる思いがにじみ出ているような文章である。

8月4日

・・・汽車に乗った頃には、もう空は重そうないろになって、一番星がちらちら蛍のようだった。又おなかが空いてきた。荒屋新町の駅で平たいおまんじゅうを買い、なるべくゆっくり食べながら、ぼんやり窓の外へ目をやると、おもちゃのような黒い車が見える。三村明カメラマンや黒澤明製作主任のロケハンの車だ。みんな退屈してたところなので、日本晴れが十日も続いたように飛び上がった。

ああ、窓から帽子をふっているのが見える。こっちでもキャアキャア半身乗り出して手を振った。遠くなったり、近くなったり、ヘッド・ライトがきれいだ。どこまでもどこまでもついてくる。親馬についてくる仔馬のようにかわいい。

そのうちに車はだんだん遅れてきて、くたびれたように遅くなり、山のかげに入ったまま、とうとう見えなくなった。

でこは気抜けしたようにふっと淋しくなりなんとなく汽車の中を見まわした。

いつの間にか電気がついてまぶしかった。

「たまやあ たまやあ」

暢気そうな駅夫さんの声がきこえた。

デコが黒澤に惚れているのは周囲には知れていて、ロケバスでは黒澤の膝の間に座って移動し、スタッフの会議中に部屋に入ってきて黒澤の膝の上にちょんと座ったりしていた。

黒澤は当時30歳。ドストエフスキーに傾倒していた黒澤は16歳の高峰をドストエフスキーの小説「虐げられた人々」の登場人物、ネリーという少女に準えて、デコの自宅を訪ねて「二階から飛び降りてこい」と声をかけたりなどしたという。

黒澤のデコに対する思いも相当に深かった。当時の黒澤を見ていたある友人は、「それはもう”恋した”とか”惚れた”とかいう程度のものじゃなかった」と証言している。

黒澤の弟子・堀川弘通氏は著書でこう語っている。

高峰秀子がある日、その日に限って演技がしどろもどろで、ついには撮影を中止したことがある。

というのは、山さん(山本監督)の妹とクロさん(黒澤)は、かねてから噂があった仲だが、その日その妹が、たまたま撮影見学に来たことで騒動は始まった。
デコちゃん(高峰)がすねて芝居にならないのである。

スタッフも奇妙な顔をするし、監督も困惑。クロさんもついに「今日の撮影は中止」と宣言した。
ということは、デコちゃんは2人の仲を疑って嫉妬したのである。
デコちゃんはそれほど思いつめていたのである。

デコちゃんとクロさんの仲が公然化するのは時間の問題だった。

クロさんが女性たちに人気があるのは当たり前だった。長身、ルックス、どれを取っても文句なし。
その上仕事でも「馬」が完成したら、次は監督昇進と自他ともに認めるところだった。

映画会社と山本監督とデコの養母によってこの二人の仲が生木を裂くように引き離されたいきさつについては、高峰が「私の渡世日記」の中で詳細に記している。

しかし黒澤は自伝「蝦蟇の油」の中で、高峰との恋愛については一言も触れていない。

一言も触れていないところに、この悲恋が黒澤に与えた傷の深さが却って露になっていると思う。

尾形敏朗が明らかにしている通り、その後の黒澤の監督作品の中に、明らかに高峰をモデルにした少女が繰り返し登場するのである。

黒澤の僚友・谷口千吉監督は後年、巨匠と呼ばれるようになった黒澤に冗談めかして「おまえが偉くなったのはデコのおかげだよ」と言ったという。

実際、黒澤が世界的評価を受けるようになった主要な作品に次々と主演し、黒澤作品と切っても切れない関係を築いた三船敏郎との結びつきをもらたしたのも高峰であった...

 

世の中には、大きな仕事を成し遂げるために、敢えて別離の道を選ぶことを運命づけられた関係というものが存在するのだろうか。クロとデコの人生を考える時、つい、そんなことを思ってしまう。