<秋恵もの>
「暗渠の宿」(『暗渠の宿』収録)『新潮』2006年8月号
34歳(平成13年2001年9月)。新宿一丁目の八畳一間の「豚小屋」を出て秋恵(表記はまだ「女」)と同棲するためのアパートを二人で探すも、保証人やら収入証明やらを求められ、中々条件に適う物件が見つからない。漸く滝野川の王子寄り、地下鉄西巣鴨から徒歩15分の物件に決める。八階建ての最上階のリビング三面の窓からは東京タワーが小さく見える。滝野川は伊福部隆輝(後の隆彦)が大正時代の一時期に住んでいた所。伊福部は藤澤清造の『根津権現裏』を発表直後に激賞していた。
「けど何んだな、その点やはり今東光とか武田麟太郎みたいに、後になってこの小説の良さを見抜いて、後世の読者にその存在を語り継いでくれた作家はすごいね。真の新しさを知ってた作家だよ。伊福部隆輝もまた然りだ。だからその人に敬意を表して、いっときこの地に住むのも悪くないよ」
同棲開始は9月の半ば。女は28歳。東北生まれで、地元の大学の同級生と卒業後約5年間横浜で同棲していた。貫多と知り合ったのはその男と別れた直後の約1年前、三光町の中華レストランでウエイトレスのアルバイトをしていたときのことである。 同棲開始二週間後、秋恵の作ったラーメンが気に入らず叱咤。その数日後、貫多がトイレで尻を拭いているところを開けてしまった秋恵の頭を張りとばす。 或る休日、サンシャイン水族館に行きたいという秋恵を上野動物園に連れて行き、上野の古書販売スペースで客とトラブルになりかけたのを、その場を離れて巻き込まれるのを避けた秋恵の態度が気に入らず、夜部屋に戻ってから難詰する。 同棲開始4か月後(2002年1月頃)、藤澤清造の墓標を入れるガラスケースを作ることにした貫多は、65万円をかけてリビングに設置する。無事設置した後、ガラスケースに映った女の顔に冷やりとするものを感じ、被害妄想に陥った貫多は、「おい、もしぼくの資料に妙なことしやがったら、どうなるかわかってんだろうな」と恫喝めいた暴言を吐くのだった。
「陰雲晴れぬ」(『寒灯』収録)「新潮」2010年8月号
2001年9月、滝野川のアパートへの引越し。アパート管理人とトラブルになり、謝りに行こうと主張する秋恵を怒鳴りつける。これが同居して初めての暴言。
「何があやまろうよ、だ。何が、いつも言い過ぎなんだよ、だ。てめえは何を生意気に、このぼくに対して説諭をしていやがるんだ! えらそうにしやがってよ! 元はと云やあ、てめえが馬鹿みてえによ、桃なんぞかかえてノコノコ挨拶なんかにゆくから、それで嘗められてしまったんじゃあねえか。すべては、てめえが悪いんじゃねえか!」
「青痣」(『歪んだ忌日』収録)「新潮」2012年1月号
同棲してそろそろ1か月。大型スーパーで秋恵の勧めで八千円のベランダ用ベンチ購入。その日のうちに、ベランダに干してある秋恵のショーツの話をして不快感を露にした秋恵に対し殴る蹴るの暴行を加える。秋恵が出て行った後に浴室にあった秋恵の高価なシャンプーやコンディショナーを全部流し捨てる。夜遅く出て行った秋恵が帰宅し、ホッと胸を撫で下ろす貫多。
「肩先に花の香りを残す人」(『寒灯』収録)「東と西2」2010年7月
同棲1か月。後部座席に付着した男性用化粧品の匂いから秋恵がタクシーに内緒で乗ったことを当てるが、自分もタクシーを使っていたのだった。
「乞食の糧途」(『人もいない春』収録)『野性時代』2008年12月号
秋恵がパートに出だした頃の話。パート先の人間関係で悩む秋恵を大した事ないから早く晩ご飯の支度をしてくれと説得する貫多。ふと自身が20歳時の運送会社でのアルバイト時代に重ねる。食事の支度をし、冷や麦にポテトサラダを出す秋恵に対し、ひとくさり不満を並べ立てる。
「痴者の食卓」(『痴者の食卓』収録)『小説現代』2015年1月号
同棲2か月近くが経ち、土鍋を買いたいという秋恵に付き合い、一緒に買いに出かける貫多。秋恵の要請で土鍋ではなく電気式の鉄板焼きにも使える鍋を買って帰る。水炊きにしたいという貫多に対しすき焼きを主張する秋恵。悉く意見が食い違い、最後に投入するのをおじやかきしめんかで秋恵が勘違いしていたことに激怒し暴力を振るう。
作者インタビューより
「貫多は本当はホットプレートなんか要らないし、鍋なら水炊きがいいのに、すき焼きと決められる。楽しみにしていたシメのおじやさえも食べられない。そんな我慢に我慢を重ねる「善意」が踏みにじられるサマを描きたかったんです。」 「異臭は実話です。鍋を何度も洗剤に浸けて洗っても臭いが消えない。おかしいと思いながらも「こんなものか?」と納得するしかないんですが、貫多は神経質な男だから、それができません。せっかくの自重を自ら台無しにするわけです。」
「赤い脳漿」(『人もいない春』収録)『野性時代』2010年2月号
たまたま入った中華料理店を気に入り、秋恵のために出前を取ってあげたが、秋恵は過去のある出来事が原因で麻婆豆腐が苦手だと言う。その後、秋恵の過去のアルバムを見せられ、学生時代の秋恵の容姿に満足の念を覚えるも、少女時代の醜い顔付きを目にして劣情が萎える。意趣返しに先の中華料理店で再び麻婆豆腐を注文し嫌がらせをする。
「昼寝る」(『人もいない春』収録)『野性時代』2010年4月号
同棲二か月経過。秋恵がパートに出て一か月。風邪をひいたのにパートを休めないと頑張る秋恵を心配する貫多だが、いつまでも具合の良くならない秋恵に不満を爆発させる。
「てめえは一体、いつまで病んでりゃ満足するんだ!」 「一日二日のことならいざ知らず、こう五日も六日もどんより空気を汚されりゃよ、いい加減怒りたくもなってこようってもんだろうぜ。家ん中が、陰にこもって仕様がないじゃねえか!」
その後、秋恵の風邪は治り、貫多が風邪で倒れる。七尾の命日を欠席。
「焼却炉行き赤ん坊」(『小銭をかぞえる』収録)「文學界」2008年6月号
2001年12月初旬(?)。一人称。秋恵が子どもを欲しがり、満たされぬ思いからか、犬のぬいぐるみを溺愛し出す。最後は貫多がブチ切れ、ぬいぐるみに報復。
「冗談言うな。こちとら十五のときから独立独行でやってらあな。親父なんざ何人目かの女性を襲って張り込んでた刑事に捕まったときに、そのうちのひとりを刺しやがったんだからなあ。それで初犯ながら実刑七年だぜ。『ウイークエンダー』でも面白おかしく取り上げられるし、加害者一家として夜逃げの憂き目は味わうしよ。おかけでぼくは未だに葛西橋から向こうに渡ることができねえよ。」
「ぼくだけを大切にしろい!」
「下水に流した感傷」(『痴者の食卓』収録)『小説新潮』2014年9月号
ぬいぐるみを破壊した反省からに金魚(和金10匹)を買ってくる貫多。翌日ホームセンターで1万5千円の水槽も購入。8匹は死んでしまい、金魚2匹になったところに緋泥鰌3匹を追加。そのうちの1匹は秋恵が水槽を掃除しているときに下水管から逃げてしまう。貫多は代わりに「川むつ」を買ってくるが、これが凶暴な魚で、金魚を追いかけ回し、緋泥鰌2匹を襲って食べてしまう。貫多はこれを殺処分しようとするが、秋恵が排水溝から逃がす。
今にして思えば、それから一年と経たぬうちに他に男を作って去っていったこの女に、貫多は件の一事辺りから、不信感の萌芽が生じ始めていたようであった。
(作者インタビューより)
最後に買い足した「川むつ」は見た目が小アジみたいな川魚で、最初は大人しかったものの、どうも肉食だったみたいで、先にいた2匹の緋泥鰌を追いかけまわして、ヒサンなことになります。 怒った貫多が、この川むつを殺そうとすると、秋恵はこっそり風呂場の排水口に捨ててしまう。同じ処分するにしても、貫多の言いなりではなく、自我を通そうとするわけです。 どれも瑣末といえば瑣末な話ですが、誰しも心あたりのあるような話ではあると思うんです。こういうことも、やはり小説になりうる。こんな人間っているよなぁと思うか、ただ愚かと思うのかは様々でしょうけど。 あの水槽は、実際10年くらい前に買ったもので、金魚がいなくなった後も片付けるのが面倒でリビングに放置してあったんです。水も腐って、夏になると臭いも酷くなる一方だったので、数年前にようやく撤去しましたが。 秋恵と交わす金魚の飼育法は、専門家からしたら何てバカなんだと思われるでしょうが、記憶のままを書いています。これが私小説でなく、頭の中だけで作った作品だと飼い方を調べるんでしょうけど、そうすると僕が考える小説の面白さと違ってくるんです。
「廃疾かかえて」(『瘡瘢旅行』収録)『群像』2008年11月号
秋恵が友達の久美ちゃんに金を貸したことが気に入らず執拗に問い詰める。
見るとそれは、秋恵がこの日、久美子と共に昼食を摂った場所らしい、高崎辺のイタリア料理店のレシートだったが、印字されている合計三千円ちょっとのその内訳と云うのは、貫多の目には些か平仄(ひょうそく)の合わぬものとして映った。何より、そのレシートが秋恵のガマ口にあると云うことは、当然、その勘定は彼女が馬鹿のように、人好く引き受けてやったものに相違あるまい。店側に対する煩瑣を厭い、取りあえず二人の分を暫定的にまとめて彼女が払い、店を出たのち相手がたの分を受け取る、なぞ云う芸当のできる女ではないのだ。 察するところ、九百五十円のランチ・セットと云うのは、つましい秋恵の精一杯の注文品であり、千五百円のペスカトーレと六百円のグアバジュースなるものの方は、かの久美子が平然と誂えてくれたものであろう。そして平然と、秋恵に馳走になったものであろう。
「小銭をかぞえる」(『小銭をかぞえる』収録)「文學界」2007年11月号
清造全集を出す約束の出版社に支払う金を用意する為、旧友の山志名に借金を申し込むも拒絶さる。結句秋恵の父に、既に三百万円を借りているのに重ねて再度五十万円借りる。実際に必要なのは三十万円のところを二十万サバを読んでおり、秋恵から領収書を求められるとキレて暴行。
第138回芥川賞候補作。以下選評より。
黒井千次「企みと作品の仕上りとの間に隙間があるような印象を受けた。」
宮本輝 「支持する委員は少なかった。私も推さなかったが、小説のうまさは候補作七篇のなかでは秀でたものを感じた。ただ、内容が前作とまったく同じで、藤沢清造という作家の全集を刊行することに執着しつづける男の、その根本的な動機というものが伝わってこない。」「私は、西村氏の書くまったく別の主人公による小説を読みたい。」
石原慎太郎「私にとって一番強い印象だった」「金策の地獄というのは人間の業のからんだ永遠の主題だが、今一つの迫力に欠ける。」「あられもない金策の理由がもっと普遍的なものの方が、金にあがく人間を太宰治的な世界として描けるのではなかろうか。」
山田詠美「相変わらず、卑屈さと厚かましさのコントラストが抜群。ただし、そう感じるのは、この作者の小説を読み続けて来た故。いちげんさんの読者を意識すべし。」
「人工降雨」(『痴者の食卓』収録)『新潮』2014年6月号
昨夜の秋恵への暴力暴言を反省するも、秋恵から両親へ借金の借用書を書くように言われ再び暴行。
「畜生の反省」(『痴者の食卓』収録)『野性時代』2015年1月号
秋恵へのDVを古書店主の新川にたしなめられ反省するも、帰宅したら留守電に秋恵の父からの心配するメッセージがあり、秋恵が暴力をふるわれたことを心配し、すぐ帰ってこいという内容だったため、帰ってきた秋恵に暴行を加えるべく待ち構える貫多。
「邪煙の充ちゆく」(『無銭横町』収録)「文學界」2014年3月号
11月中旬。貫多は秋恵が煙草臭くなるのを嫌いベランダで喫煙することを決意するも、秋恵はしきりに部屋で喫煙してもよいと勧める。「あたし、もう免疫ができてるし……」との一言に秋恵の前の男の影を見て不貞腐れ、寝室で喫煙を始める貫多。
「寒灯」(『寒灯』収録)「新潮」2011年5月号
年の瀬、秋恵が実家に帰省しようとするのを無理やり止めさせる。 年越しそばのおつゆが薄すぎると激怒し、出て行けと怒鳴る。 直後に寝室で姫はじめを誘う貫多を拒絶する秋恵。
「うるせえ、糞女! もう一度言ってやる。ここはぼくの家だ。てめえもぼくの家にいる以上、何も正月だけに限った話じゃねえや。すべては主人たる、このぼくの流儀に従ってもらうからな。それがイヤなら本当に出ていけ!」
(交接を迫るも拒絶されて)「生意気云うな、穴女郎めが。こんなものは半ば義務だ」
「微笑崩壊」(『痴者の食卓』収録)『小説新潮』2015年3月号
行きつけの飲み屋に秋恵を連れていく貫多。その店で自分の女を異常に叱責している男を目撃し、秋恵に対する自分の姿を見る思い。後日また二人で同じ店に行くが、秋恵が店に部屋の鍵を忘れたり、アイロンの電気を切り忘れたかもと云う秋恵に、自分の大事な作家のコレクションが火事で焼失したらどうしてくれると怒りを爆発させ暴行。
「膿汁の流れ」(『瘡瘢旅行』収録)『群像』2009年6月号
同棲半年経過(2002年3月頃?)。秋恵の祖母が入院し秋恵が東北の実家に帰っている間に、秋恵から渡された生活費を使って豪華な外食や射精遊戯に興じる貫多。
「うるせえ、この野郎! ババアが死んで可哀想だと思ってやってあげてることを、変に押しつけがましい、とは何んだ。てめえの物言いの方がよっぽどおかしいわ!第一、てめえのババアが骨壺行きになったのと、ぼくの物の言い方がおかしいのと何んの関係があるって云うんだ。このぼくに、八つ当たりみたいな真似をしてくんじゃねえよ。はな、ぼくは忠告してやったじゃないか。入院した老人をヘタに廻りで騒ぐと、それに煽られてガクッと参ってしまうって話はよ。やっぱし、てめえのババアもぼくの言った通りになったじゃねえか。それ見たことかの結果になったじゃねえか」
「どうで死ぬ身の一踊り」(『同』収録)「群像」2005年9月号
2002年1月。藤澤清造の法要へ行く前に秋恵と喧嘩して飛行機に乗り遅れ、空いた時間潰しに大田区萩中にある母方の墓へ二十年ぶりに訪れる。七尾から戻ってから再び大喧嘩し、秋恵は東北の実家へ帰る。電話をかけ繰り返し哀願して翌日実家近くの駅を訪れ、翌々日に連れ帰る。 その後、カツカレーを食べているところを「豚みたい」と言われ、カレーを部屋中にぶちまけ、秋恵の髪を引っ掴んで、椅子ごと床に倒し込み、肩や腿に足蹴を食らわせ、それがふいに横腹に深く入ってしまう。凄まじい悲鳴をあげた秋恵に、どうせ小芝居だろう、とさらに肩の近くを蹴りつけた貫多だが、尋常ではない切迫した声で苦しむ様子に怯む。秋恵は救急車を呼んでくれと頼むも、明日から七尾の清造の菩提寺に貫多の生前墓を建てた記念行事があり、救急車を呼んだら自らの暴行が原因とバレて警察沙汰になってしまうため、呼べないと言い含め布団を引いて寝かせる。
「うるさい。何がチキンライスだ、チキンなんて入ってやしないじゃないか」
第134回芥川賞候補作。以下選評より。
山田詠美「爆笑。死語のこれでもかという連発、あまりにも古い文学臭。それもここまで極めればかえって新しい。」「意識せずに天然の心持ちで、自らを笑い者に出来る人は、天才、もしくは、ばかたれと呼ばれるが、この作者は天才ではない。かと言って、ただのばかたれでもない。愛すべき文学ばかたれである。」
宮本輝「捨て難い作品だと思う。」「主人公が耽溺する作家がいかなる作家であったのか、なぜ主人公がその作家にここまで惹かれつづけるのかについては、ほとんど、というより、まったく触れられていない。私もだが、そこのところを大きな欠落だと指摘する委員は多かった。」「それにしても粘着力のある書き手であって、主人公の、女への滑稽なほどの執着を描く筆さばきは秀逸である。」
黒井千次「(引用者注:「vanity」と共に)特色はあっても冗長の感を拭えない。」 高樹のぶ子「主人公のやりきれない矮小さがリアル。ただなぜ藤澤清造という作家に執着するかが、描かれていない。」
「棺に跨がる」(『棺に跨がる』収録)『文學界』2012年5月
2002年6月。七尾の清造の菩提寺で貫多の生前墓を祝う行事の間にも秋恵から携帯に連絡がないことに冷や汗をかきつつ帰宅。整骨院に行きコルセットを巻いて横になる秋恵の憮然とした態度が気に入らず、いっそ秋恵の親から借りた金で豪遊してしまおうと決め、手始めに鶯谷の「信濃路」に向かう。
「脳中の冥路」(『棺に跨がる』収録)『文學界』2012年7月
棺に跨がるの続き。同棲九か月(2002年6月?)。コルセットが外れた秋恵の機嫌を取るため野球観戦と焼肉に連れ出すも、タクシーで帰る帰らないで揉めて喧嘩。既に秋恵の心は貫多から離れている。
小心で、根が至ってモラリストにできてる貫多は小声で制止したが、秋恵は彼の叱呵なぞまるで聞く風もなく、「お肉なんて、今のあたしの体には毒以外のなにものでもないわよ! あんたはいっつも、そうだもんね」「……云うなっ」
「瘡瘢旅行」(『瘡瘢旅行』収録)『群像』2009年4月号
2002年7月頃。酒屋の配達の女の子にセクハラ発言をして秋恵に窘められ逆ギレ。その後、古書を買いに岐阜へ行くのに無理やり同行させる。首尾よく古書を入手できたことに得意満面の貫多だが、その三か月後に秋恵は出て行くことになるのであった。
「黙れ。不妊症。てめえみてえな低脳と、カンバセーションしてやるぼくじゃねえぞ。何が、セクハラ だ。昨日今日覚えた言葉を得意気に振り廻すな!」 「黙れと言ってるんだ、この、オリモノめが!聞いた風なことをぬかすなと言ってるのが分からねえのか。口で言って分かんなきゃ、てめえはまたアバラをへし折ってやるぞ!」
「豚の鮮血」(『棺に跨がる』収録)『文學界』2012年11月
猛暑。カツカレー事件から約3か月が経ち、カツカレーを作り復縁を諮るも喧嘩。ツナを入れて「江戸川カレーだ」と言ったのを「……気持ち悪い」と一蹴される。最後は逆ギレ。もう秋恵の心は貫多に対して冷め切っており、パート先の男と浮気していた。
「一夜」(『どうで死ぬ身の一踊り』収録)「群像」2005年5月号
秋恵が貫多の校正仕事を手伝うも気に入らず叱る。仲直りのため池袋のデパートで秋恵の好物の蟹を買ってきたが、まったく喜ばない秋恵の態度が気に入らず再び暴行。家を飛び出した秋恵を貫多が追う。
「まだ、手離せねえ。 今はまだ、手離せねえ。 涙さえ浮かべ、薄明りの蒼い視界の先を、ひたすら足早に歩いていた。」
「破鏡前夜」(『棺に跨がる』収録)『文學界』2013年2月号
2002年10月。やけに機嫌よく貫多を七尾の清造の菩提寺に送り出す秋恵。翌日貫多が部屋に戻ると、秋恵は姿を消し、秋恵の私物はすべて運び去られていた。テーブルの上にはメモが残されていた(以下全文)。
<いろいろ考えたけど、やはりもう無理です。短い間でしたがありがとうございました。私は実家にはもどりません。お金は、必ず父に返してください。このことでは、そのうち父から連絡がいくと思います。>