自分が今の仕事に就くうえで大変お世話になった恩師が亡くなったとの報せを受ける。
なぜだか分からないが、電話があったとの報せを聞いてかけ直す時点で、その予感は確かにあった。実際にそれを確認した時にも、不思議と悲しみの感情はなかった。これは一種の解離ではないだろうか。
あとでドサッとまとめて、或いはゆっくりと少しずつ実体をあらわすのだろうか。そのときにじっくり付き合おうと思う。
実は数か月前に知人から一緒に食事を、と誘われてお会いする機会はあったのだが、外せない所用があり行けなかった。しかし正直に言えば、今の自分には先生に合わせる顔がない、という思いが心の底にあった。
多くの教え子を育て、誰からも本心から慕われてきた先生だったが、ただ口先で褒めたたえたり感謝したり追従したりするような態度は一瞬で見抜かれた。
言葉ではなく行動で示すことにしか価値を置かなかった。その姿勢が自身の生き方に現れていた。
教えられることばかりが余りに多かった、その恩返しを全くできなかったことが悔やまれるかと言えば、悔やんでも仕方がないという思いの方が今は強い。過去を悔やむのではなく、これからを先生に恥ずかしくないよう生きていくしかないと思う。そう思わないとやってられない。
ともあれ今日は全身の力が抜けて何をする気力もなくなった。