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ある女優の告白(1)

わたしが初めて演技と呼べるものに触れたのは、10歳くらいの時分、日曜日ごとに通っていた地元のカトリック教会の演劇発表会で、村娘を演じたときのことでした。

 

この寸劇は聖書(福音書)の挿話をもとにしたものでした。

村娘のわたしはイエス・キリストの足元に身を投げ出し、高価な油をキリストにふりかけ、そのあと自分の髪の毛でキリストの足を拭いました。弟子たちがこれを無駄遣いだと非難すると、キリストはわたしが埋葬の準備をしてくれたのだと言う場面でした。

 

発表会のあと、大勢のひとが、わたしの演技を褒めてくれました。わたしが出演したのは長い物語の中のほんの一場面にすぎなかったのですが、多くの観客の印象に残ったようでした。しかもわたしに与えられた台詞は、ただ「主よ」のひとことだけだったのです!

 

ですから、ひとはわたしの「演技」に感心したのではなく、舞台上のわたしの存在そのものに感心したのだ、といえるでしょう。そしてわたしの舞台上の存在感には、ひとの共感を呼び起こす何かがあったのだと思います。

 

教会に通っていたわたしは、福音書の「姦淫の女」というお話を聞くのが好きでした。まだ子どもだったわたしは「姦淫」の正確な意味を理解していませんでした。それでもキリストが、姦淫の罪に問われた一人の女を取り囲んでいる男たちに、「あなた達の中で罪のない者だけがこの女に石を投げなさい」という場面で、わたしはいつもきまって涙を流すのでした。この女がわたしであるような気がしてならなかったのです。

 

事実、これとそっくりな経験をしばしば学校で味わいました。大勢の男子や、ときには女子に取り囲まれて、あいつと「できてる」だろうとか、特定の教師に色目を使ったなどと責め立てられるのです。教会のお話とのちがいは、学校には決してキリストはいなかったということでした。

 

もうひとつ好きなお話、というよりもわたしが強い印象を受けたお話があります。

 

キリストがある女に、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」と言います。すると女は、「わたしには夫はありません」と答えます。するとキリストはこう言うのです。

 

「夫がないと言ったのは、もっともだ。あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。

 

まだ子どもだったわたしは、このお話を聞きながら(もしかしたら自分で読んだのかもしれません、そこははっきり覚えていません)、何かゾクゾクして体の奥が疼くような、怖いような気持のいいような不思議な感覚を味わったのを覚えています。

 

本当の意味でわたしが演技に目覚めたのは、中学生になって学校で英語劇の発表をしたときのことです。演目は、「ロミオとジュリエット」を中学生向けにダイジェストしたものでした。わたしはジュリエットを演じたいと強く思いました。ジュリエットに立候補して手を挙げたとき、反対の意を述べる者は(教師を含めて)誰もいませんでした。

 

本番に向けて、リハーサルを何度も何度も行いました。ジュリエットを演じながら、わたしは舞台で感情がたかぶってくると目に涙をためました。それがすぐむこうに反射して、びっくりするほど相手役(ロミオを演じた同級生)と調子が合うことがありました。そんなとき、わたしは夢中になって役に入り込んでいるいっぽうで、頭のどこかが覚めていて、しめたうまく行っていると感じているのです。

 

わたしにはこれが初めて感じられてひどく面白いことに思えたのです。舞台で役になりきるなどということは嘘で、何かが覚めているものだということを知りました。

 

泣いてはいますが、心を乱してはいません。そのときわたしは役に成り切りながら、同時に観客の眼にもなって、わたしの演技に共感する観客の心の動きをハッキリと感じ取っているようでした。そういう瞬間に、わたしは言いようのない快感を覚えたのでした。

 

劇を見に来た生徒の親の中に、芸能界でお仕事をしている人がいて、発表会のあと、わたしの親に電話してきました。わたしの家に来てお話がしたいというのでした。

 

親は、芸能界というものについてひどく偏見を持っていましたから、お話を聞いたうえですぐにお断りの返事をしました。でもわたしはまだ幼いころから「起こること全てに意味がある。人生に意味のないものはひとつもない。」という強い信念がありました。だから、スカウトのお話があったときに、これはきっと神のお導きだと思ったのです。

 

中学を卒業すると同時に、そのひとの伝手を頼って、東京のタレント事務所に入りました。そのときのわたしは、芸能スターになりたいというよりも、とにかく演技がしたいという気持ちでいっぱいでした。それは、スターであることによって得られる快感よりも、演技によって得られる快感の方が大きいことを知っていたからです。スターであるという抽象的で孤独な快感よりも、演技を通した聴衆との共感によって増幅される快感の方が遥かに質量ともに充実していることを、想像によってではなく実感として知っていたのでした。

 

通信制の高校に通いながら、毎日のように演技のレッスンにも通いました。わたしはもうすでに、自分がひとりの成熟した女優であることを自覚していました。

 

通常の若いモデルやタレントは、女優になるために脇役から始めます。わたしは最初から主役以外を演じるつもりはまったくありませんでした。脇役に甘んじるくらいなら辞めよう、くらいの気持でした。わたしが周囲の関係者にそのように告げたとき、傲慢だとか自惚れているなどといって非難する人は誰もいませんでした。

 

ある有名な脚本家が、わたしを主役に想定した台本を書いてきました。そしてそれが私の映画初主演作品になりました。形だけのオーディションが行われ、わたしは鳴り物入りの期待の大型新人としてデビューを飾りました。

 

初主演作品は無残な失敗に終わりました。大々的な宣伝にもかかわらず、あまりに客の入りが悪かったので、上映はすぐに打ち切られてしまいました。わたしが大手芸能事務所の実力者の愛人で、人気も実績もないのに主役にゴリ押しされたという噂が立ちました(それは正直に言えば根も葉もない噂とは言い難いものでしたが)。

 

後年この作品が失敗した原因を自分なりに分析しましたが、当時のわたしにもこの作品が失敗に終わるだろうという予感はあったのです。というのは、このときわたしは演技しながらまったく快感を得ていなかったからです。当時わたしが共演男優と実生活で恋愛関係にあったという事実は、かえって演技そのものから得られるべき混じりけのない無垢な快感を奪ってしまったかのようでした。

 

わたしにとって女優であるとは何よりも、見る者に快感を与える存在であるということでした。同時にそのことによって快感を得る生き物であるということでした。

 

わたしは、他人に対して従順であったとはお世辞にも言えませんでしたが、神秘的な、予見できない、<直観>としか呼びようのない種類のメッセージに対する従順さを失ったことはありません。そのメッセージは有無を言わさぬ、絶対的なやり方で命令を下し、それを逃れる術をまったく与えない――さもなければ、完全さも自尊心も、そっくり失われてしまうのです。

 

このメッセージは、わたしがこれまで抱いてきたイメージすべての破壊をも命じることもあり得ました。それは根源的に新たな方向に向かうためだったのですが、しばしば、何の方向も、いささかの計画も、継続への少しの希望もなしの破壊でもありました。

 

わたしは、このまま国内にいると潰されてしまう、アメリカへ行かなければならない、という直観のメッセージに従って、たったひとりで何の当てもなく渡米しました。NYでスタニスラフスキー系のメソッド演技法に出会い、半年間各種のセミナーに通いました。

 

当時の恋人だったブラジル人男性(アントニオ)は、俳優修業のためにアメリカに渡ってきた人で、ポルノ男優などで日銭を稼ぎながらハリウッドで成功するために頑張っていました。彼は今ヨーロッパ各国で手広く不動産事業を営んでいます。今でも海外に行ったときはよく束の間の逢瀬を楽しみます。

 

アメリカでは、脳神経学の博士号を持つアントニオと一緒に、「ミラーニューロン」の実験に没頭しました。ひとが俳優や女優の演技を見て感動するのは、ミラーニューロンという脳内細胞の働きによるものです。実際に自分が体験していなくても、それを見ただけで、ミラーニューロンが活性化して、脳の中で同じように再現します。実際に、それを体験するときに活動する細胞が、同じように働くのです。

 

役者は、自分の声や動きを観客と共有し、それによって観客が演技に能動的に参加して役者と一体化できるようにしなければなりません。こうした共有によってその演技はリアリティを帯び、存在価値が出てくるのです。

 

わたしは、わたし自身が演技を通して味わい、見る者と共有する快感を、ミラーニューロンのメカニズムを通してさらに増強できないものかと企てていたのでした。