今、東京国立博物館で、「横尾忠則の寒山拾得展」と「寒山拾得図」展が同時開催されている。
寒山拾得については以前ブログに書いた。
今。寒山拾得が注目されていることは、表向きは何事もなく見えてもその実、全ての中身が狂いきっている今の世相で、望月新一教授のIUT理論や藤井風の脱力的な暴走に象徴される<ゆるゆる>な生き方こそが求められていることの一つの表れではないだろうか。
森鴎外の「寒山拾得」という小説が有名だが、森はその中でこんなことを書いている(大意)。
何もかもどうでもいい、という精神には二通りあって、世の中が余りにも道理が通らず、馬鹿々々しく見えてくるので、投げやりになってその日その日を唯々刹那的に過ごすものと、世の中がどうあろうがお構いなしに己の精神の自由を何物にも束縛させず天衣無縫に振舞うもの。
前者の精神の持ち主は一見好き放題に生きているように見えても内面は虚しさに蝕まれていて何をしても心から満足することができない。
しかし寒山や拾得のような精神を持った人は腐りきった滅亡寸前の社会においても毎日笑いながら天真爛漫に過ごしそれが後世に伝わる尊い生き方となる。
前者は風評の中で生きており、後者は風狂そのものだ。
昨夜夢の中でUFOに乗ったら横に横尾忠則がいた。もうすぐ宇宙に行くと言っていた。ここが宇宙ですよと言うと、場所じゃないんだと言い始めた。
ホイットリーなんとか言う人のコミュニオンという小説を読めと言われた。
今朝アマゾンで調べたら高いので買うのをやめたがPDFがあったので今読んでいる。