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Dead Line Over Heat

千葉雅也『デッドライン』(第162回芥川賞候補作)、『オーバーヒート』(第165回芥川賞候補作)を読んだ。 めちゃくちゃに面白かった。その面白さについては改めて書くとして、これらの小説が芥川賞を取れないという事実は、所詮あくたがーショー(笑)が自称文学者たちの妬み嫉み政治的思惑の茶番に過ぎないことを示している。 西村賢太佐伯一麦が受賞できなかったのと同じで、千葉雅也が受賞できなかったことには、選考委員(自称小説家たち)の私小説に対する反感と文芸サークル趣味への共感みたいなものを感じずにはおれない。 選評も理解に苦しむコメントが目立った。

島田雅彦「今回は愚行自慢の典型的私小説に回帰したようでもあり、その線で攻めるなら、もっと『嫌な奴』になるべきだったと思う。」

は? 何を言っているのか? 「嫌な奴」も何も、ありのままの自分しか書きようがないではないか! そうではないものを書いたとしたらそれこそ不誠実である。ちなみにこの人の小説を過去にいくつか読んでみたことがあるが、面白いと思ったことは一度もないし、何の印象も残っていない。

小川洋子「この偽悪的な男に、一片のもの哀しさを感じることができれば、全く違った印象の小説になったかもしれない。」

この主人公の姿に何の〈もの哀しさ〉も感じることができないのは、単に読み手の読解力が欠けているのではないか?

奥泉光私小説が面白くなるには、書く私と書かれる私の分裂が生み出すアイロニーがもっと必要ではないか。」

〈書く私と書かれる私の分裂が生み出すアイロニー〉って何だよ? この小説には十分アイロニーが感じれるし、〈もっと〉それを書き込んだらかえって駄作になっちまうだろうよ。だいいち、「書く私と書かれる私の分裂」って何だよ! 他の評者は一応評価しているものの、受賞作のほうがすぐれているという判断のようだ(山田詠美川上弘美は推していたようだ)。松浦寿輝に至っては、一行も言及すらしていない。それは評者として卑怯では? まあ誰が何と言おうと、「デッドライン」と「オーバーヒート」が傑作であることは僕が保証します。