先日、二瓶哲也『それだけの理由で』を読んでの感想に、
西村賢太という存在が失われて、もう小説というものには縁が切れたかな、と思いかけていたところだったが、まだ二瓶哲也という作家がいてくれた、と思えたことがうれしい。
と書いたが、今度はうれしいブログ(note)の存在を知った。
筆者のかたが西村賢太について書いた記事にコメントを寄せて下さったので知った。
西村の小説に救われ、自らも西村のような私小説めいたものを書こうと志す人はけっこういるのではないかと思うが、ここまであからさまに西村の影響を感じさせる文章を読んだのは初めてである。
内容も、作曲家(トラックメイカー)として世に出たいという思いをふとこりながら、中年に差し掛かり焦る気持ち、日々の仕事で直面する現実との葛藤、女体を求めての彷徨などがユーモラスかつリアルに描かれる、まさに西村文学にも繋がるものであり、二瓶哲也や岡崎祥久などの中年男性のリアリズムを描く私小説的作品が大好物な自分には堪らない文章である。
こうしたかたちで同時代の人が、西村賢太をよすがとして自己表現に取り組み、西村文学のDNAが受け継がれていく様子を見るのは、何だか勇気づけられるものがある。