INSTANT KARMA

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藤井風問題(?)について

昨日の記事に引き続き、まだ書ききれなかったと思われる部分があるので自分の中でスッキリするまで続けて書く。完全に個人的見解なのでこれが正しい見方であるなどと主張する気は毛頭ない。

 

藤井風のファンで、彼のアルバムタイトルがサイババの言葉であることを知らず、彼がサイババの信奉者であることを最近になって初めて知ってショックを受けたという人が多いことにまず驚いている。

たまたまどこかで彼の曲を耳にして何となくいいなと思った程度の「ファン」ならともかく、彼のアルバムを購入して愛聴するほどのファンであれば、彼がサイババの影響を受けて、というよりもほとんどサイババの教えに忠実に活動していることは、少し調べれば分かることで、それを分かったうえでのファンなのだろうと思っていた。

だから藤井風について書いた記事(このブログで圧倒的によく読まれている記事)の中で、

自分にとって藤井風が気になるのは、その音楽の良さもさることながら、彼があからさまにサイババの信奉者であることを隠そうともせず活動するその潔さと、彼を(それにもかかわらず、といってもよい)肯定的に支持する人々の圧倒的な多さに注目するからでである。

と書いた。

ところが実際には、今回の騒動で、藤井風はサイババの信者であることを「隠して」、サイババの言葉をあたかも彼自身の言葉であるかのように「偽って」活動している、と「裏切られた思い」を抱いたファンがけっこういるのだということが分かった。

藤井風自身に隠したり偽ったりする気持ちがあったのかどうかは分からない(たぶんなかったろう)が、結果としてそのように受け止められたのは、藤井風サイドにとっては誤算だったのではないだろうか。つまり藤井風も運営も僕と同じ勘違いに陥っていたのではないかと思った。そうだとしたら、まあ「無邪気すぎた」ということになるのだろう。

これは1990年代のサイババ・ブームを知っている世代とそうでない世代のギャップにもかかわることかもしれない。青山氏の「理性のゆらぎ」という本をきっかけに、日本でサイババが一種のブームとなり、色んな著名人がインドのアシュラム(サイババの寺院のようなもの)を訪ね、テレビでも盛んに取り上げられた(1994年のクリスマスにはフジテレビが特集番組を組んで別所哲也サイババと直接会話している映像が流れた)。ところが1995年のオウム真理教事件を境として、それまでメディアで盛んに取り上げられていたサイババに関する報道が完全に消えた。それはブームが去ったというより、メディアの自主規制により強制終了したという感じだった。

2000年代に主にヨーロッパの元信者による「幼児性愛スキャンダル」がでっち上げられ、一時は大きな騒動になったが、これもまったくといっていいほど日本のメディアには報じられていない。個人的にはマイケルジャクソンの疑惑と同じくらい根拠のないものだと考えているが、当時の信奉者にこれをきっかけに離れた人がいたのは事実だ。

だから今の十代、二十代のファンがサイババのことを知らないのは無理もないことかもしれない(僕が70年代のユリゲラーの超能力ブームについてほとんど知らないように)。

あとことわっておくと、サイババは<サイババ教>のような新興宗教の教祖ではなく、インドではあくまでもヒンズー教の聖者の一人という位置づけである。ただし彼を<グル(導師)>として信奉する人々の一団が組織として存在することは確かである。しかしその実態は今話題になっている統一教会みたいなカルトじみたものではなく、ある種の親睦団体みたいなものである(少なくとも自分が知っていた時期はそうだった。ちなみにサイ・オーガニゼーションが藤井風についてどういうスタンスなのかは気にならないでもない)。

まあサイババ自体についての評価は各人が「信頼できる資料」に基づいて下せばいいのであって、ここで論じたところで無益であろう(「信頼できる資料」の件については前の記事で書いた)。

しかし、今回の抗議活動に同調している「ファン」の、「知らないうちに宗教関連グッズを買わされたのはけしからん!金返せ!」みたいな言い分はちょっとどうかと思う。

(そういえば関係ないが、昔、誰もが見るテレビ番組で「世界は一家、人類は皆兄弟」「お父さんお母さんを大切にしよう」と皆が笹川良一と一緒に大声で唱えるCMが毎週流れていたのを思い出した。当時アレに苦情を入れる人はいたのだろうか?)

藤井風のファンはもっと自分の感性を信じたほうがいいと思う。せっかく藤井風の歌や歌詞や世界観が好きになったのなら、<藤井風=サイババ=宗教=統一教会=カルト>で思考停止するのは勿体ないし、そういうものに関わってしまったなどといって自分を責めたりするのは馬鹿らしいことだと思う。

ましてや、「信仰の自由を奪った」などといってアーチストを責めるのは論外である。

 

さて、それはそれとして、このことをきっかけに、藤井風が「余計なこと抜かすな! 分かってくれるファンだけがついてきてくれたらそれでええんじゃ!」という風になってしまうのか、スピリチュアル色を抜いていく方向に行くのか。

たぶん藤井風の本音はインスタの発言にも示されている通り前者だろうと思う。あとは運営がどう考えるかだが、ほとんど藤井風を信奉するようなスタンスで関わっているスタッフで占められているとしたら最終的には本人の意向に従うだろう。

そして前者の方向を貫くなら、普通はそれこそ教祖と信奉者のような閉鎖的な関係性をもつカルト的ミュージシャンとなっていくのだが、藤井風の場合は、もはやその存在が大きくなりすぎているので、小さくまとまる方向にはいかない気がする。

また少なくとも今年以降は、「藤井風がサイババにガッツリ影響されてるなんて知らなかった!」ということにはならないと思うので、それを前提としたファンダムが形成されるだろうから、同じ問題が繰り返されることはないと思う。

ただメディア側(特にテレビ)が、論議を呼びそうなミュージシャンとして彼を敬遠する動きが出てくる可能性はある。

いずれにせよ、藤井風には「音楽の力だけで有無を言わせない」くらいに「いい音楽」を作り続けて欲しいと期待するのみだ。