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ガンビア滞在記

庄野潤三をまとめて読みたくなり、近所の図書館にあるだけの本を借りてきた。

「新潮現代文学40」には「浮き燈台」「流れ藻」「ガンビア滞在記」の三篇が収録されている。

「貝がらと海の音」は1995年1月~12月(74歳のとき)にかけて「新潮45」に連載された小説である。

「山田さんの鈴虫」は2000年に「文學界」に連載した小説。

この二作は、

子供が大きくなり、結婚して、家に二人きりで暮らすようになってから年月がたった。孫の数も増えた。そんな夫婦がどんなことをよろこび、毎日を送っているかを書きたい

という思いから書かれたという。

「孫たちの結婚式」は2000年以降に書いたエッセイと、作家江國香織との対談をまとめて一冊にしたもの。

とりあえず執筆時期の最も早いガンビア滞在記」(昭和34年、1959年)から読み始めることにする。

この当時、毎年日本の作家が一年間、ロックフェラー財団の「フェローシップ」でアメリカへ招かれていて、1957年には小島信夫が、1958年には阿川弘之が渡米している。阿川のときから夫人同伴が条件になったので、庄野も三人の子供を実家の母に預けて渡米した。小島信夫は単身で渡米し、そのことが妻との関係に微妙な変化をもたらしたことが「抱擁家族」などに示唆されている。

ガンビアオハイオ州コロンバス郊外にある村で、ケニオン大学という私立リベラル・アーツ・カレッジがあり、庄野はそこに一年間留学滞在して、Fundamental Thought of family life in the United States (アメリカ合衆国における家庭生活の基本理念)を研究課題とした。ケニオン大学に決まったのは、庄野の父親が私立学校(帝塚山学院)の創始者であることから、同じような背景を持つ私立学校が選ばれたのかもしれない。

庄野潤三ノート」の作者阪田寛夫によれば、庄野は

自分の文学―特にアメリカへ行ってのちに書く作品はみな『ガンビア滞在記』に含まれているように思われる

と語ったという。それほどの重要作であるなら、しっかり読まないわけにはいかない。

神秘と宗教はちがう

田中小実昌「エッセイ・コレクションⅠひと」筑摩書房)の中の、「神秘と宗教はちがう」というエッセイが面白かった。田中小実昌については、酒飲みのタコ八郎に似たおじさん、というくらいの印象しかなかったが、小島信夫後藤明生と親しかったというので、どこかのタイミングで読みたいと思っていた。

エッセイの中身を紹介すると、作家仲間で「野良犬の会」というのをやっていて、団長が今東光、副団長が柴田錬三郎、幹事が梶山季之だったのだが、あるとき四谷三丁目の軍鶏(しゃも)屋でみんなでわいわい飲んでいるところで、当時たいへんに有名だったスプーン曲げの少年がきて、別室でパフォーマンスをやるという話になった。

〈有名なスプーン曲げの少年〉といえば、清田君こと清田益章がすぐに思い浮かぶのだが、清田君だったかどうかわからない。いずれにしても、団長の今東光の兄・今日出海が神秘的なことに関心のある人で、インドの神秘家J.クリシュナムルティの会(おそらく「星の教団」のこと)の日本人として最初の会員だったと小林秀雄が「信じることと知ること」という講演の中で話しているから、そのへんのつながりで連れてこられたのだろう。ユリ・ゲラー来日で盛り上がったスプーン曲げブームに、錚々たる作家たちも関心を寄せていたことが窺えるエピソードである。

たいていの人がパフォーマンスを見に別室に移動したが、五、六人は「どうでもいい」という態度で残っていた。残っていたのは田中と吉行淳之介山口瞳といった作家だった。

ところが、会の世話をしていた編集者の女性が、どうしても別室に行ってほしいというので、別室に移ったところ、スプーン曲げの少年が、「このなかには不マジメな人がいて、やりにくい」と言い出し、付き添っていた父親からそう通訳されると、それなら遠慮しよう、と再び元の部屋に戻って飲みだした。

田中に関心がなかったのは、スプーン曲げが手品だと疑っていたからではない。柴田錬三郎は、物質的な力ではなくスプーンが曲がるというのは、今までの考えをひっくり返す、たいへんなことだと言っていたが、田中にはそんなことはどうでもよかった。それ以前のことで、物理的な力以外でスプーンが曲がろうが曲がるまいが、まったく関心がなかったのだ。

田中小実昌の父親はキリスト教の牧師だったが、正統派から逸脱したかなりユニークなことをやっていたようだ。教会の中で信者たちがめいめいに異言を発する、新約聖書に言う「ペンテコステの祭り」のようなことを実践して、田中はそれを「ポロポロ」と呼んでいた。

そんな父親の下で、超自然的なことを、田中は子供のときによく体験した。父はある人と道を歩いていて、その人の懐中時計が一分遅れていることを見ないで当てたりした。

また別のときに、行者が石に念を入れて持ち上げられなくしたといって、何人もの人がやってみたが小さい石なのに重くて持ち上がらないというのを見た。行者はしきりに父にも持ち上げてみろと勧めたが、父は「わたしは信心がありませんから」と断った。

父の周りにはあれこれ不思議なことがあったから、世の中にはたしかに神秘家みたいな人がいるのだと田中は自分の経験から知っていたという。

しかし、いわゆる神秘的なことと宗教とはまるっきりちがう、と父は言っていた。宗教は神秘とかふしぎなことではなく、ただただ事実だ、と父はくりかえしていた。信じたくなくても、あるいは、あることをかたく信じていても、事実がむこうからぶつかってきて、信念もなにも粉々になってしまう。

物理的事実だけが事実ではない、心理的事実や歴史的事実、ひいては宗教的事実もある、といったことではなく、逃げまわり、こばみつづけても、事実がせまってくる、といったことだろう。

このエッセイを読んで、田中小実昌という人は信用できる、と思った。

庄野潤三

私小説名作編」のアンソロジーを読んで気になった庄野潤三静物を読むために図書館へ行き現代日本文学大系88(筑摩書房)を借りる。田中小実昌のエッセイ集も二冊借りる。「静物」を読み、村上春樹の解説を読んで納得する。

第三の新人」として庄野潤三の名前は小島信夫安岡章太郎と共によく出てくるが、作品を読んだのは初めてだった(実はプールサイド小景も読んでいたことに後で気づいたが忘れていた)。

庄野潤三は「静物」の後、夕べの雲などの平穏無事な家族小説を書き続けて「治者の文学」などと呼ばれたそうだ。村上春樹は、「静物」は文学史に残る小説だが、ここから先はもう文学的に見るべきものはない、と遠回しに述べている。確かにそうかもしれないなと思った。

庄野潤三の「静物」は、小島信夫抱擁家族と同じような位置にあると思う。どちらも、作家独自のスタイルの出発点であると同時に完成品でもある。

島尾敏雄は浮気して妻が発狂したが、庄野潤三は妻が自殺しようとした。島尾は狂っていく妻ミホに付き添って精神病院に入院し、その経緯をすべて小説にした。奄美大島に家族で移住して残りの人生をそこで過ごした。長男は成人していろんな本を書いたりしたが、その下の妹は失語症になって若くして亡くなった。漫画家・エッセイストのしまおまほは敏雄とミホの孫である。

庄野潤三は、妻の不意打ちの自殺未遂を経験して、妻が求める愛を確立してやることが、何より大切だと気づき、最も日常的な世界である家庭を彼の文学のテーマとして、一人の夫と一人の妻とがそこでいかに生活するかを描いてみようという気持を起したのだという。

静物」が書かれた昭和三十五年は、妻の自殺未遂事件から既に十年以上が経過しており、子どもたちも三人になっていた。夫婦間の危機を乗り越えて家族再生のプロセスが進み、庄野自身が父親としての自信を持ち始めていた時期だからこそ、過去の夫婦崩壊と未来の家族の絆を同時に示唆する「静物」という作品を仕上げることができたのだという人もいる。

後年の庄野の小説は、三人の子供たちの結婚、孫の誕生、近隣の人々や兄弟や甥と姪たちに囲まれた人と人との絆を噛みしめるような穏やかな作風になったようだ。いわゆる破滅型私小説とは正反対の世界である。そういう文学もあっていいとは思うが、その世界には、村上春樹やその他の批評家の指摘するような、自己満足と独善性と硬直性がなかったのか気になる。

私小説名作選(下)

私は本来、普遍性というものは、個の体験という錨を深く垂らすことで、その錨が地底についたとき、個の独自性というものが普遍性というものに転化すると思っている。

サワダオサム「わが上林暁上林暁との対話」より

<下巻>

藤枝静男 「私々小説」

家族(弟と母)を看取る淡々とした記述が続き、なんだ悟りすましたような小説か(「悲しいだけ」のような)と思いきや、最後に藤枝静男という作家の〈鬼の顔〉が現れる。もう小説の枠を超えて、作家の生の思いが叩きつけられている。ぼくが私小説に求めているのは、こういうものである。

 

大岡昇平 「歩哨の眼について」

大岡昇平といえば「野火」に代表される戦争小説や「事件」のような犯罪小説(裁判小説)の印象が強く、私小説というイメージはない。この短編は彼が南島で歩哨をしていた頃の話だが、正直に言って〈名作選〉のひとつに挙げられるほどの作品とは思えない。

 

島尾敏雄 「家の中」

ひたすら不穏。読んでいてこっちも病みそうになる。「死の棘」はこの不穏がもたらしたカタストロフから始まる小説だが、これはそのカタストロフに至るまでを描いている。言わば、ジェットコースターで頂上に向けてゆっくり上っていくような雰囲気がある。「死の棘」とセットにして読まれるべき作品だろう。

 

水上勉 「寺泊」

水上勉といえば僕の中では禅僧の略伝を書いた「禅とは何か」の印象が強い。この小説も良寛についてのものだ。水上は巻末の中村光夫との対談で、生活のために通俗小説を書くしかない生活の中で、この小説は「みそぎ」のような気持ちで書いたと述べている。確かに作家の本気度が伝わってくる。普段ポップで売れ線の曲をやっているミュージシャンが気合を入れてエルモア・ジェームスのブルースを演奏したみたいな。

 

安岡章太郎 「陰気な愉しみ」

傑作。少し前に感想を書いたので割愛。

 

庄野潤三「小えびの群れ」

庄野潤三の名前は小島信夫にハマっている頃から「第三の新人」の一人としてずっと目にしてきたが、あまり読む気になれなかった。この小説も、読んでみてちょっと唖然としてしまった。村上春樹「若い小説家のための短編小説入門」で取り上げていたのを思い出して、急遽図書館に行って「静物」という代表作を借りて読み、なんだこれは、と再び唖然とする。逆に興味を持った。

 

遠藤周作 「男と九官鳥」

これは私小説ではないと思う。話としてもちょっとヌルい。もっと別の作家、別の作品を選ぶべきだったと思う。川崎長太郎とか小島信夫とか野口富士夫とかもっといろいろいるだろう。

 

吉行淳之介 「食卓の光景」

これもヌルい。吉行淳之介らしいと言えば言えるが、無理に入れなくてよかったと思う。これを入れるなら中村光夫自身の小説でもよかったんじゃないか(そもそもこの人私小説は嫌いなんだっけか)。


田中小実昌 「魚撃ち」

田中小実昌はとにかく有名人なので名前だけはよく知っていたが、作品を読んだのはほぼこれが初めて。面白かったので、他の作品も読もうと思った。このアンソロジーで得た発見があるとすれば、田中小実昌(と庄野潤三)であった。


三浦哲郎 「拳銃」

高井有一 「仙石原」

両方ともいい小説だと思ったが、私小説としては物足りず、他の作品も読みたいというほど惹きつけられるものがなかった。

私小説名作選(上)

中村光夫編「私小説名作選」(上下巻、講談社文芸文庫を読んだ。

せっかくなので感想を記したいが、「名作選」との言葉通りいずれも文壇の大家による名品ばかりなので、作品の客観的な価値とは無関係に、あくまでも今の自分がどう感じたかというに過ぎない(そもそも客観的な価値とは何か、というめんどくさい議論はしない)。はじめに全体的なことについていえば、収録作品の中には私小説なのかどうか疑問に思うものもあった。女性作家が一人もいないことも気になった。

<上巻>

田山花袋少女病

田山花袋といえば「蒲団」、「蒲団」といえば自然主義文学の代名詞という具合に学校では習ったものだが、この「少女病」という小説は最後に主人公が死んでしまうことでもわかる通りフィクションであって厳密には私小説とはいえない。もっとも、明らかに作家自身をモデルにした妻子持ちの中年男が通勤電車の生き帰りに乗り合わせる若い女性に心惹かれるみっともない心持ちを正直に書いているのは後の私小説の源流ともいえるのであろう。今読んでも面白く、設定を現代にしても読めるが、もう一工夫しないと作品としては素朴すぎて成立し難いだろうと思った。

 

徳田秋声「風呂桶」

「津島はこのごろ何を見ても、長くもない自分の生命を測る尺度のような気がしてならないのであった。」という出だしの一行からラストまで一気に畳みかけるように書かれていて、ギクシャクした気持ちを持て余す一家の主の心境がリアルに伝わる(とにかく〈不快〉なのだ)。PC的に厳しい今の世ではDV小説の烙印を押される内容だがそんな世の中でいいのだろうか。この文章の味わいを楽しむ。文学とはそういうものではないのか。スターリン体制下の社会主義リアリズム論のような妖怪が二十一世紀の資本主義社会で再び台頭しつつある中でそんなことを思う。

 

近松秋江「黒髪」

以前にも読んだし、近松秋江の世界はこの作品を含めた連作全部を読んで初めて堪能できる。感想は過去のブログのどこかに書いた。

 

正宗白鳥「戦災者の悲しみ」

これはエッセイ(随筆)なのか私小説なのかと考え始めると出口なしの堂々巡りに陥るのでそうした議論は避けたい。正宗白鳥はこういう小説風の作品よりもやはり評論の方が面白いことを再確認する形になった。

 

志賀直哉「城の崎にて」

古典中の古典なので何のコメントも感想もない。未読だが、豊崎由美という書評家が「これのどこが面白いのか」と嚙みついた内容の本があると聞いている。豊崎由美の書評は常々参考にさせてもらっているが、「生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。」とあの文体で書きつけた志賀直哉を批判するならせめて太宰治くらいの切羽詰まった姿勢がないと読む気がしない。

 

嘉村礒多「崖の下」

以前読んだ作品で、嘉村磯多といえばこれ、というより、私小説とはこれ、ということになるのだと思う。ザ・私小説。これが収録されているから葛西善蔵は敢えて入れなかったのか。

 

梶井基次郎檸檬

遠い昔に読んだ記憶しなかったので改めて再読したが、たしかに古典の名にふさわしい。ほとんどショート・ショートといってもいいくらいの短さなのだが、これ以上長くなるといけない、というギリギリのところで終わっているのがいい。私小説というより散文詩じゃないだろうか。

 

太宰治「富獄百景」

以前よく読んだので読み返さなかった。太宰の場合、私小説と呼ぶにはその上に何枚もの膜が被され、加工されすぎていて、素直に私小説と呼ぶのが憚られる気がする。少なくともぼくが私小説に求めるものは太宰の中には希薄である。

 

梅崎春生突堤にて」

戦時下という背景で、釣りに興じる男たちの表面上は何ということもない逸話が巧みに語られている。私小説というより時代の一側面を切り取ったスケッチと思う。

 

井伏鱒二「鯉」

太宰の師匠、という認識で、その作品にまともに目を通したことはなかった。身辺雑記風のひとつの私小説の典型といえる短編で、こういう文章に個人的にとても憧憬を感じる。同じことは以下に続く尾崎一雄上林暁にも言える。

 

尾崎一雄「虫のいろいろ」
上林 暁「ブロンズの首」

以前どこかに書いたので感想は割愛。

 

木山捷平耳学問

木山捷平は、これから読んでみたいと思っている作家の一人だが、この作品のように戦争体験をユーモアを交えながら語る作風のようなので、まだ読むタイミングではないのかなと思った。

 

和田芳恵「接木の台」

「暗い流れ」や数々の渋いエッセイで愛読する作家のひとり。

この私小説も、渋い。いい。


井上靖セキセイインコ

井上靖には私小説家のイメージはないので、当分自分から進んで読むことはないと思っていた。この短編も、私小説というにはフィクションが入りすぎて、ただの〈小説〉になってしまっている気がした。

 

DANCING MACHINE

伊藤重夫『踊るミシン 2022Final』を買って読む。八十年代の伝説的音楽青春マンガが支持者たちの熱い支援により復刊。

これを入手するためにだけ下北沢に出かけたのだが、駅前が迷路のようで戸惑う。この猥雑さは嫌いではない。

一読したが、つげ忠男安部慎二わたせせいぞうの融合といった趣で、カルト漫画の名にふさわしい傑作だった。

今の時代ならもっとヘヴィーな作品になりそうな気がするが、八十年代のバブル前夜の郊外都市(神戸)の奇妙な明るさが虚無を覆い隠している。入り組んだ時系列と唐突な場面転換の連続、回収されない伏線、深読みを誘うセリフとシーンの挿入、そしてポップ・アートのような甘酸っぱい町と海の風景。マンガでしか描けないエバーエメラルドドドメ色青春物語。

Golden Middle

GW連休の中日。金曜日から三連休で、明日からまた三連休になる(5日に一応仕事が入っているが)。妻が、不正出血で受診したクリニックで検査したところ、子宮体がんの疑いがあるかもしれないということで精密検査をすることになり、今月中旬に結果が分かるそうだ。良性であれば問題はないのだろうが、ちょっとドキッとする。自分が今の生活を送れているのは妻のおかげみたいなところもあるので、もし妻に先立たれたりしたら生きる意志を失ってしまうかもしれない。子供らを成人させ自立させたらもうこの人生でやることもない気がする。あとはできるだけのんびり穏やかに生きたいと思うだけだ。ひたすら本を読んで音楽を聴いて過ごしたい。自分のために書いた日記類は死ぬ前に全部消去する。

この人生で思い残すことが二つくらいあるのだが、どちらも多分叶わないまま終わるだろう。今の仕事に就いたのは後者の願いを果たすためでもあったのだが、実現不可能性に気づいた。ひたすら現実から逃避して雲をつかむようなことのために生きてきた気がする。これからは自分のために生きたい。妻と二人で穏やかな後半生を過ごしたい。

ある昔の知人が自宅マンションの隣室が火災でほぼ全焼したとブログに書いていた。占星術師でもあるその人はこのタイミングで事故に遭う星回りにあったのだと説明していたが、そういうことは事前に分からないと意味がないのではないだろうか。北海道の遊覧船事故とか、自分も最近身近な人がトラックとぶつかったり、事故の起きやすいタイミングなのか。とはいえ事故というのは年がら年中世界のあちこちで起きていることなのでそういう考え方に意味があるとは思えない。もう占いとか未来予測とか大予言とかいうものにはウンザリしている。そういうものから完全に無縁で生きたい。