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坂本一亀とその時代

田邊園子「伝説の編集者 坂本一亀とその時代 」(河出文庫、2018年)を読む。

戦後、河出書房の編集者としてさまざまな作家たちを世に出した伝説の人物の評伝。

裏方に徹した人生のため、その役割の大きさに比して知名度は高くない。

あの坂本龍一の父親という事実がなければ、このような本が書かれることもなかった。

実際、本書の成立は、 坂本一亀(かずき)の存命中に、父のことを書いて本にしてほしい、という龍一からの依頼が発端になっている。

著者は河出書房に勤務し、一亀の部下として働いた経歴の持ち主。軍人のように命令を下す一亀に鍛えられたという。

一九四三年十二月に大学を繰り上げ卒業し学徒出陣で満州に赴いた軍隊体験が、戦後の一亀の激しい仕事ぶりの原点となった。

野間宏「真空地帯」小田実「なんでも見てやろう」など戦後史に残るベストセラーを生み出したが、商業主義には阿らず、純文学の理想を目指した。文壇主義を嫌い、作品の質のみで勝負しようとした。寸暇を惜しんで同人誌に目を通し、新人の発掘に励んだ。

その分、作家に対しても厳しい注文をつけた。息子の龍一は、夜に電話口で「お前、なんだあの小説は! 書き直せ!」と水上勉を𠮟りつけている一亀の姿をしばしば目撃している。小島信夫は、「坂本君から激励されると固くなってしまうよ。小説がコチコチになってしまった」と苦笑していたという。

国電四ツ谷駅前にあった大蔵省の木造庁舎を訪ねて、三島由紀夫に書き下ろし長編小説の執筆依頼をしたのも一亀である。三島はふたつ返事で快諾した。自分はこの長編に作家生活を賭ける、これを書いたら大蔵省を辞めるつもりだ、とハッキリした口調で言った。

三島は、一亀の激しい原稿督促のために後半部分の記述が粗くなってしまったと後に語っている。この長編小説仮面の告白は一九四九年七月五日に出た。

一亀は、三島が雑誌の広告用に書いた原稿の半分を「言い訳じみた説明が気に入らない」といってカットして掲載した。

 

こういう本を読むと、純文学、いや小説というものの時代は終わったのだなということを実感する。飢えた目で活字を求め、必死の眼で小説を貪り読み、あわよくば作家を目指して同人誌を作り、作品を執筆し、文学賞に応募する、という人々の数は、一亀が生きた時代からみればほとんど絶滅種のように減っているだろう。娯楽でもあり、生き方を真剣に模索するためのよすがでもある<文学>や<小説>というものの果たす役割は、それを延命させようとする一部の作家たちの努力にもかかわらず、終わったのだと思う。

再び文芸復興のようなものがあるとしても、それはまったく違う形を取って興るだろう。坂本一亀の息子・坂本龍一が、父とはまったく違う形で文化に影響を与えたように。