War Is Over

 if you want it

Killing w/ Kindness

政治というのは建前の世界で文学は本音の世界だから両立させるのは無理があると思う。両立させるというのは、両方で一流の仕事をするという意味で、石原慎太郎今東光は両立させたとはいえない。ウィンストン・チャーチルはどうなんだと言われたら、チャーチルは名文家ではあるが文学者ではない。

文学者が政治的に正しいことを言うのは滑稽なだけでなく積極的に間違いである。だから大江健三郎は間違っていない。文学者は政治音痴くらいで丁度いい。政治音痴のくせに政治家になろうとするから石原慎太郎のように不様なことになる。

なぜこんなことを書いたかというと、世の中には西村賢太の小説をフェミニズムやらナンタライズムの観点から非難あるいは糾弾しようとする愚者たちが出てくるからである。西村自身が上野千鶴子から批判されるのではないかと恐れていたという話もある。

特に<SNS正義派>がノイジー・マジョリティとして跋扈する現代社会においては、炎上の種をまったく含まないで何らかの意味のある発言をすることは不可能になってしまった。社会的発言ならともかく、文学や小説の世界まで〈正義派〉に気を遣わずに生きていけないようでは、もはやディストピアである。

西村の小説の一見他虐に満ちたその本質が、実はどこまでも自虐の中より生じていること、他者を斬っても返す刃は必ず自己に向けていることを見抜く目もない連中が〈政治的正しさ〉の観点からいくら彼の小説を非難したところで、西村賢太私小説の価値は毫も揺るぐものではない。

だが、昨今の状況を見るに、その真価は歴史が証明するであろう、と自信をもって断言するのを躊躇わざるを得ないのが厄介なところではある。