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真っ暗闇の道

実家にあった名人戦全記録」(毎日新聞社の中から、羽生善治米長邦雄名人に挑戦して4勝2敗で名人位を奪取した、第52期将棋名人戦棋譜を一通り並べてみた。

自分のようなヘボそのものの棋力(アマ10級程度)でこんなことをするのはおこがましいのだが、具体的な指し手を辿ることで何となく気分に浸ることができるのだ。

このとき羽生は23歳、すでに竜王を含め幾多のタイトルを手にしていた。

それでもやはり、<名人>というタイトルには特別な重みがあり、物凄い重圧を感じたと著書「決断力」(角川書店、2005年)に書かれている。

このシリーズは第1局から羽生が3連勝し、誰もが新名人誕生を期待してから米長が2連勝。羽生は名人位に王手をかけたところで足踏みしたかたちとなった。

このときのプレッシャーたるや半端なかったという。いつも飄々として冷静沈着、物事に動じず、当時は「サイボーグのようで人間味がない」とすら言われていた羽生であったが、その内心は決して穏やかではなかったようだ。

ひどく追い詰められていた。米長先生の心中は知らないが、あと一勝に迫った私のほうは、この足踏みに焦り、不安になり、そして怯えていた。もしかしたら嵌められたのではないかとすら思った。

というのも、羽生が挑戦している米長邦雄は、個性的な棋士たちの間でもひときわ癖の強い「勝負師」として名を馳せていた男であり、当時五十歳、幾多の挑戦と挫折を繰り返して、ついに名人位という栄光をつかんだ「中高年の星」として絶大な支持を得ていた。

この米長が八年前に、中原誠大山康晴の第44期名人戦において、「心技体すべてに充実した中原に大山が勝つためには、連敗してからの逆転勝ちしかない」と評していたことを羽生は意識していた。

この名人戦でも、三連敗は当初からの作戦で、自分に気の緩みや油断をもたらすことで逆転勝ちを狙っているのでは・・・と羽生は睨んでいた。

いくらなんでも作戦として三連敗するほど米長に余裕があったとは思えないが、そんなことすら疑ってしまうくらい羽生の方が心理的に追い詰められていたということだろう。

加えて、この名人戦が始まる前、A級順位戦において羽生は、中原誠永世十段谷川浩司王将との対局において上座に座ることで大変な物議を醸していた。序列に厳しい将棋の世界で、名人経験者を相手に上座に座るという羽生の行動は強い反感を買うものであった。

羽生にしてみれば、過去に竜王位にあったときの苦い経験から、タイトル保持者である以上は上座に座るべきで、それで反感を買ってもしかたがないと思っての行動だったが、これが思ったよりも大きな反響を呼んだことに戸惑っていた。

このとき米長は週刊誌上の連載コラムの中で「名人経験者に対して無礼であり、許すまじき行為也」と怪気炎を上げ、「羽生、討つべし」との非難の声の広がりに加勢していた。

・・・こうした雰囲気の中で第六局は始まろうとしていた。

その前の三日間。私は、本当に真っ暗闇の道を一人で歩き続けている気持ちだった。

あの羽生善治がここまでメンタル的な危機を正直に告白したことは、おそらくこのときただ一度だけだろう。この二年後に七冠を制覇した時には、もう何も恐れない余裕のようなものを感じさせていた。

傍目からは、羽生はこの米長との名人戦においても、焦りや動揺など微塵も感じさせず、楽々と勝ったように見えていたのだが・・・

この羽生の告白を読むと、本日、第81期名人戦第三局を渡辺明名人と戦っている藤井聡太(二十歳)も、他人からは見えない様々な内面的苦悩を抱えているのだろうか、などと考えてしまう。