クエストラブ:「初めてディアンジェロに会った時は、ちょっと彼に媚びへつらったよ。だって、R&Bに対してすごくスノッブな態度だったんだ。でも、レコードを聴いて、自分を責めた。「N、俺なら歴史を作れたのに」って。だから、もしまた同じ立場になったら、絶対に絶対に名誉挽回を誓ったんだ。
ディアンジェロ:クエストのことは知ってた。彼には会ったことなかったけど。
クエストラブ:フジのオープニング・アクトを務めていた時に、ハウス・オブ・ブルースのバルコニー席に座っていた時に、ディアンジェロの横顔を見たんだ。空気が僕が観客の中にいるってことを感じた。
彼に会ったことはなかった。ロサンゼルスだし、危険な夜だった。ルーツとフューズのせいで、会場はヒートアップしてた。ドラムソロもあったし。ドラムソロだったから、リスクを冒さなきゃいけなかった。
ディアンジェロ:僕はこんな風にプリンスのイントロを弾いていたんだ。それで彼はマッドハウスの曲を弾いた。「ナンバー6」っていう曲だったと思う。「6」か「10」だったかな。僕は「4」じゃなくて「64」を弾いていた。「66」だったと思う。それで彼は「ナンバー6」を弾き始めた。するとバンドの全員が「何やってるの?」って聞いてきて、僕と彼だけがこの場にいるように感じた。「他に誰も」って感じだった。僕以外には誰も彼が何をやっているのか分かっていなかった。
クエストラブ:僕は「西アフリカのドラムの打ち方」を使って、そこでコミュニケーションを取った。僕は立ち上がって、10秒のイントロを弾いた時に、彼の影が見えたんだ。「ああ、彼を捕まえたんだ」って。それで全てが始まった。
ネオソウルの象徴的アーティスト、ディアンジェロが現地時間10月14日に亡くなった。享年51。
家族は声明で次のように発表した。「私たちの家族の輝く星が、この世でその光を静かに閉じました……癌との長く勇敢な闘いの末、マイケル・ディアンジェロ・アーチャー(世界中のファンからディアンジェロとして知られる)が2025年10月14日、天へと召されました。私たちは彼が残してくれたのが愛しい思い出だけであることを悲しんでいますが、心を揺さぶる音楽という永遠の遺産を残してくれたことに感謝しています。この困難な時期、どうか私たちのプライバシーを尊重していただくとともに、彼が世界に遺した歌の贈り物を称えながら、その死を悼む場に皆さんも加わっていただければ幸いです」
DJプレミアはX(旧Twitter)で追悼の言葉を投稿した。「ディアンジェロの訃報、あまりにも悲しい。たくさんの素晴らしい時間を一緒に過ごした。君がいなくなるなんて信じられない。安らかに眠ってくれ、ディー。愛してるぜ、キング」
ディアンジェロは過去30年間で最も尊敬を集めたアーティストのひとりだった。彼は当初ソングライターとしてキャリアをスタートさせたが、1995年のデビュー作『Brown Sugar』で瞬く間にソロスターとして頭角を現した。クエストラヴ、エリカ・バドゥ、J・ディラ、Qティップらが集う音楽集団「ソウルクエリアンズ」の中心的存在として、ソウル、R&B、ヒップホップの新たな道を切り拓きながら、過去への深い敬意を失わなかった。
彼の3枚のソロアルバム『Brown Sugar』(1995年)、『Voodoo』(2000年)、『Black Messiah』(2014年)はいずれも批評家から絶賛され、ビルボード200チャートでトップ10入りを果たした(『Voodoo』は1位を獲得)。全米シングルチャートで最も高順位を記録したのは「Lady」だったが、彼の代表曲といえば、全裸のディアンジェロが一発撮りで歌うミュージックビデオが衝撃を与えた「Untitled (How Does It Feel)」だろう。
ディアンジェロは、キャリアを通じてグラミー賞に14回ノミネートされ4度受賞。そのうち2度は最優秀R&Bアルバム賞(『Voodoo』『Black Messiah』)で、さらに「Untitled (How Does It Feel)」で最優秀R&Bボーカル・パフォーマンス賞、『Black Messiah』収録曲「Really Love」で最優秀R&Bソング賞を受賞した。
ディアンジェロは寡作ぶりでも知られているが、その圧倒的な魅力は完璧主義から生まれた。2000年のRolling Stone誌の取材で、彼の盟友クエストラヴは「もし俺が毎週“おやつ”を持って行かなかったら、2年早く完成してたかもな」と冗談を言っている。“おやつ”とは、彼らが制作中に観て研究したライブ映像やブートレグ音源のことだ。『Voodoo』と『Black Messiah』の間の14年間、ディアンジェロはエレキギターの習得に没頭し、その成果はアルバム全体に息づいている。
彼はしばしばレーベルとの確執、スランプ、そしてコカインとアルコール依存に悩まされた。2005年初頭には薬物所持で逮捕され、流出したマグショットが健康不安を呼んだ。同年後半、執行猶予付き有罪判決を受けた直後に交通事故で負傷している。長い沈黙を破って2014年に『Black Messiah』を発表したのち、2015年のRolling Stone誌インタビューで彼はこう語っている。
「私生活で起きたクソみたいな出来事が、創作にいい影響を与えたことはない。でも、業界の変化もそれに輪をかけて厄介だった。音楽業界ってのは本当に狂ったゲームだよ。特に、俺みたいに“純粋に芸術のためにやってる”人間にとってはね。商業主義とのバランスを取るのは綱渡りみたいなもんだ。“信念を貫くこと”と“狂気”のあいだの線は、紙一重なんだ。」
同じ年に亡くなったスライ・ストーンのことをどうしても連想してしまう。
『暴動』と『Voodoo』はどうしても対になってしまう(何となく音も似てる)。
Black Messiahがまた一人この世からいなくなってしまった。
「でも、このレコードに一番影響を与えたのは」とクエストラヴは言う。「スタジオに来ることはなかったプリンスだ。『Voodoo』が完成してからずっと経って、Dと僕は一緒にそれを聴いて、これがプリンスのためのオーディションテープだってことを二人で認めたんだ。このアルバムは、僕たちがプリンスとコラボレーションできるってことを彼に示すために作ったんだと思う。彼に何が必要なのか分かっているって言うのが大胆なのかどうかはわからないけど、とにかく一緒に仕事をしたいんだ」

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