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ドストエフスキーの「最後の主体」

東浩紀「観光客の哲学」が素晴らしかったので、「訂正可能性の哲学」も買うことにして、4月18日の吉田豪とのイベントもオンライン観覧を申し込んだ。

twitcasting.tv

18日までに「訂正可能性」を読んでおきたい。

吉田豪「聞く力FINAL」はもう読んだ。)

東の「観光客の哲学」は、まとまった思想書としても読めるが、彼の自由なイマジネーションがところどころ炸裂している部分が面白く、一種の私小説としても読める。

特に哲学書にしてはエモすぎるのが最後のドストエフスキーについて論じた章で、最終部にいくにつれて彼のエモーションがダダ漏れしている様子が感動的ですらある。

東はドストエフスキーという作家を「元テロリストが自らの思想的分身であるテロリストの心情を弁証法的に描いた作家」と規定しており、具体的には「地下室の手記」の主人公、「罪と罰」のラスコリーニコフ、「悪霊」のスタヴローギン、「カラマーゾフの兄弟」のイワン・カラマーゾフ(とスメルジャコフ)にその類型を見ている。

そして「書かれなかった最後の主体」として「カラマーゾフの兄弟」の続編の主人公、アリョーシャ・カラマーゾフについて論じている(この幻の「カラマーゾフ続編」についての考察は亀山郁夫の考察に依拠している)。

ぼくはそもそもドストエフスキーが「カラマーゾフ」の続編を本気で書くつもりがあったのかを疑問に思っていて、体力的にもテーマ的(皇帝暗殺)にも無理だと(少なくとも途中からは)諦めていたような気がするが、最後の子どもたちの話は確かに続編への導入として読むのが適切だろう。

カラマーゾフ」の序文には確かに二部作の構想が語られているが、これを語っているのが誰なのかがよく分からず、同じようなことは「悪霊」でも物語の語り手が途中からグダグダになってよくわからないまま退場してしまうというパターンがあるので、序文を書いた時点でドストエフスキーの中で続編の物語がどこまでクリアなものだったのか疑問がある。最初から暗示するだけに留めるつもりだった可能性も否定できない。

だがそういうメタレベルの解釈は本質ではなく、あくまでもテキストの内容に基づいて考える方が重要だろう。

そこで、ぼくも自分なりに幻の続編について想像してみたい。

続編のあらすじについては、東浩紀亀山郁夫)が述べている通り、カラマーゾフの終わりの方に出てくる子どもたちのリーダー格コーリャが中心となって皇帝暗殺を企て、彼らの相談役的な地位にあったアリョーシャが彼らの罪を被る(その結果処刑される)という大筋に異存はないものとする。

カラマーゾフ」のアリョーシャは主人公としてはぼんやりし過ぎで、受動的で、キャラクターとして弱いとよく言われる(それでも最初に彼を主人公とわざわざ明言したのは、そのことをドストエフスキーも承知の上だったからだと思える)。

アリョーシャは、上に挙げたような「テロリスト」タイプの主人公ではなく、「白痴」のムイシュキン伯爵に近いタイプの純粋で天使的な人物である。

そのアリョーシャが最後にはテロリスト一味と一緒に(たとえ積極的ではないにせよ)皇帝暗殺(革命)の企てに関与するまでになるという過程が続編の最大の見どころである。「白痴」のムイシュキン伯爵がロゴージンのナスターシャ・フィリポヴナ殺しを止めることができず、結果的に消極的に関与するようなかたちになったことと共通するものがある。

おそらく最も緊迫するのはアリョーシャが宗教者としての立場から革命家コーリャを止めようとする対決の場面で、これは第一部のイワンとの対話(大審問官)をさらにバージョンアップしたようなものになるだろう。

目立った新キャラとしてはコーリャの恋人(「白痴」のアグラーヤのような女性)と、コーリャに不正行為を唆す悪魔の代理人のような男(「罪と罰」のスヴィドリガイロフのような中年男)がいる。第1部では脇役のさらに脇役に甘んじていたアリョーシャの恋人リーザはナスターシャ・フィリポヴナ化した強烈なキャラとなってアリョーシャを懊悩させるであろう。

事程左様に、続編においては、主人公はアリョーシャではあるが、実質的に中心となって物語をドライヴさせるのはコーリャ・クラソートキンである。

彼がロシア社会の偽善と腐敗に直面し、エリート軍人の道を捨てて虐げられた大衆のために革命を志すという図式は、「罪と罰」のラスコリーニコフ2.0ともいえる。

つまりこの最後の大作はドストエフスキーの過去の長編の主要キャラのバージョンアップ版のそろい踏みともいえるのだが、ただ一人まだ出てきてないのがいる。

そう、「悪霊」のスタヴローギンである。

カラマーゾフ続編」の陰の主役はこの男である。

コーリャの皇帝暗殺計画を最終的に挫折させ、その罪をアリョーシャに被せる陰謀を実行したのはこの男である。もちろんアリョーシャは冤罪をすすんで引き受け、自ら断頭台に立つのではあるが、この男がいなければそのような展開にはならなかった。

この男、「帰ってきたスタヴローギン」とも言うべき冷徹無比なマシーンのようなキャラは、皇帝の側近であり、アリョーシャが暗殺の首謀者であったことを皇帝に讒言し、コーリャの命を救う代わりに途方もない取引を持ち掛けるのである(コーリャは銃殺の直前に恩赦により釈放される)。

しかもこの男は自ら手を下さずに、「悪霊」のピョートルのような策士を手下として、自らは最終的な結論を示唆するのみで、具体的な緻密な陰謀の立案と実行はそいつにやらせるのである。そして彼自身は全ての周囲の人物から清廉潔白で模範的な忠君愛国の化身のように英雄視されているのである。

アリョーシャの兄イワンは、このスタヴローギン2.0の正体を見抜き、アリョーシャを救おうと超人的な献身ぶりで活躍するのだが、遂に敗れて獄死するのだ。

 

カラマーゾフの兄弟 後編」

13年後の物語は、シベリアでの刑期を終えてモスクワに帰国した長兄ドミトリーの描写から始まる・・・

 

最終場面は、アリョーシャの死刑執行を見届けたコーリャが、リーザが自殺したとの報を受け、スタヴローギン2.0の邸に乗り込むとことから始まる。それはアリョーシャの犠牲により命を救われたコーリャが、それと引き換えにスタヴローギン2.0と交わした「ある約束」を果たすためであった・・・