INSTANT KARMA

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オカルト日記

昨日図書館に言ったらリサイクル本のコーナーに『あなたもできる幽体離脱』みたいな本が置いてあったので、1回読んで捨てようと思って持って帰る(リサイクル本はブックオフに売っちゃいけないので捨てるしかない)。

ベルクソン『時間と記憶』を読んで発狂しそうになった頭で寝る前に幽体離脱本を読み始めたら、文章は脱力系だがグルジェフとかシュタイナーとか出てきて後半は著者の魔術修行(?)みたいなことも書いてありつい深夜まで読み耽ってしまう。

自分は幽体離脱みたいなことはしたくないが、こんな本を読んだ後だからしちゃうかもなという一抹の予感みたいなのはあった。

そうしたら案の定明け方にゴーッという耳鳴りがして、動悸がバクバクになった。このままだといっちゃうかもな、と思っていたらそこまでで終わった。あの本に書いてあったところによると、準備として自分の幽体を身体の外にイメージしてそこに気のエネルギーを充電しておかないといけないらしいが、そのパワー不足か、やはり恐怖心があったためかなと思った。

自分は金縛りにもなったことがなく、いわゆる霊的体質とは無縁である。ただ昔精神世界にハマっていたころに瞑想みたいなことをやっていたせいでほとんど目覚めている間はずっと眉間に持続的な圧迫感がある(ヨガではアジュナチャクラという場所)。別に不快な感覚ではない。時々棒の先をグリグリ押し当てられているように強くなる時がある。これ以上書くとどんどん変な方向に行くので止める。

 

読んでみて感じたのが、ベルクソンの哲学はほとんどオカルトである。妹のミナが入団した(ていうか夫が創始者だった)魔術結社「黄金の夜明け団」のウィキペディアによると、この団体では

アストラル投射と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったがそれなりの確率で白昼夢の世界に入り込むことができたようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものであった。熟達するにつれて始めはむりやり想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織りなされるようになる。それがアストラル旅行の出発点となった。スクライング(水晶占い)との違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れることである。凝視する象徴物の組み合わせを変えることで、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の生命の樹を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており多用は戒められていた。

アストラル投射(アストラル・プロジェクション)とは幽体離脱のことで、図書館からもってきたリサイクル本はW・E・バトラーの「魔術入門」がテキストになっていた。

このリサイクル本の著者の名前でググるのはやめておいた方がいいと思ったのだがつい調べてしまう。

やっぱり調べない方がよかった。

明日は病院から猫が帰って来る予定だが、病院ではずっとキレ散らかしていたみたいで、家に戻ったら暴れまくるか人間不信になって人の手の届かない場所に籠るのではないかとの不安もある。暴れるくらい元気ならいいんだが。