War Is Over

 if you want it

ぼくと統一教会とか

人目を引き付けるためにわざと物騒なタイトルにしてみたが、中身はたいしたことありませんので読んでから「騙された」といって怒らないでください。怒りそうな人はわざわざ貴重な時間を使って読まないように。神からの警告です(嘘)。

 

地元の高校を卒業して大学に入って上京し、世田谷区代沢の下宿で独り暮らしすることになった。普通の民家の二階の三つの部屋を学生用に貸し出しているという物件で、トイレは共同、風呂なしで、近所の銭湯を使っていた。竹下登小沢一郎の家が近くにあるという噂だった(確認はしていない)。

ある日、出かけようとしていると下宿のおばさんにバッタリ出くわし、「あなた、絶対宗教とか入ったらだめよ」と言われた。いきなり何を言うのかと思ったが、ヘンに真剣な表情で、「真面目な子ほどああいうのに騙されるんだから、親御さんが悲しむから、だめよ」と繰り返し言ってくる。ぼくは「はい、すみません、わかりました」と言って大学のあるキャンパスに向かって歩いて行った。

キャンパスを一人で歩いていると、図書館の前あたりで、若い女性二人組に声を掛けられた。歳はぼくと同じ、大学一、二年生くらいと思われたが、何となく雰囲気が、在校生ではないように感じられた。一人が眼鏡をかけていて髪がショートだった。もう一人はどんな容姿だったかまったく覚えていない。

そのショートの娘が、「あの、いまちょっとお時間いいですか」みたいなことを言ってきた。その表情は内気で臆病そうで、本当はしたくないのに何か勇気を振り絞って声を出しているように思えた。

ぼくは、「何ですか?」と怪訝そうな表情で答えた。

するとその娘は、「私たち聖書の勉強をしてるんですけど、そういうのに興味ないですか?」と言った。

ぼくは「聖書には興味あります」と答えた。その頃、ドストエフスキーの影響で、毎日新約聖書を読んでいたからだ。

その娘は、途端にパッと明るい表情になり、「そうなんですね。じゃあ、一緒に勉強しませんか?」と言った。

ぼくはその時点で、彼女が次に何を言うか分かっていたので、「ビデオは見に行きませんよ」と言った。

彼女はまた暗い表情に戻って、何か言いかけたが、ぼくは足早に二人のもとを離れて立ち去って行った。

当時、学生の間では、一緒に聖書のビデオを見ようと誘ってくる原理研の若者たちの噂が浸透していた。キャンパスには、原理研究会勝共連合)打倒・粉砕」と書かれたゲバ字のタテカン(立て看板)が至る所に置いてあって、ほとんどの学生は、タテカンは無視しながらも、そのメッセージはきっちりと心に刻んでいたから、勧誘に引っかかる者はまったくいなかった(と思う)。

サークルの部室で、さっき〈原理シスターズ〉に声を掛けられた、と言うと、「一緒にお茶でも飲みに行ったらよかったのに」と先輩が言った。確かにそうだよな、惜しいことしたな、と思った。

また別の日、法学の授業があるので大教室に入っていくと、机の上にビラが置いてあった。学生運動のビラや「天皇また崩御」ビラ(丁度昭和天皇崩御の頃だった)とは違って、「自利即他利」と大きな字で書かれた奇妙なビラだったので目についた。

授業担当の教授が入ってくる前に、数名の応援団風の学生がドヤドヤと教室に入ってきて、教壇に立ち、

「来るべき、×月×日×時、この講堂におきまして、大川隆法先生の御法話がございます。ぜひご来場いただきますよう」

と、やけに自信満々の大声で述べ立てた。

学生運動の人間でもこんな大胆なことをしたのを見たことがない。教授の許可を得ないとこんなことはできないのではないか、と思った。非常に不快だった。「来るべき×月×日」というのは日本語としておかしいと思った。だって×月×日というのは、来る「べき」も何もなく来るにきまっているのだから。

 

その一年くらい後(前だったか?)。

学園祭に、オウム真理教の教祖・麻原彰晃がやってくるとキャンパスに噂が立った。その頃、オウム真理教が政党をつくって選挙に出馬し、街には選挙カーから流れる「アストラル・ミュージック」や「しょーこー しょーこー あ・さ・は・ら・しょーこー」の唄がよく流れていた。

何でも、大学の体育の教師が麻原の信者で、彼の招きで学園祭に来ることになったとか、大学の図書館に麻原の著書が入ったのはその教師の働きかけによるものだという噂がまことしやかに流れていた。

当時スピリチュアルにかぶれていたぼくは、それに対抗するかのように、日本エルサレム教会の発行するスエーデンボルグの全集を大学の図書館に寄贈したり、ラジニーシの本を図書館の棚に勝手に差し込んでくるなどの暴挙を働いていた。

要は、統一教会やら幸福の科学やらオウム真理教はバカにしながら、自分なりの〈霊的探究〉を実践していたわけだ。

学園祭の当日、麻原の講演会と水中クンバカの実演は見れなかった(自分のサークルの企画があったため)のだが、それが終わった後で、教団の信者で大学の先輩にあたるIさんと議論をした。議論とは言っても、真剣に論破したりするつもりはまったくなく、「麻原の弟子になるなんて、どれほどのバカか見てやろう」くらいの軽いノリで出かけて行ったにすぎなかった。

ぼくが、「修行して何がどうなったんですか」と質問をすると、Iさんは、

「煩悩がなくなった」と答えた。

「性欲とかに悩まされなくなったってことですか?」と聞くと、

「そう。食欲、性欲、睡眠欲。でもまだ睡眠欲は完全に克服できてない」と言って、ヘヘヘと笑った。

「Iさんも空中浮揚できるんすか」と聞いたら、何やら難しそうなゴタクを並べ始めたので会話を打ち切って帰った。

Iさんは、オウム事件の時に重要幹部ということで逮捕された。でも有罪になったという話は聞かない。今どこで何をしているのかも知らない。

 

それから10年くらい後に、たまたま大学の近くを歩いていた時、サークルの仲間だった同級生とばったり出くわした。二人でお茶を飲みながら、ビーチボーイズのマニアだった彼は、「オウムの事件があったとき、君がどうしているのか気になっていた」と言った。

そういえば、あの事件の後、実家の母親がぼくを心配して東京に来たこともあった。

下宿のおばさんから「あなた、絶対宗教に入っちゃだめよ」と言われたときのことを思い出した。

ぼくはそんなに宗教に入りそうな奴に見えていたのだろうか。きっとそうだろう。だってあの頃のぼくはまったく大学の授業には出ずに毎日図書館でルドルフ・シュタイナーの「いかにして超感覚的認識を手に入れるか」(イザラ書房)に読み耽っていたのだから。